35人が本棚に入れています
本棚に追加
/153ページ
格子なき牢獄
1938年、日本公開1939年、
フランス映画。
監督:レオニード・モギー
脚本:レオニード・モギー 、
ハンス・ウイルヘルム
撮影:クリスチャン・マトラ 、
クロード・ルノワール
音楽:ウィル・グロス
【出演者】
コリンヌ・リュシエール
アニー・デュコー
ロジェ・デュシェーヌ
ジネット・ルクレール
【ストーリー】
深い愛情を持って接してくれる感化院の院長に、次第に心を開き始めた不良少女のネリー。
だがネリーが院長の恋人の保険医を好きになってしまったことから、事態は思わぬ方向へ……。
■レオニード・モギー監督による名作少女映画。
■ヴェネツィア国際映画祭で大衆文化大臣賞を受賞。
◼️戦争を逃れてハリウッドに渡ったレオニード・モギー監督は、「明日では遅すぎる 」(1950年)で、ヴェネチア映画祭、最優秀イタリア映画賞を受賞したものの、「格子なき牢獄」を超える作品はありませんでした。
他にもフリッツ・ラング監督など、戦火を逃れてハリウッドへ渡った監督や俳優もいましが、戦前のように活躍出来たのはほんの一部です。
●不良少女ネリーを演じたコリンヌ・リュシェール。
撮影当時、16歳。
ナチスのフランス占領下で、1944年5月10日にオーストリア人のドイツ空軍将校との間に娘(ブリジット・リュシェールと名づけられ、のちにフランス貴族と結婚)を儲ける。
1944年8月パリ解放の後、自殺を図ったが死にきれず、父親とヴィシー政権閣僚とともにドイツ・ジグマリンゲンに移送される。
その後、父親と共にイタリアのメラーノに逃れるが、1945年5月に逮捕される。
ヴィシー政権の亡命政府の閣僚になっていた父親は1946年2月に銃殺刑となる。
父のジャン・リュシェールは処刑の際、目隠しを拒み、「フランス万歳」と叫んだという。
彼女は頭を坊主にされ、対独協力の罪で投獄される。
国家侮辱罪により10年間の市民権剥奪。
メディアには「オットー・アベッツの愛人」「ナチの高級売春婦」と書かれ、そのイメージが広まる。
1949年、ニースの病院で結核の療養中であったが、女優としてカムバックする夢を捨ててはいなかった。
その計画は『格子なき牢獄』のレオニード・モギー監督によって実現されるはずであった。
モギーは新作の主演女優にコリンヌを想定していたのである。
が、コリンヌの病状は悪化の一途を辿っていた。
無理に退院した彼女は、1950年1月22日、パリの道端で血を吐いて倒れているところを発見された。
病院に担ぎ込まれた時にはすでに息絶えていた。
1948年に釈放され、1949年に自伝を出版した。
結核により1950年1月に死去。
享年28歳。
●ハンサムな保険医、ギィ医師を演じたロジェ・デュシェーヌは、将来を嘱望されながらも1944年9月27日、ゲシュタポに協力した罪で潜伏中のパリで逮捕。
1955年にはメルヴィル監督の『賭博師ボブ』に主演し、カムバックを果たした。
●不良少女ルネを演じたジネット・ルクレールは、ドイツ系映画会社の「コンチネンタル・フィルム」に協力した罪で1年間の活動禁止処分を受けた。
●キャメラを担当したのはクロード・ルノワールで、印象派の画家オーギュストの息子。
ジャン・ルノワール監督と俳優ピエール・ルノワールの兄弟。
★スターダスト感想
コリンヌ・リュシェールの眩しいほどの輝きにつきます。
この作品の成功はネリーを演じたリュシェールにあるといっても過言ではないでしょう。
他の俳優たちや脚本、撮影、監督の手腕も素晴らしく、是非見て欲しい名作です。
![8d1ffdbf-68b0-406a-9789-c198e51d1217](https://img.estar.jp/public/user_upload/8d1ffdbf-68b0-406a-9789-c198e51d1217.jpg?width=800&format=jpg)
![e9ea1e0e-e325-43ac-b4ba-eea90930d7e1](https://img.estar.jp/public/user_upload/e9ea1e0e-e325-43ac-b4ba-eea90930d7e1.jpg?width=800&format=jpg)
最初のコメントを投稿しよう!