やられっぱなしでは終わらない、ヴィクトルの快進撃も書くよ

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やられっぱなしでは終わらない、ヴィクトルの快進撃も書くよ

父・イリヤからロマニフ家再興を託されたヴィクトルは、幼い頃からツァーリとしての教育を受け、王家の一員である誇りを持てと、事あるごとに刷り込まれて育った。 当時、世界最強レベルの教育機関(事実上のエリート養成機関)だった全寮制のキエフのソヴィエト学校に、偽名で入学し、飛び級で卒業。優秀な成績を収めてモスクワ大学を卒業後、ソヴィエト共産党に入党し、幹部候補として育てられた。 軍部に配属されてからは出世街道を爆速で駆け抜ける。あまりに優秀な若き同胞を危険視した中央政府は、ヴィクトルを中央アジア植民区に左遷する。 中央アジアにはWW2旧日本兵の捕虜が労働力として駆り出され、百名ほどが現在のF国に抑留されていた。ヴィクトルは彼らの帰還手続きに奔走し、宗教勢力との小競り合いも調停に持ち込むなど、中央アジア平定の大きな力となる。 余談だが、祥の曽祖父は旧日本軍の陸軍省の文官(駐在武官)で満州に派遣されていた。終戦後ソ連軍の捕虜となり、シベリアに抑留された。 捕虜になった後の消息は一切不明で、シベリアで亡くなっていると思われていた。しかし近年(本編の後)大叔父の手紙がバハードで発見され、曽祖父は中央アジアの抑留施設で過酷な労働に従事していたことが判明する。手紙にはヴィクトルと曽祖父との邂逅が示唆されているが、ヴィクトルにはその記憶はない。 閑話休題。 共産党の勢力地図が塗り替えられるに従って、中央アジアでの働きが認められ、ヴィクトルはクレムリン(共産党の中枢)に奇跡的に返り咲く。(極地の左遷は片道で、二度と戻る事はできないと言われていた。) 結婚したばかりの妻エレナを連れ華々しく戻ったクレムリンは伏魔殿だった。二重、三重スパイが跋扈し、謀略に次ぐ謀略にヴィクトルは翻弄されていく。そんな中、遂にソヴィエト共産党最高委員会のメンバーに、穏健派の強い推薦で選出された。 だが、この頃にはソヴィエト共産党一党体制はとうに硬直化し、斜陽のときを迎えていた。 1980年代後半、チェルノブイリ原発事故を契機に民主化運動の機運が高まる。遂にペレストロイカ(民主化)の波がクレムリンにやって来たのである! ウラーーーーーー!!(歓喜の叫び) ヴィクトルはこの波に乗り、鉱山事業など資源分野を手がかりに、イワノフ家・ボルシェヴィキ家と手を携えてビジネスの規模を拡大。巨万の富を得ることに成功した。この資本から、王室ゆかりの品を一部買い戻している。 1990年代初頭にソヴィエト連邦は崩壊。 崩壊後は共産党の中枢から離れ、正式にツァーリを拝命、ロマニフ家再興に専念することになる。
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