苺とハリネズミ

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苺とハリネズミ

 やわらかな春風が吹く。日差しの匂いや小枝が揺れる音が届いて、心地いい。  三月の昼下がり。東山栞(ひがしやましおり)は軽やかな足取りで、勤め先である洋菓子店へと歩いていた。  午前中に短期大学の卒業式を終えたので、今は晴れ姿でいる。  桜文(さくらもん)の振袖に紺袴を合わせ、足には編みあげのブーツ。セミロングの髪はアップにして、サイドに花飾りをつけた。幼顔には透明感のあるメイクを施して、卒業式という晴れの日を迎えた。  華やかな袴姿で、卒業証書を抱えているのが誇らしく、ややくすぐったい。  ……卒業おめでとうって、みんなに言ってもらえるかな。  ……仁科(にしな)さん、私の袴姿、ほめてくれないかな。  さまざまな期待を胸に、洋菓子店『La maison(ラメゾン) en bonbons(アンボンボン)』の正面ドアをくぐった。  洋菓子店は今日も、バニラの甘い香りや、果実の爽やかな香りで満ちている。  店内では短期アルバイトである女子が、接客にあたっていた。はきはきとした声が店の入り口まで届く。  彼女はベリーショートが似合う中性的な顔立ちで、薄い胸には『川島(かわしま)』という名札をつけている。二十歳の栞よりもふたつ年下の十八歳で、高校を卒業したばかり。 「おのしはこちらで。はい。では少々お待ちください」 『出産内祝い』というのし紙を顧客に見せて、明るく笑う。それから彼女は栞に気づいて、小さく手を振った。  栞は彼女にほほえみ、次に、バックヤードのほうを見て、心を弾ませた。そこでは若いパティシエの男性――栞の恋人である仁科が立っていた。  白いコックシャツを着た男は、明日の予定表を片手に、アルバイトの女子を見ている。彼女は注文どおり、箱詰めのリーフパイにのし紙をかけていた。  仁科がバックヤードから出てきて、レジ台に立つ。お先にお会計失礼します、カードございますか、と、淡々とレジを進める。愛想はないがミスもない接客。  会計を終えたとき、仁科は栞に気がついて、目で挨拶をした。  栞は接客の邪魔にならないよう、静かに入り口付近にいた。  やがて内祝いを買った男性客は、満足げな表情で店を出ていった。客の姿が小さくなると、川島が栞との距離を縮め、高い声ではしゃいだ。 「栞さん綺麗。いい感じ!」  川島はボーイッシュな外見で、いつも元気がいい。栞は川島を「弟の小さいころに似ている」と思うときがある。……元気いっぱいで自分を慕っていた弟は、だんだんと生意気になっていったが。  栞は紺袴をスカートのように持ちあげ、西洋の令嬢のようなお辞儀をした。 「見せに来ちゃった」 「袴っていいですよね。高校の卒業式は制服だったから、憧れます」  川島は歯を見せて笑った。 「一緒に写真撮ってくださいよ」 「もちろんだよ。巴恵(ともえ)ちゃん」  栞は親しげに、川島に呼びかけた。
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