格子なき牢獄

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格子なき牢獄

1938年、日本公開1939年、 フランス映画。 監督:レオニード・モギー 脚本:レオニード・モギー 、    ハンス・ウイルヘルム 撮影:クリスチャン・マトラ 、    クロード・ルノワール 音楽:ウィル・グロス 【出演者】 コリンヌ・リュシエール アニー・デュコー ロジェ・デュシェーヌ ジネット・ルクレール 【ストーリー】 深い愛情を持って接してくれる感化院の院長に、次第に心を開き始めた不良少女のネリー。 だがネリーが院長の恋人の保険医を好きになってしまったことから、事態は思わぬ方向へ……。 ■レオニード・モギー監督による名作少女映画。 ■ヴェネツィア国際映画祭で大衆文化大臣賞を受賞。 8d1ffdbf-68b0-406a-9789-c198e51d1217 ◼️戦争を逃れてハリウッドに渡ったレオニード・モギー監督は、「明日では遅すぎる 」(1950年)で、ヴェネチア映画祭、最優秀イタリア映画賞を受賞したものの、「格子なき牢獄」を超える作品はありませんでした。 他にもフリッツ・ラング監督など、戦火を逃れてハリウッドへ渡った監督や俳優もいましが、戦前のように活躍出来たのはほんの一部です。 ●不良少女ネリーを演じたコリンヌ・リュシェール。 撮影当時、16歳。 ナチスのフランス占領下で、1944年5月10日にオーストリア人のドイツ空軍将校との間に娘(ブリジット・リュシェールと名づけられ、のちにフランス貴族と結婚)を儲ける。 1944年8月パリ解放の後、自殺を図ったが死にきれず、父親とヴィシー政権閣僚とともにドイツ・ジグマリンゲンに移送される。 その後、父親と共にイタリアのメラーノに逃れるが、1945年5月に逮捕される。 ヴィシー政権の亡命政府の閣僚になっていた父親は1946年2月に銃殺刑となる。 父のジャン・リュシェールは処刑の際、目隠しを拒み、「フランス万歳」と叫んだという。 彼女は頭を坊主にされ、対独協力の罪で投獄される。 国家侮辱罪により10年間の市民権剥奪。 メディアには「オットー・アベッツの愛人」「ナチの高級売春婦」と書かれ、そのイメージが広まる。 1949年、ニースの病院で結核の療養中であったが、女優としてカムバックする夢を捨ててはいなかった。 その計画は『格子なき牢獄』のレオニード・モギー監督によって実現されるはずであった。 モギーは新作の主演女優にコリンヌを想定していたのである。 が、コリンヌの病状は悪化の一途を辿っていた。 無理に退院した彼女は、1950年1月22日、パリの道端で血を吐いて倒れているところを発見された。 病院に担ぎ込まれた時にはすでに息絶えていた。 1948年に釈放され、1949年に自伝を出版した。 結核により1950年1月に死去。 享年28歳。 e9ea1e0e-e325-43ac-b4ba-eea90930d7e1 ●ハンサムな保険医、ギィ医師を演じたロジェ・デュシェーヌは、将来を嘱望されながらも1944年9月27日、ゲシュタポに協力した罪で潜伏中のパリで逮捕。 1955年にはメルヴィル監督の『賭博師ボブ』に主演し、カムバックを果たした。 ●不良少女ルネを演じたジネット・ルクレールは、ドイツ系映画会社の「コンチネンタル・フィルム」に協力した罪で1年間の活動禁止処分を受けた。 ●キャメラを担当したのはクロード・ルノワールで、印象派の画家オーギュストの息子。 ジャン・ルノワール監督と俳優ピエール・ルノワールの兄弟。 ★スターダスト感想 コリンヌ・リュシェールの眩しいほどの輝きにつきます。 この作品の成功はネリーを演じたリュシェールにあるといっても過言ではないでしょう。 他の俳優たちや脚本、撮影、監督の手腕も素晴らしく、是非見て欲しい名作です。
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