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午前中最後の授業である数学が終わると、前の席の加藤くんがくるりと振り向いて、俺の机に突っ伏した。
「楓…俺らピアノ専攻なのに、なんで数学なんかやらされてんの…?」
「なんでって…」
「高校入ったら、ピアノのことだけ考えられると思ってたのに!」
「いや…説明会のときに、一般的な授業もあるって言ってたじゃん。っていうか、2年にもなって今さら…?」
「詐欺だーっ!」
俺の言葉を遮って叫ぶと。
ガバッと勢いよく顔を上げて、俺を睨む。
「いいよな~楓は。普通科学年トップのお兄様が、なんだって教えてくれるんだろ?」
「…なんだって教えてくれるわけじゃないけど…」
「なぁっ!今度、俺にも教えてくれるように頼んでよ!マジで数学ヤバイんだって!」
かと思ったら、今度は情けなく眉を下げ、両手を合わせて俺を拝んだ。
「いいけどさ…めちゃめちゃスパルタだよ?」
「え…マジ…?どんな風に?」
「…人間、やめたくなる」
「そ、そんなに!?…って、噂をすれば…」
話してる最中に、加藤くんは恐ろしいものを見たように震えながら、俺の後ろを指差して。
その先を目で追うと、教室の後ろのドアのところに嫌ってほど見慣れた冷たそうにも見える整った顔を見つけた。
「楓」
呼ばれて、反射的に立ち上がる。
「…昼メシ、行ってくるね」
「お、おう…がんばれよ~」
加藤くんのよくわからない応援と、どこか気の毒そうな視線に見送られつつ、蓮くんの元へと向かうと。
彼は俺を待たずに、くるりと踵を返し、颯爽と廊下を歩きだした。
そのピンと伸びた背中を、いつものように小走りで追いかける。
「あいつ…加藤、だっけ?最近、仲良いよな」
ようやく追い付いて横に並ぶと、蓮くんはなぜか不機嫌そうな口調で、訊ねてきた。
「そお?そんなこと、ないけど…」
「ふぅん…」
自分から聞いてきたくせに、あまり興味なさそうな相槌を打って。
その後は無言で歩き続ける。
俺はその隣を、やっぱり無言で歩いた。
音楽科のある校舎を出て、やたらとだだっ広い中庭を横切り。
普通科の校舎に入り、階段を上る。
ここまでで、約3分。
「…毎日、わざわざ迎えに来なくてもいいんだけど。子どもじゃないんだから、自分で来れるよ」
なぜかいつまでも不機嫌そうな横顔にそう言うと、チラリと視線を一瞬だけ俺に移し。
だけど、なにも言わないでまた前を向いてしまう。
「それこそ、時間の無駄でしょ?そういうの、蓮くん一番嫌いじゃん」
「…迷惑か」
俺がとろいのにイラついてんのかと思ってそう続けると、ますます不機嫌そうな声が返ってきた。
「俺がおまえの教室に行くのが、そんなに迷惑か」
「そうじゃなくって…!」
「だったらいいだろ。俺が好きでやってんだから」
ようやく着いた生徒会室のドアに手をかけながら、見るもの全てを凍らせるような冷たい眼差しで俺を見て。
この話はここまでと言わんばかりに、勢いよくドアを開ける。
「あ、やっときた。蓮、先に始めてるよ~」
「ああ、悪いな」
さっきまでの不機嫌さは一瞬にしてしまいこみ、投げ掛けられた言葉に微笑みを返す横顔に。
知らず溜め息が出た。
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