記録係のマモルくん

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「ねぇ、覚えてる?」  そんなふうに軽い気持ちで聞いたこと。  それがきっかけになった。    今思えば。 「何ですか?」  マモルくんは眼鏡をずり上げながら、わたしの顔をのぞきこんだ。  その仕草が好きなの。  いっしょうけんめいな感じ。  いっしょうけんめい、わたしの話を聞こうとしてくれる。  マモルくん、顔、近い。 「マモルくんが、わたしのことを(こと)ちゃんって、呼んでくれるようになって、今日で1か月なの」  ひょろっと長くて眼鏡なマモルくん。  やせっぽちで猫背のマモルくん。  お昼休みにカート・ヴォネガットを読んでるの。  眼鏡と前髪に隠された瞳が、けっこう切長で色っぽいの。そういうこと、誰にも、わたし以外の誰にも知られたくなかった。  だから、わたしからマモルくんに「付き合って下さい」って言った。 「罰ゲームですか?」って、マモルくんは3回確認した。  3回も。  わたしは悲しくて恥ずかしくて泣きそうになった。勇気を出したのに。  わたしの泣きそうな顔を見て、マモルくんは慌てた。 「付き合いましょう、琴子(ことこ)さん」  しばらくの間、ずーっとマモルくんは敬語でわたしに話しかけ続けた。 「琴子さん、コロッケパンと焼きそばパンは、どちらが栄養に偏りがありますか?」  とか。 「今日は図書委員の仕事があるので、琴子さんと一緒に帰れません」  とか。 「琴子さんは、最古の原人が2001年に発見されたのを、ご存知ですか?」  とか。  付き合って1か月目の日に、思い切って言った。  せめて、琴子さん、は()めて。 「琴ちゃん」  マモルくんは下校途中の坂道で、何回も練習した。  マモルくんの耳が赤いのは、夕焼けのせいかしら。  今日はあの日よりも、もうちょっと日が短くなって、ちょっと肌寒くなってきた。 「あのね。だからね。マモルくんが琴ちゃんって呼んでくれるようになって1か月で、付き合って、ちょうど2か月なんだよ」  マモルくんは、雷に撃たれたみたいに、立ち止まった。 「そういうのって、大事なんですか?」  マモルくん、顔、近い。 「そういうのって?」  マモルくんの瞳が近くって、唇が近くって、わたしはどきどきしていた。  でも、このときマモルくんの脳内を貫いたものは、わたしのどきどきの比ではなかった。  ……と、いうことをわたしはのちに知る。 「その、付き合って、何ヶ月とか」  マモルくんはわたしの両肩に手を置いた。 「大事だよ。マモルくんとふたりで何をしたか、覚えておきたいもの」  女の子は記念日が好き。  そんな軽い気持ちだった。  この日を境にマモルくんが記録の鬼と化すとは、予想もしていなかったのだ。
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