工場の話

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工場の話

 町のはずれの山奥に大きな工場が建てられた。  そこで働くひとたちを、誰も見たことがなかった。敷地には二階建ての灰色の外壁をした寮がいくつかある。夜になると窓に一斉に明かりが浮かび、そして一斉に消灯された。まるで幽霊が働いているようだと、町のみんなが気味悪がって噂した。  山葡萄や茱萸を採りにいった子供たちが、工場の様子を覗いて教えてくれることがあった。なかには銃の束があったという子もいれば、大きな肉が幾かたまりも吊るされて、奥へと運ばれていくのを見たという子もいた。しかし、労働者の姿を見たものはいないのだった。  秋休みの日々。僕のふたりの妹も、よくそこへ行って帰ってきた。  ある日、帰りが日暮れ間近だったので、いつもより厳しく問い詰めた。 「今日も行ってきたのか」  ふたりはいたずらっぽい笑みを浮かべて居間に入って来る。小さな手をふたりして開いて、卓袱台の上にばらばらと石を散らばした。硝子玉のように透明で、内に輝きを秘めた粒。よく見てみれば、それらは加工の施された水晶や宝石のようだった。 「これをどうした。どこで拾った」 「工場のまわりに落ちていたの」 と下の妹がいった。姉のほうも、うんうんと頷き、 「たくさんあったのよ。でも、手提げがないからこれだけ」 「これはたぶん宝石だ。きっと騒ぎになる。返さなければいけないよ」 「でも、棄ててあったのよ」 と上の妹が頬を膨らませて体を揺らした。まるでこれらの収集は労働の結果であり、押収は遺憾だと言わんばかりだ。 「まあ、ちょっと待ってくれ」  亡父の書斎から古い百科事典をふたりに持ってこさせ、拡大鏡を片手にそれらの小粒な石を鑑定してみた。スフェーン、トパーズ、シトリン、ラピス・ラズリ……貴重な石ばかりだった。 「これだけあれば、町に病院が作れるわ」 「図書館が先よ」 言い争う妹たちに口外しないよう言い含めた。  ある日の昼下がり、仕事がひと段落して縁側に腰かけていたところに町会長がやってきた。お茶を出すと、庭で採れたばかりだという山桃をいくつかくれた。その眉がずっと固くくっついていることに気が付いて、どうしたのかと尋ねた。 「町はずれの山奥に、工場ができただろう」 「ええ、なにか作ってるみたいですね」 「その敷地に宝石が落ちているらしい。面白がって持ち帰る輩がいる」  僕は初めて聞いたような顔で頷いた。 「はあ。それじゃあ、宝石の加工場なんですかね」 「いや、どうもそうじゃないらしいんだ」 「というと?」 「においがな。火薬のにおいがするというものもいれば、生肉のにおいがするというものもいる」 「においですか」 「とにかく、誰も近寄らないように報せないと」  僕はふたりの妹の顔を思い浮かべ、あのじゃじゃ馬どもをどうして縛り付けておけるだろうか、と内心ため息をついた。 「頭が痛いよ。なんだってこの辺鄙なところに、工場なんか」  町会長はこめかみのあいだに手の平で影を作った。  異変はしばらくして起こった。  町の住人のなかに、失踪者が出たのだ。それも複数人。  それまで庭で草刈りをしたり、川に釣り糸を垂らしたりしていたひとが、振り返ってみると不意にいなくなっている。神隠しだ、と誰もが口をそろえて言った。町会長が駐在を呼び、山の奥まで捜してもらったが、町から出た形跡は見当たらなかったという。まるでそのまま空に吸い込まれたみたいに、忽然と姿を消したとしか言えない、と。 「大変なことだ。平和だけが取り柄の町だったのに」  町会長は皆を集めた席でそう愚痴をこぼした。僕は多くのひとが集まったということもあり、ここで宝石の件を話すべきだろうかと迷った。あの工場、ひいてはあの宝石のことが気がかりだった。突如起こったふたつの異変を結び付けるのは、果たして早急だろうか。 「町会長、宝石の件ですが」  と声を上げたとき、公民館のドアを勢いよく開ける姿があった。みんな目を剥いて彼を見た。彼は肩で息をしながらただひとこと、 「帰ってきた」  と言った。  果たして、いなくなったひとはみんな帰ってきた。彼らはそれぞれの家の寝具の上にいつのまにか寝ていて、声をかけると非常にぐったりとした様子で目を覚ました。どこに行っていたのか、いつ帰ってきたのかと問うと、 「覚えていない」  と首を振るばかりだった。隣町の診療所から医者を呼んで診てもらったが、どこにも異常はないらしい。ただ、医者はこう言いおいていった。 「ひどく疲れています。まるで、何日間も寝ずに働き続けたような」  そのことばを裏書きするように、失踪者はそれから三日ほど寝入り、また健康そのものの様子で目を覚まして日々の生活に戻っていくのだった。 「とにかく良かった」  と誰もが胸を撫でおろした。  しかし、それで終わらなかった。失踪は続いたのだ。ふとどこかへ三日ばかり、長ければ一週間もひとが消え、気づけば家のなかで眠っている。そのあいだに何をしていたかと聞けばやはり覚えていないという。この異変は立て続けに何件も起こった。  ただ、おかげで失踪者の共通点がわかった。彼らの住まいを捜索すると、決まって宝石が見つかった。あの工場に行っていたことも周りの話で分かった。 僕の不安は確信に変わりつつあった。ひとまず、僕にできることは家内の安全を守ることだけだった。ある晩、妹ふたりを呼びつけて居間の卓を囲んだ。 「お前たち、宝石はどうした。もう工場の敷地に返したんだろうな」 「もちろん」  下の妹がいたずらな笑みを浮かべた。 「もちろん?」  問いたださずにはいられなかった。 「えへへ」  妹たちは笑いながら眉を寄せると、目くばせして居間を出て行ってしまった。追いかけようかと思ったが、ふたりを信じることにした。この場合愚妹らを信じるという行為は、なかばやけくその捨て鉢の、なるようにしかならないという自暴自棄のことを指す。  ふたりの妹もやがて失踪した。宝石ひとつを枕元に残して。  これまでのことを考えれば必ず帰って来るだろう。それでも不安が残った。やはり宝石だったのだ。あのとき町会長に進言しなかった自分を恨んだ。そして悔やんだ。不可解なことばかりなのだ。妹たちが本当に帰って来るかどうかなんて分かりやしない。昼から家を出た。あぜ道を踏みしめて山道に入った。聞いていた道をたどった。細くうねうねと続くその道は湿ったにおいで満ちていた。工場の屋根が欅の葉のすきまに見える。周囲はフェンスで囲まれていたが、ところどころに野良犬が食い破ったような穴が開いていた。敷地の外をぐるりと回ってみた。宝石はもうひとつも落ちていなかった。  妹たちは、翌日には自分らの部屋で毛布にくるまって眠っていた。ふたりは自分たちが失踪していたことを知らされると驚いた。何も覚えていないのかと訊いても首をふるばかりだった。 「一個だけ、どうしても返せなかったの」  下の妹が言った。 「どうして」  と問い詰めると、上の妹が答えた。 「やっぱり病院がいいって話になったの……少しでもその足しにしようって」  僕は黙って卓を見下ろした。うつむくふたりの頭を撫でると廊下に出て、町会長に電話を入れた。彼はすぐに電話に出た。 「宝石をすべて返しに行きましょう」  町会長は無言だったが、ゆっくりと頷いたのがわかった。  妹たちの部屋に戻ると、ふたりはもう、それぞれのベッドですやすやと眠ってしまっていた。僕もカーペットの上に倒れて、いつのまにか夢のなかにいた。昨日からずっと、眠っていなかったのだ。 翌朝、すぐに町会長のところを訪ねた。 「あの宝石は、労働の対価だったんじゃないでしょうか」 「報酬ということか」 「ええ。失踪する時間は、取っていった宝石の数に比例するみたいです」  事実、妹たちは一日で帰ってきた。 「宝石を持ち帰ったものは、労働者に選ばれる……帰宅後のあの疲労は、まるで長いことどこかで働いてきたかのようです」  住人のみんなで宝石を戻しに行った。僕の推論を聴かせると、誰も嫌だとは言わなかった。一週間が経ち、以前姿を消した人々が返ってきた。失踪もぴたりと止んだ。みんな胸を撫でおろし、また日常の歯車がかみ合わさるかのように思われた。妹たちも全快した。安堵しつつ、もう工場へは立ち寄らないことを口酸っぱく言い含めた。話の終わりに、妹たちはにやにやしながら僕を見上げた。すっかり普段の調子だった。 「どうした」  と僕が促すと、 「これは噂だけれど」  と下の妹がいった。 「昨晩、大きな袋を背負って工場へ向かったひとがいるんだって」  と上の妹がいう。 「そのひとはどうなった」 「まだ帰ってきていないんだよ」  ふたりは声をあわせた。  そのひとが誰かはすぐにわかった。町会長が失踪したのだ。宝石は公民館の金庫に保管してあった。金庫のなかには、丁寧かつ太い字で書かれた紙切れが一枚。 「町のために使ってくれ」  やがて町会長が帰ってきたころ、ちょうど工場は取り壊された。いつからその工事が始まったのか、そしていつ終わったのかすらもわからなかった。今でも立ち入り禁止のゲートが山道の入り口には設置されたままだ。あの敷地の宝石がどうなったのか、だれも知ることはできない。町会長の持ち帰った宝石も金庫からごっそりなくなっていた。紙切れ一枚、そこに残して。 「あの工場はなんだったんだろうな」  と、しばらく月日が経ってから、思い出したように町会長はこぼした。その顔にわずかばかり強気な表情が浮かんでいるのを見ながら、知りませんと答えた。  あれはたぶん、あちこちの土地で労働力を求めている。そして永遠にさ迷う。飢えと渇きを携えて。工場とは、そういうものだ。  じきに妹たちは都会の寮制の学校へ行ってしまった。ふたりは時折実家に顔を見せては、両手にあまるほどに土産を買ってくる。あのときと同じ卓のうえに、ばらばらと土産の箱を置くのを見るにつけ、僕はあのころの話をしようかと迷い、いつもやめてしまうのだった。  妹たちの夢は、町に病院を作ることだという。
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