蛇のように

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 時計の修理のことをポツポツと話す彼は、かわいらしかった。それなのに私は、時計のことは興味がなかった。時計職人なんて少し格好いいとは思うが、突っ込んで話を聞く気分にはなれない。本来おしゃべりではない青井は、すぐに沈黙する。私も話すことはないので、黙っている。そんな時間は、悪くなかった。 「奥様、今日はなにかの記念日ですか」 「別になにもないわよ」 「ご機嫌のようなので」 「強いて言えば、パテックのオーバーホールが終わったからかな」 「よかったですね。そのパテックは本当に美しい。奥様にお似合いですね」 「そうかしら。こんなに小さくて細いのが」 「ぴったりですよ、おきれいです」  青井の視線が左手首に絡みつくのを感じた。そんな目をするのね。私は初めてこの男の「男」を見た気がした。胸がちりちりと痛む。恋をしているわけでもないのに、不思議な感触があった。最後のコーヒーを飲み干す。 「おいしかったわね。うちまで送ってくださるかしら。もう遅いから」  青井がうなずくのをしばらく見つめて、立ち上がった。酔いが回って、少しぐらつく。左のこめかみを押さえると、青井の手が伸びてきた。 「大丈夫ですか」 「大丈夫よ。少しくらっときただけだから」  こめかみに触れた左の手首から、微かに時計の針の音が聞こえる。とてもとても小さな音で、ほとんど消え入りそうだ。時計の修理に集中する夫の顔が、ふと脳裏によみがえる。よみがえって、霧のように消えた。  自宅の玄関で立ち去ろうとする青井の手首に、そっと指を絡めてみる。指先で彼の皮膚を、ゆっくりと撫でる。 「青井くん、あなた、オーバーホールできるわよね」 「え、ええ、まあ」 「オーバーホール、して。私を」  引き寄せて、背伸びして、口づける。コーヒーの香りがする。誰にも見つめられていなかった私の瞳に、ようやく光が当たる。オーバーホールは簡単な作業ではない。職人のこの男にこそ、ふさわしい。
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