追悼するもの

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日記、というほどではないですね。 手帳の三行程度のスペースに書くだけ。当然、短い文章しか書けません。 でも短いからこそ、貴方がその日に本当に伝えたかったことだけが書かれている。 貴方は比較的能天気というか、さっぱりとした性分で、ちまちまと日記なんて毎日つけられるのかしらと最初は思いました。 書き始めたのは、子供が出来たと分かった日。 『今日より日記をつける。春子が妊娠。今から子供が生まれるのが楽しみでならない。より一層仕事に励む。』 お世辞にも上手とはいえない癖のある字で、こう書いた貴方。内容、覚えてるかしら。貴方は書いた日記を読み返すなんてしない人だったから。常に書いたら書きっぱなし。 それから、日々のことを貴方は記しました。仕事で何があったかや、嫁とのやりとりや、体の具合について。それらは、とても普通で、とても平凡で、なんの変哲もないものでした。 出産予定日だと言われた日付を、ぐるぐるとペンで囲いましたね。ちょうどその日に子供が生まれました。 大きな赤い字で『春子出産!!』と書いて『母子ともに健康。03:24に生まれる。3248グラムの男児。可愛い。』と、書き記した貴方。 短い文章の中に、貴方が大切だと思う情報と“思い”が詰まっています。 翌日の日記はこうです。 『子、《豊》と命名。祝いをもらう。庭の草むしりをした。』 ここで草むしりの情報いる?と思いましたけど、まあ、あなたにとっては書きたいことだったのでしょう。貴方は、そういうところがあるから。 貴方はその後、豊くんについても色々と書きましたね。その時必ず《豊》とカッコをつけて書いていたのは、それだけ貴方にとって大事で、特別な存在だったからなのでしょう。 それから、貴方は他愛もない、ごく普通の毎日を日記に書いていきました。 《豊》の成長、妻のこと、家族の体調の変化、親戚や友人とのやりとり、仕事のこと、はては散髪にいったことや、爪を切った日、庭の草むしり、いつストーブを出したか、いつ寝間着を夏物に変えたか、そんなことまで書いていましたね。意外とマメな人だったようです。 《豊》が就職して家を出るとき、貴方は《豊》に対して「頑張れよ、」とあっさりと言っていたのに、日記では、 『《豊》がいなくなった。家が広くなってしまった。寂しい。』 と、書いていました。あれこれと書かず『寂しい』という一言だけでしたが、その一言に、すべての気持ちが詰まっていたのだと思います。
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