追悼するもの

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『大学病院にて、椎間板ヘルニアと診断される。今月末入院となった。本当は来週入院できたが、《豊》たちが帰省するので断った。』 『春子、手足がピリピリすると。病院に付き添う。血液検査した。帰り道、二人で蕎麦を食べる。美味かった。家に帰って日本酒を飲む。』 『春子、検査異常なし。神経痛の類い。《豊》たちが帰ってきた。《葵》が伝い歩きをするように。腰の痛みも忘れ《葵》と遊ぶ。』 『《葵》を連れて墓参りへ。その後、《葵》にぬいぐるみを買い与える。長く歩いたせいか疲れた。腰がピリピリと痛い。』 『《豊》たちが金沢に戻る。寂しくなるナ。春子と新しくできたスパゲッティ屋に行く。美味しかった。腰が痛い。』 貴方は、本当に家族が大好きでした。家族について、あれこれ書いていました。朗らかで、あっさりとしていて、人の良い貴方は、一見すると能天気なのですが、妻を、息子を、嫁を、孫を、常に思っていました。 『入院した。早く家に帰りたい。やることがなくてつまらない。隣のベッドの人と野球について話す。手術は明日。』 ますます増えてきたのは、やはり体調面の話ですね。腰は手術をして多少は良くなったものの、それでもやはり痛いと言っていました。私はちゃんと覚えています。 貴方は、その後も日記を書き続けました。書くことがない日も『今日は何もしなかった。』とだけ書いていました。 《豊》たちが帰省する日は、いそいそと日付に星印をつけていた貴方。 みんなの誕生日を手帳の後ろに書いていた貴方。 《豊》が昇進した日は、それを大きな字で書いていた貴方。 《葵》の成長について、事細かに書いていた貴方。 妻と一緒に旅行に行って、過去最高に小さい字で様々なことを書き残した貴方。 『健康第一で、今年もがんばるぞ』 気づけば、貴方は80歳を超えていました。 『最近坂道が辛い。歳だな。』 昔は、もっとマメにあれこれ書いていたのに。 いつ散髪に行ったのか、いつ爪を切ったのか、いつストーブを出したのか、いつ梅雨明けしたのか、いつ初物のカツオを食べたのか、 すべて、書き残していたのに。 『卵焼きと煮魚を買って食べる』 『一日テレビを見た』 『《豊》はコロナのため帰省難しいと。』 『一日うとうとしていた』 『送ったメロンに対して《葵》からお礼の電話あり』 『病院に行く』 ここのところ、日記は一言だけになっていました。 それは、書くことがないのか、 はたまた、体力的に書けないのか。 そのうち、 毎日だった日記が、数日おきになりました。
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