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『第8話』
「これも、ちょっと長いので、切り分けてお召し上がりください。 幸子より」
🍞 🍰
アヤ湖に集った池の女神様たちは、実際には、いま何が起こっているのか、まだ知らなかった。
御祈りを終えた、アヤ姫様の口から、女王様のお言葉が流れ出すまでは。
「みなさん、わたくしは、女王ヘレナです。」
アヤ姫様は、じっと目を見開いて、女神様たちを見回しながら、話し始めた。
しかし、その話し方は、アヤ姫様の話し方ではなくて、女王様、その人の話し方だった。
「本当は皆様のところに、お邪魔したいのですが、今、わたくしちょっと忙しいのね。なので、アヤ姫様にお話しいただきます。と言っても、アヤ姫様の中に、どかん、と一時的にわたくしの『人格』・・・人ではありませんけれどね・・・をインプットいたしましたので、このお話をしている間は、アヤ姫様は正真正銘、わたくし自身になっています。また、これから皆様がおっしゃることは、ちゃんと、わたくしに伝わります。」
「女王様!」
幸子さんが叫んだ。
アヤ姫様=女王様が幸子さんを微笑みながら見つめた。
「幸子さん、お饅頭、いっしょに食べたかったんだけど、でも、こうしてアヤ姫様のお体が食べてくださるから、それで勘弁して下さいね。」
「はい、わかりました。ぜひ、どうぞ。」
「ありがとう、幸子さん。」
池の女神様たちが、うれしそうに笑った。
「では、皆様、お饅頭を頂きながら、リラックスして聞いてください。ただし、内容は、結構シビアですよ。まず、地獄について、申し上げます。」
アヤ姫様=女王様はちょっと間を置いた。
「今回の騒ぎの結果、地獄は三つに分断されました。真ん中の部分が、抜け落ちたような格好なのです。わたくしに言わせれば、地獄長様と副地獄長様が、わたくしに対する反乱をおこした結果、こうなった、という事なのですが、まあ、あの方たちからみれば、わたくしの支配から解放された、つもり、なのでしょう。しかし実際は、彼らは今でもわたくしの手の中から一歩も出られておりませんけれど。まあ、仕方ないので、残りの部分をくっつけちゃいました。そこで、これからは、新しい地獄作りに取り組むことになります。新しい地獄長には、人事課長さんを昇進させます。 で、副地獄長さんには・・・アヤ姫様に就いていただきます。」
「えー!」
女神様たちが驚いて声をあげた。
「それじゃあ、アヤ湖はどうなるのですか?」
「アヤ湖には、わたくしの分身を置きます。」
「ブンシン? ってどなたですか?」
幸子さんが尋ねた。
「分身は分身ですわ。見た目は、わたくしそっくりに作った、移し身、コピー、ですの。ただし25歳になった、わたくし、という、想定ですのよ。ほら、この子なの。」
女神様たちの前に、突然、とてつもなく美しい、やや薄い輝く褐色の肌をした女性が現れた。
長い髪は、たしかに現在の第一王女様と同じ。
でも、体はもっとしっかりした大人の体で、昔の人間たちが想像した様な、肌もあらわな『女神様』そのもという感じだ。
「ね、この子、わたし、なの。 遺伝子的にも、記憶の中身も、性格も、意識も、すべて、わたくし自身よ。でも、本物じゃあないわ。わたくしの意志で、いつでも、ぱっと消えていなくなるの。ただし、世の中が落ち着いて、新しい地獄が完成したら、アヤ姫様に、ここに戻っていただく積りです。この子はそれまでの代役なわけ。仲良くしてあげてね。」
女王様の分身が、にっこりして挨拶をした。
「みなさま、わたくし、ヘレナニアと申します。どうぞよろしく、お願いいたします。」
「同じ名前だと、こんがらがるからね、ちょっとだけ付けたしたのよ。」
ヘレナが補足した。
「さて、では、女神様の皆さまに、申し上げます。地球は、もうすぐ、火星人によって支配されます。地球の代表者は、わたくしの妹たち、ヘネシー様と、ルイーザ様が務めます。わたくしは、当分無役なの。気楽なものなのよ。でも、地球と火星の絶対的な支配者は、実は、わたくし、ですけれど、まあ、口をはさむつもりは、ほとんどありません。ちょっと気がかりなのは、ブリューリという怪物が、封印を解いて、火星から逃げ出した事なの。もしかしたら、女神様たちに、ひと肌脱いでいただくことに、なるかもしれないの。その時は、よろしくね。」
「はい、わかりました。もう、まかせてください、女王様。」
幸子さんが元気よく答えた。
でも、あまりよくは、分かっていないらしい。
すると女神様たちが、また、くすくすと笑っている。
「ありがとう、幸子さん。お饅頭沢山食べて、がんばってね。」
「え、じゃあ、幸子はまだ『不思議が池』にいて、いいのですか?」
「ええ、いいのよ。わたくしは、幸子さんを異動させる気なんか、もとからないわ。」
「やったああ。」
幸子さんは飛び上がって喜んだ。
「で、女神様たちのお役目は、基本的には同じよ。ただし、これからは、食べる人間の種類が変わります。いいわね、これまでは、いわゆる悪人、犯罪者、罪深い人、を食べていただいていましたが、今後は少し違うの。これからは、そういう意味の悪人は、少なくなるわ。そこで、いい、これからは、新しい社会の中で、不感応だったり、不適応だったり、背徳者だったりする人の中で、自ら『異世界』に行く事を希望する人を、食べてください。そういう方が、池に来るように、しむけますからね。いいですか?」
「解りました。かなあ・・・・」
こんどは、女神様たち全員が、声を合わせて、ちょっと不安そうに答えた。
「ええ、いまは、それで、いいの。だんだん分かって来るから。これからは、地獄も変わりますよ。少しずつ、みなさんにも、ぜひ新しい地獄の見学に来ていただくようにいたしますわ。アヤ姫様・・・」
「はい、女王様。」
同じ、アヤ姫様の体が答えた。そうして、同じ体がまた同じ声で話したが、語調は女王様のものだった。
「あなたは、弘子、ヘレナとしてのわたくしの、ご先祖様であり、また、わたくし本体の、子孫でもあるわ。これから、しばらく、あなたのお力を、お借りします。いいですわね? 異存ないわね。 過去は過去として。」
「わかりました。」
尋ねた同じ体が、違う語調で答えた。
「ありがとう、アヤ姫様。」
女王様(=アヤ姫様)が、頭を下げた。非常に珍しいことだ。
いったい、この二人に昔、何が、あったのだろう、と幸子さんは心の中で考えた。
「では、細かいことは、その都度、お伝えしますわ。じゃあ、がんばってね。」
そう言うと、アヤ姫様は、はっと我に返った。そうして、にっこりとほほ笑んだ。
女王様とヘレナリアは、そのまま消えてしまった。
(王国の写真がないので、ちょっと古いピンボケの新宿で代用しました。)
その不思議な送迎自動車の中は、すでに超豪華ホテルの室内に入っているような感じだった。
「すっごい車ね。これ運転手さんが見えないわ。」
「ああ、僕のアパートの前の道なんかには絶対に入れない。君んちは入れそうだけどね。」
「まあね。でも、それに、ほら見て、通りがかりの人が、こちらを見て、頭を下げたり手を合わせたりしているわ。」
「まるで、霊柩車のようだね。」
「ばかね、地獄に居すぎたのね。敬意を表しているというべきよ。この車、ただの車じゃなさそうね。」
「ああ、でも凄い眺めだね。東京と変わらない位だ。」
「そう、綺麗でしょう。なつかしいわあ。」
「どっちが?」
「昔ここに来たのが、よ。」
「そうか。君、日本に帰りたい?」
「あなたは?」
「帰りたくない、というか、帰れそうにない。地上に戻ったらすぐ直るかと思ったけど、足の指なんか、まるで原人クラスだし。足自体も随分太くなってる。体も。腕もね。 実際、かなり毛深いし、何だか顔もすごくゴツゴツしてるし、もう僕じゃないみたいになっている。まるでオカルト映画みたいだ。」
「大丈夫。男らしいわ。前よりも、ずっと。ステキ。」
「そうかあ?」
「ええ、自信持って。ほら。」
彼女は、男の方に、ぐっと力を入れて近寄って来た。
自然に、彼女の体を抱きよせるような形になってしまった。
「帰らなくていい。ずっとここに居てもいいの。あなたとなら。」
「良く言うよ。仕事もないし、 それに、大体どうやって入国したの? パスポート要求されたりしたら、アウトだな。」
「さあ、でもね、これってつまり、この王国の偉い人が、本当に絡んでいるってことでしょう。」
「王女様とかって、あの幸子さんが言っていた。」
「それよ! なんだか凄く面白いでしょう? わくわくしない?」
「君って、探偵の趣味があったっけ?」
「そうね、自覚してなかったけど、探偵と言うよりも、探検家ね。なにか目覚めた感じなの。不思議だけれど、わたしも、人格が変わったみたい。父の事を考えて、うじうじしていたのが、もうまるで嘘みたい。すっきりした。」
そのやや古い(レトロな)超高級自動車は、タルレジャ王国の運河沿いの広い道を、まっすぐに、まん前に天まで起ちあがっている、超高層ホテルに向かって進んでいた。
だんだん人通りが多くなってきている。
座席の上方に光っているデジタル時計は、午後9時少し前を表示していた。
質素なイメージが強い、タルレジャ王国の街の中でも、ここだけは例外で、夜もまったく休息しない。
ニュ-ヨークやパリ、東京のような賑わいを見せていた。
「むむ、これは物凄い建物だな。」
「そうでしょう。高いだけじゃなくて、どっしりとした威圧感があるよね。」
「ここは地震はないの?」
「いえいえ、時にはあるみたい。でも、怖いのは揺れ自体よりも津波のようなの。」
「ふうん。」
「ほら、着いたみたい。でも、ぐるっと回っている。まあ、地下に入ってゆくわ。こんなゲートがあったんだ。」
自動車は巨体を少し揺らしながら、左にゆっくりと何回か旋回し、そうして、やがて明るい照明が、両側の壁にずらっと連なった平坦な場所に出ると、ほどなく地下の玄関に到着した。
それは、地上の玄関を圧倒する位にきらびやかで、しかもゆったりとした、高級感の充満した、夢のような空間だった。
「うわ、これは、すごいな。こんな玄関見た事がない。」
「まるで、おとぎ話の中に居るみたいね。」
「でも、こんな恰好で降りるのは、なんだか憚られる感じがする。」
「わたしも、もうぐちゃぐちゃよ。いいじゃない、招待されてるんだから。」
車は、ゆっくりと停車した。
すると、カッコいいとしか言いようのない制服を着た男の人が、運転席から降りて、左のドア側に立った。ホテルの中からは、ぱりっとしたスーツ姿の男と、タルレジャ王国の民族衣装を着た女性が出迎えに出てきた。
この二人が、所定の位置に付いたのを見て、運転手は二人の横の大きなドアを開けた。
「どうぞ、お降り下さい。到着いたしました。」
非常に美しいバリトンの声が、日本語で話した。
まず、彼が降りた。はっきり言えば、人間のようだけれど、どこか鬼に近いような姿の宇宙人が、車から出てきた、という情景だった。しかし、その汚れ具合が、とてもよく似合うような、そんな感じでもある。
それから、本命の王女様が降りてくるように、彼女が現れた。
顔中、泥や埃で汚れていたが、巧みな照明効果の中で、映画女優のように、不思議に輝いて見えた。
「いらっしゃませ。本日は、ようこそタルレジャ・ハイ・ホテルにお越しくださいました。わたくし、支配人のドット・ソンと申します。こちらは、お二人のお世話をいたしますチームの主任、アリムです。」
支配人は、ちょっとヨーロッパ人風の発音だが、きちっとした日本語で挨拶をした。
露出の多い、タルレジャ王国らしい民族衣装の女が、こちらは非常に正しい日本語の発音で挨拶をしてきた。
彼女は素足だった。
それは、自分たちを安心させるための、策略なのだろうか、と彼女は裸足のままの自分の足を見た。手にはハイヒールをぶら下げているが、彼だけに、恥ずかしい思いをさせたくはなかった。
しかし実際は、この王国では、これであたりまえの事だったのだけれども。
「よくいらっしゃいました。お二人を、心から、歓迎申し上げます。アリムでございます。よろしくお願いいたします。」
「あの、はい、こちらこそ、よろしくお願いします。」
「では、こちらにどうぞ。」
支配人が、玄関の中に案内をしてくれた。
「まあ、すごい。これは、表の玄関なんか比べ物にならないくらい、すごい。」
そこは、たしかに決して飾り立てた、というモノではないけれど、気品にあふれた、できたての古代の王宮というような場所だった。
「この玄関は、王室関係の方と、その賓客の方だけがご利用になるものでございます。」
支配人が言った。
「いやあ、ぼくたちは、普通の人間、です。どうしてこんな・・・。」
彼が、自分を『普通の人間』、と言うのには、いささか違和感が漂った。
しかし、支配人はきっぱりと言った。
「お二人は、本日、第一王女様のお客様でございます。王国最高レベルの、おもてなしを致しますのは、当然でございます。」
「はあ・・・」
会った事さえない王女様から、お客様、と言われてもなあ・・・。と男は思ったが、特に嫌がる理由はない。
「こちらの女性の立像は、紀元前150年ころに、この王国で作られたと言われております。これは、国宝とされております。今の王女様に良く似ておりまして、ご先祖さまであるからだろう、と言われたりしております。 実際そっくりなのですが。」
「はあ、国宝、ですか。えらくあっさりと置いてありますねえ。」
彼がその巨大な立像を見上げながら言った。
「まあ、ここ自体が、博物館の中のような場所でございますので。それから、こちらの、この置物は・・・・」
支配人が、あくまで客観的に、時間の中に取り残されたように、静かに展示されている物たちを、紹介してくれた。
どれも、国宝または、国宝クラスで、ここに置かれて以来、外に出た事はないものばかりだと言う。
「すべて、ここでなければ、ご覧になれないものでございます。」
「以前は、どこにあったのですか?」
彼女が尋ねた。
「すべて、王宮か、タルレジャ教のご本殿内に所蔵されておりましたが、公開された事は、まったくございません。写真は、一度だけ立派なアルバムになって、公表されているのですが、今は入手しづらくなっております。もしオークションに出しましたら、想像できないくらいのお値段が付くと、伺っております。もっとも、第一王女様は、来年日本で、これらを公開する準備をしておられるように、聞いておりますが・・・。」
「はあ、日本でですか?」
「はい、日本は、第一、第二王女様にとっては、故郷でもございますので。」
「それは、知っています。」
「けっこうでございます。 ですから、わたくしどもにとって、日本からのお客様は、みな大切な方々なのです。」
「それは、どうも、ありがとうございます。」
彼女が応じた。
しかし彼は、向こうの壁にかかる、大きな肖像画に気を取られていた。
それは、かの『皇女エリザベート』の、あの有名な肖像画に引けを取らないくらいの美しい絵だった。
「ああ、あれでございますね。あちらは、伝説の王女様、アヤ姫様の肖像画でございます。一般に良く知られております肖像画も素晴らしいのですが、こちらは、まあ、別格、と、申しますか、まるで吸い込まれる様な、ちょっと不思議な感覚を覚える・・・・見た方ほとんどの方が、そう申されます。わたくしも、もちろん、そうでございます。 どうぞ、お近くで・・・。」
それは、確かに、言葉は良くないが、ある種異常なほどに、美しかった。
「まあ、これが人間だとしたら、怖いくらい美しいわね。」
「ああ、吸い込まれると言うか・・・食べられそうなくらい、だね。」
本当にそうだった、薄っすら開いたその口元に、もう、自分から食べられたいと、心の底から祈ってもいいくらいの、絶望的なほどに、神秘的な姿だったのだ。
「アヤ姫様の伝説って、知ってる?」
彼女が彼に尋ねた。
「いや、なんだか、聞いたような気もするけど、今は何も知らない。」
「あとで、教えてあげるわ。」
そんな小声の会話を、聞いたか聞かないか、支配人がそっと呟くように言った。
「この絵には、実は、不思議な言い伝えがございます。」
「そうなのですか?」
「はい、実は、深夜、真っ暗な闇の中にこの絵を置いておきますと、中からアヤ姫様が浮き出てきて、もし周囲に人がいると、食べられてしまう、と。」
「そ、それは、怖い、です、ね。」
彼女が低く言った。
「はい、さようでございます。なので、このフロアーは、絶対に照明が落ちないように、なっております。・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・す・・・・。」
「ははは、いや、失礼申しました。どうぞ、こちらに。お部屋にご案内いたしましょう。」
支配人は、さっさと案内を再開した。
「あれが、支配人のお得意なのです。」
アリムが、楽しそうに補足した。
「はあ、それは、なるほど。」
彼女が頷いた。
「でも、あの話は、本当なのです・・・。 実際に食べられた人、知っておりますから。」
「え?」
「ふふふ、さあお部屋に参りましょう。」
アリムも、さっさと歩きだした。
「あああ、待ってください。ほら行きましょう。」
彼女は、魔法にかけられたように、まだアヤ姫に見とれている彼を、腕で小突いて引っ張った。
支配人はエレベーターホールの入口で待っていた。
「さあ、どうぞ、こちらから最上階のお部屋まで直通でございます。」
「あの、わたしたち、記帳もしていませんよね。」
「大丈夫です、特に必要ございません。」
「それは、また、あの、どうしてですか?」
「第一王女様からの、お申込みだからででございますよ。王室のご対面もございますから、私どもといたしましては、問題ありません。」
今度は、彼が尋ねた。
「あの、もしかして、法に触れないのですか?」
「ああ、なるほど。 このホテルは、王室の所有なのです。通常はビジネスですが、王室の南島における宿泊所でもあります。お二人のお部屋は、いわば王宮の中なのです。」
「はあ・・・・・。」
「どうぞ、お乗りください。」
二人はエレベーターの中に入った。
『エレベーター』、と言うよりも、すでに『豪華な部屋』というべきものだ。
「すごいですね、これを上げたり下げたりするのは、相当な力が要りますね。」
「第二王女様が、開発されたと伺っております。」
「それは、さすが。まだ高校生でいらっしゃいますよね。東京で。」
「よくご存じでございますね。ただし、並みの高校生ではありません。あなた様は、研究者でいらっしゃいますか?」
「いえ、ただタルレジャ王国の事は好きなので、色々本は読んでいます。でも、このエレベーターの事は、何も書いていなかったと思います。」
「まあ、別に秘密ではございませんが、特に、宣伝は、いたしておりませんので。」
支配人はあっさりと言いながら、大きなボタンを押した。
アリムが最後に乗り込んできていた。
初めのうちは、四面壁の『部屋』みたいだったが、間もなく一面が、透明な全面ガラスのようになり、そこに首都タルレジャの夜景が、全く突然に押し寄せてきた。エレベーターの中の照明は、低く落とされていた。
「うわあー、すごいー。」
彼女が叫んだ。
「外からは、この中は見えません。ロケット弾で撃たれても、びくともしませんし、外から会話をチェックする事も不可能になっております。 あ、日本の方には少しキツイ言い方かもしれませんが、これが結構好評なもので。特に政情が不安定なお国のリッチなお客様には大変好評で、かなり引きあいもございまして、はは。それはそれで、王宮のビジネスなのでございまして、まあ、ここは東京と同じくらい、あるいはそれ以上に、安全と言われておりますから、どうぞご安心ください。」
「犯罪の発生率は、世界最低と書いてありました。というか、ほとんどない、とか。」
「ええ、その通りです。過激な犯罪は、ほとんど起こりません。実に平和な街でございますよ。どのような犯罪者が訪れても、ここでは大人しくなってしまうのだそうです。」
「アヤ姫様の、ご利益とか、言われていますよね。」
「はあ、それは、さっきの絵の話とぶつかるような気もしますね。」
彼がそう言うと、彼女にまた小突かれた。
「いや、そうですな。確かに、昔から尊敬の対象となるような方には、正と負の両面があるようです。もし興味がおありでしたら、お部屋の中に『神秘のアヤ姫伝説』という本が置いてございますので、お読みください。このホテル限定の物でございます。ご希望がございましたら、お持ち帰りいただいて結構でございます。」
「それはすごいですわね。はい、是非、見せていただきたいです。うわー、でもこの景色、最高です。」
言われなくても、確かにこれはすごい、東京より、大通りや、街並みが遥かに整理されていて、とても統一的な人工感があるな、と、彼は感じていた。
あの、地獄の『無限寮』から見た、永遠に続く暗黒の中の曲線のような・・・まったく正反対だけれど、どこか似たような性格があるようにも思った。
エレベーターを降りると、そこはもう、二人の部屋の前だった。
「この階には、この部屋しかありません。スイートルームを上回る、特別な王室の賓客用ルームです。どうぞ。」
「はー、広い。テーブルが、ぼくのアパートの部屋くらいはある。」
「おかしな例えね。」
「ここがメインの居間です。この奥に、応接室兼会議室がございまして、こちらです。」
「うわー。ほんとすごい。」
「はい、最大30人位の方が、ゆったりと会議できます。おとなりにはパーティー会場が有ります。」
支配人が案内した。
「はあ、これはまた豪勢な部屋ですこと。シャンデリアがばりばりですね。」
「変な言い方だよな。」
「え、はい、で、ここには、台所がございます。これも、ばりばりで、ございます。」
「高級レストランの厨房みたい。」
「そうですね、ここにお入りになる方は、シェフを連れて来られる方も多いですから。で、こちらには、お付きの方専用のベッドルームがあります。勿論、バス・トイレ付きです。」
「うわ、すごいー。ホテルみたい。」
「ははは、ホテルでございますので。」
「まあ、ほほほ・・・・・ホテルのレストランみたい、と。はい、」
「で、お二人の寝室は、反対側でございます、どうぞこちらに。」
支配人が先に立ち、それに二人は、言われるままにくっついて歩いていた。後ろから、アリムが補佐している。
「こちらが、ベッドルームです。」
「うわー、もうこの部屋だけで十分、ものすごいわあー。」
「はい、まあ、一般的に、単独またはご夫婦でおいでの場合は、ここだけで、すべて用は足りるかと思います。で、こちらが主賓用のバスルームです。それから、こちらが洗面所、それからお手洗いですね。で、この奥が、専用のリラックスルームでございます。」
そこには、さまざまな運動用器具があり、バーのカウンターがあり、応接セットも、高級オーディオもあり・・・
「さらにこの奥が、これも専用のオーディオルームでございます。最高の画面と音質で、お好きな映画を見たり、音楽を聴いたりすることができます。この、パネルで、どんなジャンルの、どのような映画も、音楽も視聴できます。自国で、禁止されているような物も、ここでは問題になりませんし。」
「禁止している方も、ですね・・・・ まあ、こんなところ、一晩じゃもったいないわ。」
「さようでございます。まあ、大概の方は最低でも二泊はされます。産油国の関係の方などは、外交とビジネスで、一週間以上滞在なさる事も良くございます。日本の政府関係の方は、非常に経済的で、まずここはご使用になりません。もう一つ別の、格安の方をお使いになります。 そちらも、同じくらいの広さのミーティングルームがございますが、贅沢は極力排除いたしております。 ただ、ここはセキュリティーが最高です。専用の警備室がありまして、もしテロリストが侵入を試みても、まず無理ですし、いざとなれば、アメリカ国で訓練を積んだ警備担当者が、お客様を命がけでお守りいたします。また特別な盗聴防止策が施され、ガラス窓から盗聴するなども、不可能ですし、どんな盗聴器具も見逃しません。 秘密は絶対に守られます。 つまり、ここでは、王室の権威が適用されてございますので、まあ、危険な地域からの賓客の方には、それなりのメリットがあるのです。」
「でも、ただではないのでしょう?」
「それは、そうでございます。室内の家具や、調度品、食器やグラスなどは、全て重要文化財クラスの物でございまして。 それで、一泊お一人、日本円で七百万円ほどでございます。お付きの方は、ぐっとお安くいたしておりまして、百万円程度となっております。で、もちろんこれで、お食事代も、お飲物代も、サービス料金も全て込みでございます。 お安い、と申し上げて差し支えのないものと存じます。」
「はあ、日本人には無理ね。」
「まあ、無理な事はないのですが、日本の方には、社会的にも非常に厳しい規律がございますので。」
「はあ、でも、どうして僕たちは、ここなのですか? 僕たち、お金はないですよ。」
「さあ、そこは第一王女様のご希望ですので、私どもには何とも申し上げられません。それに費用はすべて第一王女様の、個人持ちです。あの方は、あのお歳で、一日に何億円も稼いでおられますから。」
彼は、しかし自分の体を見ながら、こう言った。
「確かに、ちょっとゾンビっぽいですよね。」
支配人とアリムは、これには軽く笑うだけだった。
彼女が少しうつむいて、何かをこらえているようだった。
「では、私どもは、おいとまいたしまして、どうぞおくつろぎくださいませ。」
「あの・・・・、アリムさんにお伺いしたい事があるのですが・・・」
アリムは黙って支配人を見た。
「ああ、それはどうぞ、では、これで。」
支配人は頭を下げて、出て行った。
「はい、では、どのようなご用件でございましょうか?」
アリムが言った。
「さきほどの、絵の事ですが・・・・・気になって。」
「ああ、あれですね、確かにあれは、この本にも書いてありません。」
アリムの手には、いつの間にか本が握られていた。
『神秘のアヤ姫伝説 日本語版』
「この本には、けっこうあまり知られていない伝説や、その解説が載っております。しかし、先程の、あの絵に、食べられた男の事は、記載がございません。 なにしろ、わたくしの、兄の事でございますので。」
「あなたの、お兄様ですか? まじに?」
「はい、さようでございます。わたくしの兄は、以前王室で働いておりました。敬虔なタルレジャ教徒でした。それは今から五年ほど前で、このホテルは開業直前でした。 私はまだ学生でしたが、ある日、兄がおかしなことを言い出しました。『ぼくは、今夜、絵に食べられる事になるかもしれない』と。」
「え、ですか?」
「はい、『え』です。 それが、あの絵の事だったと、思い当ったのは、後からです。兄は、王室の、あるいは王女様の、重要な秘密を、何か掴んでいたらしいのです。」
「秘密、ですかあ。」
「はい、まあ、どこの権力者にも支配者にも、秘密の一つや二つはあるのでしょう。 しかし、このタルレジャ王室には、多くの埋もれた秘密があると、王国民は皆、思ってはいますが、でも、普通それが誇りでもあるのです。」
「秘密が誇り、ですか?」
「そうです。それだけ、王室には不思議な権威があり、力が有り、王国民を守ってきた力の源泉なのです。実際この国の国民は、一回も戦争に巻き込まれた事がありません。しかも王室は巨大な富を生み出して、王国民に分配しています。南島の国民も、税金を、平均すれば、日本人の百分の一しか支払いませんが、義務教育も、高校も、大学さえも、個人的な諸費用以外は無料です。医療費も、後から還元される分も含めれば、ほぼ無料なだけでなく、かなり多くの療養費も支払われます。 最近母子家庭が増えていますが、第三王女様のご提案で、間もなく新しい、援助事業の検討が始まると聞いています。 でも、王国の財政は豊かです。 生活もよく、安全です。 まあ、ほっといても、食べ物には困らない国ですが。しかし・・・」
「はい? しかし、ですか・・・・」
「これは、王国民にとって、ある意味、禁句なのですが、王室、特に歴代の王女様には、謎が多いのです。つまり、普通の人間ではない、ある種の『神様』または日本語では『妖怪』、英語では『フェアリー』と考えるのが、まあ、普通なのです。この辺りは、宗教的な事と、現実と、幻想の世界が、入り混じっているのです、この王国では。 でも、それが普通なのです。 社会的な常識、と言ってよいでしょう。幽霊や、妖怪は、居て、当り前なのです。」
「はあ、判るような、そうでもないような。」
彼女が、ぼんやりと言った。
「日本人の方は、本来良くご存じだったのです。 例えば、『鬼』が実際に存在している事は常識でしたし、大地の『精霊』のような存在も、自然の中で、生活と一体化していました。しかし、西洋型の合理主義の中で、そういう実感も薄れてはいるのでしょうが、それでも、日本の『お盆』や『お祭り』の習慣などには、とても不思議な雰囲気が、今でも感じられますでしょう?」
「よく、ご存知ですね。」
「一応、わたくし、民俗学が専攻でしたので。で、話がずれましたが、兄は、何か、知ってはならない事を知ってしまった様なのです。 秘密を知ってしまった兄に、何かの力が働いた。兄は申しました。『ぼくは、どうやら自分の罪を一人で背負ってしまった。 王室には、見てはならない絵があった。ぼくはそれを見てしまった。しかも、ああ、なんと言う美しさだろう。 あんな美しい姿、見たこともない。今の第一王女様に匹敵するが、しかし、もっと神秘的だった。 ビゼーのオペラのアリアのようだ。 狂おしいほどの、異常な歓喜だ、絶望だ、究極の、『美』そのものだ。 本当の『美』は、死に直結している。僕には、死が与えられる。 なんという喜びだろうか。 今夜、ぼくは、最高の歓喜と狂気の中で、あの絵に召されるのだ。』と。決して忘れません、その一言一句を。明らかに、すでに正気ではなかったのですが。」
「はあ・・・・・・・・」
「兄は、大学で音楽学を専攻しましたが、信仰の厚さゆえに、王宮に就職しました。教会でなかったのは、まあ、単に定員に空きがなかったからのようです。しかし、稀に見る天才音楽家でもある、上お二人の王女様に、大変気に入られたようでした。彼はそれを、とても誇りにしておりました。で、兄はそのまま、その晩、王宮から姿を消しました。遺体も何も、発見されなかったと、聞きました。このペンダントだけが残っていたと。そこは、立ち入り禁止区域で、門外不出の、あの絵が飾られている部屋だったと。非公式ですが、そう、お伺いいたしました。」
アリムの手には、こんどはそのペンダントが握られていた。
そこには、彼が尊敬する、音楽家の肖像画が描かれていた。
「フランツ・シューベルトさまです。兄は、この作曲家が大好きでした。家でも、よく、ドイッチュ番号970番のソナタを弾いていました。このペンダントは、留学先のウィーンで買って来ていて、それなりに良いもののようです。兄の形見です。」
「はあ・・・・・・・。」
「まあ、兄は行方不明者として、そのままになりました。でも、こうしたことは、王宮や教会では、けっして珍しい事では、ないのです。わたくしは、密かに調査を続けております。協力者の方もあります。兄には、本位ではない、のかもしれませんが・・・これが兄の写真です。」
男はこれを見て、ぎょっとした。
「あなた、知ってるの?」
彼女が、察して尋ねた。
「いや、これは、見た、この人、見た事がある。地獄で・・・・・」
「まあ!」
「え、兄を、ご存じなのですか?」
男は、肯いた。
「聞かせてください、そのお話。」
その時、彼女の携帯が鳴った。
「はい、あ、もう終わりました、参ります...支配人です、今日はもう無理なので、また明日以降に、聞かせてください。あの、ここに連絡ください。個人の連絡先です。では・・・」
彼女は、そう言い残して、部屋から出て行った。
副署長は、辞表を提出し、やるべき事務手続きはきちんと行ったうえで、姿を消した。
嫌な部下がいなくなるということからなのか、副署長が思っていたよりは、実は好人物だったのか、そこのところはよく解らないものの、辞表を提出して以降は、所長は非常に丁重に副署長を扱っていた。
その元副署長は、タルレジャ王国に来ていた。
入国目的は『観光』である。
しかし、実際のところ、観光が目的なはずはなかった。
その夜、彼は、ある人物と接触しようとしていたのである。
タルレジャ王国における、政界の大物であり、歴史学者でもあり、反王室派の代表者でもあり、芸術も良く理解し、絵画にも音楽にも造詣が深く、ヒューマニストで平和主義者で物静かだが、一方で執念深く、攻撃的で陰湿な内面性を秘めた、非常に扱いにくい人物。
パブロ議員。
元副署長は、議員とは仕事上、旧知の間柄だったのだ。
議員は早くから、王室の中に存在している、妖しい何かに気が付いていた。
ここ十数年は、あまりに早熟で、天才すぎる現王女様に、ますますある種の疑いを抱き続けてきていた。
しかし、相手は、なかなか、おかしな尻尾を出さない。
科学を隠れ蓑にしているからだ。
また、世論の大勢は、王女様達を愛し、支持していたから、迂闊には手を出せないという事情もある。
反王室派は、このところ旗色が悪くなる一方だった。
「お久しぶりで、ありまする。 議員殿。」
副署長が、怪しげなタルレジャ語らしき言葉で挨拶した。
「あなたも、お元気そうでよかった。」
議員は達者な日本語で返答した。
「まあ、どうぞお座りください。」
そこは、首都タルレジャの下町にある、タルレジャ料理店だった。
今は、もう真夜中だ。こんな時間になったのは、主に議員が忙しすぎるからだったし、辞職した元副所長は、人生で初めての、暇であった。
しかも、王国は暑い。
昼間より、真夜中の方が動きやすい、という事情もあった。
タルレジャ料理は、海産物が中心の、よく言えば素朴な、悪く言ってしまえば、日本人には、(まあ口には合うが)、少し怖そうなものが多かった。
例えば『人魚の刺身』などがそうだろう。
お皿の上で、まだうごめいているお刺身は、少し刺激的だ。
しかし、元副署長は、割と平気だった。
まあ、本国で言えば、踊り食い、みたいなものだ。
日本人には、お箸もお醤油も出してくれるが、議員は『タルレジャ・マヨネーズ』で、フォークを使って食べている。
「ぼくは、仕事は辞めました。これから、地下に潜ろうと思っています。その前に、あなたと、お話をしておきたかったのです。この王国の王女様に関わる事件についてです。」
「ほう? それは、なかなか興味深いね。実に魅惑的な主題だね。」
議員は、フォークの先で、まだなんとか逃げ回ろうとする『人魚の刺身』を、おちょぼ口に放り込みながら言った。
「まず、お話を伺いましょうかな。」
元副署長は、自分が体験してきた、『不思議が池』関連の事件について説明をした。
「あなたが、いつか話したいと言っていたのが、こうした事だったのですね。」
元副署長はうなずいた。
「では、それに対する私の考えを言いましょう。」
パブロ議員は、非常に度の強いタルレジャ酒の入ったコップを、ぐっと飲み干すと、どどんと、テーブルに置いて話し始めた。
「まず、私は、政治家であり、学者でもあるが、オカルト趣味はない。したがって、幽霊とか、超常現象、とかは信用しない。にもかかわらず、このタルレジャ王国においては、どう考えても、物理的にも異常な事態が良く起こっているのです。そうして、その多くに我が尊敬してやまない王女様たちが関わっているらしい。特に注目しているのが、北島の、タルレジャ教会領で発生している、多くの行方不明者問題です。」
「ええ。あなたは、第一王女様が、何らかの儀式に、北島の信者を利用している、とお考えでしたね。」
「そう、儀式か、あるいは実験にね。実は、お国の『不思議が池』と同じような現象が起こる池は、世界各地にあることが解って来ております。」
「そのようですね。あまり、詳しくはありませんが。」
「この王国においては、まさに、アヤ湖がそうです。ここでは、かつての王女であった、アヤ姫様がしばしば目撃されている。行方不明現象もかなり起こっていますし、『不思議が池』とタイプは違うが、やはり物理的にはあり得ない様な異常現象も報告されている。ただ、我が王国では、それがむしろ普通だと解釈されてしまうという、困った社会事情がありますが・・。」
「なるほど。我が国においても、結局似たような事にはなっています。何しろ、行方不明者があっても、まったく見つからないこと。そうして、妖しい人物が池の中からあらわれても、説明が付かず、手が出せない事。どう見ても人間ではありえないのに、幽霊や宇宙人を逮捕したり追いかけたりできる正式な法律はない。ぼくが体験したことも、これまではどうにもできなかった。なのに、このところ、わざと証拠を見せたり、王女様そっくりの化け物が現れてみたり、未来や宇宙に行かされたり、脅迫されたりする。」
「まあ、貴方の体験について言える事はこうです。あなたは、深刻な病気であるか、または、誰かがさまざまな技術や薬品を駆使して、そうした現象をわざと実現させているか、どちらかですね。しかし、あなたは一人ではなく、大勢の人が同時に体験したのであれば、後者しかありません。あなたが貰った玉や、『金の斧』などは、調べたのですね?」
「そうです。『金の斧』は、模造品で、それなりの工作機械があって、金色の塗装などができれば、すぐ作れる程度のものです。ところが、どこで作ったのかが、どうしても解らないのです。流通ルートもつかめない。困った事に、こいつが夜中に光ってみたり、ツイには、しゃべった、なんていう証言が警察内からも出てくる事です。」
「おやおや。」
「僕が貰った『玉』は、もっと厄介です。まず素材は合成された金属らしき物のようですが、未知の接着剤のような何かを使って、複雑に組み合わされて出来た精密機器のようです。しかし、我々にはそこから僕の健康診断の情報など、まったく読み取れなかったし、おまけにどうして手や壁にくっつくのか、さっぱり解らないのです。我々がまだ利用できない、何かの力が作用しているようですが。しかも日本製のベアリングさえ超越する真円で、表面にはでこぼこ一つない。今のところ警察ではお手上げです。おかげで、本庁もこんどばかりは危機感を持ったようで、アメリカ国に送って調べ始めています。」
「つまり、これらは、超常現象ではなく、技術が伴っているということかな。」
「まあ、ぼくは警官ですからね、犯人を挙げればいいわけですがね。でも、議員、あの女の子は本人が自分で言うように、とてつもない化け物ですよ。 『不思議が池の幸子さん』と言う、あの美しい鬼女は、かなり間抜けで、とんちんかん、ですが・・・あれも恐らくは、王女様の作った何か・・・」
「何か?」
「ええ、何か判らんが、まあ、化け物ですよ。科学的に解明出来ようが、出来まいが、ぼくにはどっちでもいいのですが。」
「ふうむ、君、もしかして、その『幸子さん』に好感をお持ちなのではないのかな?」
「はあ? ぼくが? まさか。」
「ふむ、まあ、いいでしょう。私は、こんどは『彼女』を少し追い詰めて見るつもりです。最終的には、かわされるだろうが、もしかしたら、王室を政治や社会から、ある程度、排除できる糸口が掴めるかもしれない。あなたの情報も、有効に使いたい。感謝しますよ。あなたが、我々の機関に加わってくださるということですから、心強いです。」
「ぼくは、あの化け物からは、離れていたいのが、本心ですがね、でも、何か、職業的欲望というか、このままにしたくはないですから。」
「いいですか、ここの警察は、表向きは中立だが、王室や教会から、大きな影響を受けている職員や警官が多くいる事も事実です。気を付けなさい。」
「ありがとう、議員。『虎穴に入らずンば、虎児を得ず』・・・ん、少し違ったかな、ですよ。」
「『虎口を逃れて竜穴に入る』という事もある。くれぐれも用心なさい。」
「もう、女王様ったら、こんなに幸子がお慕いしているのに、またどこかに行ってしまわれるの。」
幸子さんは、ややご機嫌が良くなかった。
たまたま、今、幸子さんはアヤ姫様と二人になっていた。
「まあ、幸子様、そのようにおっしゃってはいけません。さあ、まだお饅頭が沢山ありますよ。ものすごい数、送ってくださって、大変だったでしょう?」
アヤ姫様が、なだめにかかっていた。
「幸子、計算苦手なんです。どこかで、足し算を間違ったみたいです。まあ、でもこんなにお気楽饅頭が目の前にあると、確かに元気が出ます。」
「そうそう、その調子です。」
「あの、アヤ姫様。」
「なんですか?」
「わたし、気になる人・・人間・・がいて。」
「まあ、幸子様、恋をしたのですね。見れば分かります。女同士ですから。どなたなのですか?」
「あの、警察署の、副署ん・・・・・・。」
幸子さんは、ぼつぼつと事情を話し始めた。
「まあ、それはまた、厄介な方を・・・。いえ、ごめんなさい、どちらかと言うと、味方ではないでしょうに。」
幸子さんは、急に泣きそうな顔になって答えた。
「どちらかと言わなくても、女王様を目の敵にしています。でも・・・・・幸子は、どうしても忘れられないの・・・」
幸子さんは、お気楽饅頭を、思いっ切り口にねじこんだ。
涙もいっしょに溢れ出てきた。
「あらら、幸子さんお饅頭がお口から溢れていますよ。鬼の眼に涙になっていますよ。」
幸子さんは目を手でぬぐいながら、答えた。
「良くわかってはいます。あの方は、生きた人間です。私は、一度死んで、女王様に蘇らせていただいた、怪物です。妖怪です。化け物です。鬼です・・・・・」
「そう言われれば、このわたくし、もそうですから。 でも、好きなのでしょう? その方を。」
幸子さんは頷いた。
そこに、ユーリーシャ様とアナ様が入って来た。
「どうなさいましたか? まあ、幸子様、泣いてる!」
アナ様が驚いて言った。
「アヤ姫殿が、泣かせたのか?」
ユーリーシャ様が、たたみかけた。
すると、幸子さんが大声で泣き出してしまった。
「実はですね・・・・。」
困ったアヤ姫様が説明した。
「おやまあ、それはまた、タイへンなことじゃ。」
ユーリーシャ様が言った。
「どうなさったのか?」
女神様たちが、わやわやと言いながら集まってくる。
こうなると、もう収拾がつかなくなってきてしまう。
女神様たちに間で、情報があちらこちらに飛び交った。
アヤ姫様がジュウリ様に尋ねた。
「ジュウリ様、その副署長様がいまどこにいらっしゃるのか、透視できますか?」
「もちろん。幸子さんここに座りなさい。」
ジュウリ様は、懐から例の玉を取り出し、幸子さんをその前に座らせ、自分は反対側に座った。
そうして、真っ白な長い指の、真っ赤な爪の先を、かすかに玉に触れながら、何やら呪文を唱えていた。
「そら、見えて来ました。 見えて来ました。 この方です。」
女神様たちは、周りからそうっと、玉を覗き込んだ。
「この方ですね?」
ジュウリ様が幸子さんに尋ねた。
「はい・・・・」
幸子さんは、まだ少し鼻をすすりあげながら、大人しく答えた。
両手には、しっかりお饅頭を握りしめている。
「むむむ、この方は、今、大変近くにおりますぞ。この、王国の中。 首都タルレジャの、料亭の中。ここから北北西方向、約10キロメートル。」
「それはまた、奇遇じゃ。王国に来ておったのじゃやな。」
なんだか、非常に機嫌よくユーリーシャ様が言った。
「まあ、幸子様、素晴らしいですわ。是非ここに、ご招待いたしましょう。」
アナ様があっさりと言った。
「えええー! それは、約束違反だしー。幸子、それでは、なんと言ったらよいか、わからないしー。」
幸子さんは、助けを求めるように、アヤ姫様を見た。
「まあ、そうですねえ。どういたしましょうか。」
アヤ姫様は、少し考えていた。
それから、こう言ったのだ。
「まあ、でも、せっかくの機会ですから、お二人を会わせて差し上げましょう。」
女神様達が、わーっと、叫び声を上げた。
「すごーい、幸子さん、チャンスよ、チャンス。
「魔法でも何でもって、虜しちゃなさい。 ほら、ドレスドレス。」
「わしがたくさん持ってきておるぞ。」
ユーリーシャ様が自慢げに言った。
「すごーい!ほら幸子様、着替え着替え! お化粧もして。」
「ああああああ、あの、どこに・・・・・」
女神様たちは、怒涛となって、幸子さんを部屋から連れ出した。
キュン様とコキ様、それにアヤ姫様が取り残された。
「どうする、御積りなのか?」
キュン様がぼっつりと言った。
「若い人たちは、よいのお。」
コキ様が同じように応じた。
「では、三人で、作戦を練りましょうか。」
アヤ姫様が言ったが、そこには、どこか女王様のような雰囲気が漂っていた。
豪華な少し遅い、夢見るような夕食・・・・・・・
大理石の、広いお風呂・・・
二人が過ごした、タルレジャ王国での最初の夜は、一生のうちで、一番大切な時間だったに違いない。
とにかく、巨大な全面ガラスの部屋の窓から見える、首都タルレジャの夜景は、あまりに豪華で、息をのむほど美しかった。
二人に用意されたベッドは、この恐るべき光景に、すっぽりと包まれるように置かれていた。
まるで空中に浮かんでいるような錯覚にさえ捕らわれる。
「なんだか、超豪華ラブホみたい。これは、新婚旅行なのかしら?」
「そうだな。そう思っていいのかもしれない。」
「本当に、そんな気に、なってきた?」
「うん」
「わたしもなの・・・じゃあ、証明して。」
やがて明かりの消えた室内は、文字通り王国の夜の闇の中に、うっとりと、浮かび上がった。
翌日、少しゆっくり起きた二人は、9時半ごろになって、これも素晴らしい朝食に臨んだ。
「まあ、こんな物凄い朝ご飯は初めて。」
人間と呼ぶには、少し鬼すぎる彼も、それなりに着こなせば、そう違和感はない状態になった。
散髪は、『地獄寮』の元理容師の鬼が、きちんとしてくれていたから、髪は問題なし。
彼女の方も、とにかくなんとか、普通に見栄えがする状態にはなった。
客室には、さまざまな美容用品や、整髪用品が用意してあった。
着る物に関しても、ずらっと並んだ、下着からスーツやドレス、普段着の中から好きなだけ選べ、というのだから、あまりに用意が良すぎて、かなり怖かった。
「なんだか、こんなもの、もらったら、大変なような気がするわね。」
「君は、それだけの被害にあっている。ぼくは自業自得なんだけれど。」
「まあ、この際、王女様に甘えましょうよ。でも、これからどうなるのかな?」
「さあ? 家に帰れるのだろうか?」
「ここまで帰ったのよ、あと一歩なんだから、なんとかなるよ、きっと。」
二人が豪華な朝食に満足していたところに、昨夜の支配人が挨拶にやって来た。
「おはようございます。」
「どうも、あの、こんなに大事にしていただいて、ありがとうございます。」
彼女が言った。
「いやあ、お二人は第一王女様のお客様でございますから。ところで、面会の方が、お見えでございますので、お食事がお済みになりましたら、応接室にご案内いたします。」
「お客様、ですか?」
「さようでございます。王宮関係の方かと思いますが、お二人でお見えです。」
「それは、怖い方ですか? 黒服のサングラス😎、とか。」
「いえいえ、お一人は、これはまあ、あなたにかなり匹敵するぐらい、美しい女性ですが、もうお一人は、すらっとした紳士でございます。大丈夫でございますよ。」
「はあ・・・・・。」
二人が応接室に入ってゆくと、上品な男女が、すっと立ち上がって挨拶をした。
「おくつろぎのところを、朝から押しかけてしまいまして、大変ご迷惑をおかけいたします。わたくしは、タルレジャ王宮の管理事務係長、タイポと申します。」
なるほど、すらっとした長身の男が挨拶し、名刺を差し出した。
それから、タルレジャの民族衣装を身に着けた、少しだけ、ふくよかで、つまり、いくらか太めの女性が言った。
「わたくし、タルレジャ教団本部事務室の、渉外担当課長の、ママムヤムと申します。突然おじゃまいたしまして恐縮でございます。まあ、座ってお話しいたしましょう。」
王国の女性が身に着ける民族衣装は、室内では露出の大きい、ほとんど何もない部分の方が多い着物だが、室外に出る際は、日除けの意味もあって、本来これに美しいさまざまな柄の上着を羽織る事になる。しかし最近は、この上着を省略することが多い。 王女様などは、日本の学校に行く際、最近民族衣装で通学する事も多くなっているが、いつも上着を羽織っているし、冬には、寒い時期のある国に住む、王国出身者の為に開発された特別の上着を、着用していらっしゃる。
「今日のお話は、第一王女様からの、ご依頼により、お伝えに上がったものでございます。」
タイポ係長が話し始めた。
『あ、やっぱり何か裏の意図があるんだ・・・まあ、そうだよな、たたで、こんな待遇しないよな・・・』
彼はそう思った。たぶん、彼女も。
「と、申しますのが、もし、お二人にご希望があれば、この王国で、就職をされてみては、いかかでしょうか? 第一王女様は、お二人は、大変なご苦労をなさったと承知されていらっしゃいます。 その原因が、タルレジャ王国の祖先が、世界に残した、ある種のシステムが、少し誤って機能した結果なのではないかと、ご心配です。 そこで、お詫びの意味もあり、また、お二人の現状からも、何時までもと言うことではなく、お二人のお気持ちの範囲内の期間、王国で無理のないお仕事をして、過ごされてはいかがか、とお考えでございます。もちろん、対価のお支払いは当然王室が責任を持っていたします。立場としては、タルレジャ王国ではなく、王室の特別職ということになり、公務員待遇になります。 給与は、大まかに言って、毎月日本円で、おひとり約百万円という位に設定したいとお考えでいらっしゃいます。」
「あの、良く判らないのですが・・・・」
彼女が質問した。
「失礼かもしれないのですが、王国のご先祖が残したシステムって、何ですか? それに私たちの立場って、実際どうなっているのですか? 日本に居たはずの私たちが、なんでいま、ここに居るのですか? これって、密航ですか? それとも、言葉が悪いですが、強制的な『拉致』ですか? 事実を隠したいから、王国に留まるように、おっしゃっているのですか?」
彼は、彼女を見上げた。 背は、彼女の方が実は高かった。
「はい、当然の、ご質問であろうかと、思います。」
ママムヤムが答えた。
「まず、王国の制度から言えば、お二人が、入国の手続きなく、突然王国内に現れたことから、密入国の疑いがあるとして、政府に身柄を拘束される可能性が高い事は明らかです。 そうなれば、お二人はおそらくパスポートもお持ちではないでしょうし、正当な入国は証明できないでしょうし、事情を説明しても、王国政府は信じないでしょう。難民と考える根拠もないでしょう。しかし、王国からみても、どうやってお二人が入国したか、確認も証明もできないですし、日本であなた方が犯罪を犯したという事もないし、テロリストでもなさそうだ、政治的な理由もない、でしょうから、まあ多分・・・・」
「たぶん?」
「即刻、費用はお二人の後払いと言うことで、本国に送還、となるでしょう。で日本で取り調べと言う事になりますでしょう。その先は、わかりません。」
二人は顔を見合わせた。
「とても良くない立場ですね。」
「そうです。でも、ここに居る限りは、当面安全です。政府は、第一王女様のお客様に付いて、公人であれ私人であれ、制度的には可能でも、簡単には介入できないし、まあ、しないでしょうから。 ただ、ここにずっとという事はできません、明日の晩は、すでに予約が入っていますから、今夜は可能でも、あすのお昼までには、ここを退去していただかなければなりません。」
「はあ・・・・・・。」
彼女は困ったように、あやふやに言った。
「そこで、先程のお話しです。」
「ちょっと、まってください。あのですね、ぼくは、日本の『不思議が池』から、幸子さんに呑み込まれて、『地獄』に行きました。彼女は、ぼくを探して、同じ池から『地獄』まで探しに来てくれて、救い出してくれたんですよ。で、『地獄』のおかしな泉から、幸子さんが連れ戻してくれたのが、この国の『アヤ湖』だったんです。つまり、あの、幸子さんがもう一度、『不思議が池』まで戻してくれれば、いいわけでしょう。なにか、むちゃくちゃですが。」
言い終わってから、何とも言えない虚しさを、彼は感じた。
ママムヤムが、なだめるように言った。
「まあ、わたくしたちは、王国の北島で、王女様が起こされた奇跡を、いくつか見て来ましたから、そうした超自然現象と言うべきものを、否定はいたしません。もちろん宗教上も、です。 しかし、現状で、その『幸子さん』にコンタクトを取るすべが、私どもには、ございません。第一・第二王女様は、今、日本に滞在中で、しばらくは、細かいご相談は難しそうです。私どもに与えられたご指示は、あなた方をここにまず保護し、そのあと、王室と教会で、保護するように、とのことです。もちろん、お二人が拒否なされば、お二人の意向に沿うようにとのことです。 送還の費用は、王室か教会から、後からお支払いするとのことですし、何かの形で、今後の、生活と、日本での就職のご援助も行うとのことです。結論は、今すぐでなくて結構ですが、明日の朝9時までには、こちらにご連絡ください。携帯電話を、ご用意しております。どうぞ。」
タイポが、気の毒そうに続けた。
「本当は、観光にもご案内したいのですが、政府といざこざになるのは、避けたいのです。 ここに居てくだされば、安全です。ご希望の品などあれば、すぐホテルがご用意いたします。お好きな食べ物があれば、それもご用意いたします。」
「結局、監禁なのね。」
二人が帰った後、彼女が言った。
「ひどいと言えば、ひどいなあ。考えるとは言ったものの、日本に帰れば、ただでは済みそうにないし、この体では、ますますややこしい。君だって、お父さんや婚約者の事があるだろう。」
「あら、あなたが、わたしを、守ってくれるんでしょう。」
「そりゃそうしたいよ。でも当局に拘束されたら、そうもいかないかもしれない。」
「まあね。 携帯、自分のは壊れちゃってるし・・・・・」
彼女は、彼を意味ありげにちらっと見た。
「あのね、」
「何?」
「あなたが決めてくれれば、わたし、ここで住んでもいいのよ。」
「は?」
「は、じゃないわよ。いい、北島は、タルレジャ教徒でないと、住めないのよ。だから、多分・・・」
「多分?」
「わたしたち、タルレジャ教徒にならないとだめなんじゃないかしら。でも、それでもいいわよ。どうせあなたは、無信仰でしょう?」
「まあね・・・。」
「北島なら、政府も手が出せないと聞いてるし、生活は一切、ただ。 信仰をきちんと守ればだけど。」
「でも、給料払うと言っていた。」
「そうね、そこは、確かに不思議よね。」
結局、異常に広いホテルの部屋の中で、二人は過ごす事になった。
彼女は、アヤ姫伝説の書かれた本を読んだ。
彼は、主に寝て過ごしていた。
その深夜、二人は結論について話し合っていた。
丑三つ時も近いという時間になって、突然、全部屋の中のスピーカーというスピーカーが、がんがん鳴り始めたのだ。
テレビ、オーディオ装置、ベッドわきのラジオ、天井のスピーカー・・・
今朝預かった携帯電話も、彼女の壊れた携帯も、勝手にしゃべり始めた。
そうして、すべてが、同じように、『火星のリリカ』様の、声明を読み上げ始めた。
🎙️
元副署長は、パブロ議員と分かれて、当面、する事がなくなった。
「ま、失業中でもあるし、少し観光してみるか。コンな事でもなきゃあ、外国なんか来ないぜ。」
表通りにでると、平日の真夜中過ぎというのに、さすがは夜のない観光地というだけに、かなりの人たちが通りを歩いている。
「しかし、こりゃあ、夜中でもやっぱり暑いなあ。 日本の暑さとは質が違う。」
元副署長は、思わずそこにあった博物館に入った。
『王立タルレジャ博物館』
~24時間開館中~
という日本語の看板もかかっている。
「いやあ、これは涼しい。 天国だね。」
入場料金は、『無料』と、これも日本語の表示がしてある。
どうやら、日本人が、最高のお客様なのだ。
そうしてカウンターには、民族衣装ではなく、しゃれた青の制服を着て、赤い帽子を被った女性が二人、座っていた。
一人は、インド系の白人で、もうひとりは黒人。
どちらも、とても上品な顔だちをしている。
元警部補が入ってゆくと、すっと立ち上がって言った。
「ジャパニーズ?」
「うん」
「いらっしゃませ。こちらが、パンフレットです。 どうぞお入りください。 解説ツールはいかがですか? 五〇〇タルレジャ・タル、です。」
見事な日本語で、黒人の女性が言った。
元警部補は、照れたように右手を振って、中に入っていった。
タルレジャの通貨単位は『タル』である。
パンフには色々書いているが、英語らしい。
彼はアルファベットと注射が大の苦手である。
が、ふと下側を見ると、ちゃんと日本語の文章もある。
このパンフは、英語と日本語がペアになっていたようだ。
そうして渡されたパンフには、もう一枚ペーパーが付いていた。
『皆さまのご寄付をどおか、よろしく、お願いいたします・・・タルレジャ王国 第三王女 ヘネシー=タルレジャより』
『各地の戦災孤児、交通事故などの遺児、母子家庭・父子家庭の親子、エイズ患者、地震災害などの被害者、難病患者、コロナ患者その他多くの苦しんでいる方たちへの救援資金に使う』、という様な事が、これまでの実績と合わせて、簡潔に、しかし情熱的に書かれている。おまけにとてもよい紙を使っている。日本の警察では、経費上、たぶんちょっと無理なくらいの高級紙だ。 第三王女様のカラー写真も、しっかりと印刷されていた。
そうして、壁を見ると、そのタルレジャ王国第三王女様の大きな写真と、同じメッセージが、どかん、と掲示されている。
こちらは、文字と言っていいかどうかもわからないタルレジャ語の後に、七ヶ国語の翻訳が続いている。さすがは国際国家だ。
さらにその掲示板の下には、金色のりっぱな募金箱がある。
これだけでも、かなりの価値がありそうな豪華なものだ。非常に複雑で、華麗な装飾がある。もしかしたら、古いものかもしれない。
と、思ったら、募金箱の上側の壁に、小さな解説プレートが貼ってあった。
『この募金箱は、西暦1700年に、時の国王が浴槽として作らせたもので、純金製である』
床にしっかり設置されていて、持ち上げるのはかなり大変そうだ。そのあたりも、ちゃんと計算しては、いるのだろう。
反感を持つ人もいるだろうが、興味深いことも、確かだ。
何かのニュースで、純金の浴槽を作っ日本人の話を聞いたことがあるように思うが、タルレジャ王国人は、日本人より、かなり派手好き、と聞いている。これを見ると、どうも本当にそうらしい。
もっとも、募金を入れるより、こちらを売った方がよいのではないかと、やはり、元副署長は思った。
元副署長は、募金箱に、持っていた日本の100ドリム玉を入れた。
しかしながら、改めて一見しただけで、その博物館の奥行きの広さは異常なほどだ。
一直線に遥か彼方にまで伸びている。
したがって、ちょっと見ただけでも、その展示物の圧倒的な量には、ただただ、びっくりだった。
建物は5階建て。表からみると、そんなに大きい建物とは思わなかったが、要するに間口は狭いが、奥がとてつもなく長い、巨大な、うなぎ長屋のようなものだったのだ。
一階から順番に、古代から新しい時代に向かって行くような配置になっているらしい。
「むむむ、これは夜中一晩かけても全部は見えないだろうなあ。 とりあえず、一階の古代部門を見て、考えるか。あの、化け物の事が、何かわかるかな。 まさかね。」
一階の展示場の入口には、『王国の古代史』と書かれていた。
日本の博物館もそうだが、地球の地質年代の話しとか、となると、ある程度の教養がないと、どうも感覚的にピンとは来ないものだ。
一千万年前と一億年前、違うのはわかるけれど、どう違うのかきちんと説明しろ、と言われても、素人にはなかなか難しい。
『類人猿がいたか、恐竜がいたかの違いさ。どっちにしろ今の人類はいなかった。」
元副署長は、あっさりと考えていた。
しかしこの博物館は、結構丁寧に、基礎的な事項から解説してある。
これなら子供でも、自分のような逮捕専門バカでも、解りそうだった。
元副署長が面白いと思ったのは、この博物館では、宇宙の誕生から、話が始まっている事だ。
普通なら、『王国の始まり』あたりが最初に来そうなものなのに、である。
さらに、タルレジャ教の宇宙論と、現代科学の宇宙論が、併記されている。
しかし、現在のタルレジャ教の経典にある、宇宙誕生の物語が、このように始まっていることについては、元副署長はちゃんと知っていた。
『宇宙は、無から始まった。 何もないところに、突然何かが、ぽろっと現れた。そうして一瞬ののち に、大爆発が起こった。 宇宙はそれ以来広がり続けている。
我らの神は、この最初の何かと共に、どこか解らないところからやって来た。
神は、ご自分がその前にどこにいたかは良くご存じだったが、その最初がどこかは、ご存じではなかった。 ・・・・・このようにして、神は、無数の宇宙を遍歴してきたのである。我々の宇宙は、そのひとつに 過ぎない。だから、人間は、自分たちが唯一の存在だと、過信してはならない・・・・・』
つまり、タルレジャの宇宙論は、現代宇宙論にかなり近いと、言いたいらしい。
今、元副署長の前に、『新発見!』『期間特別展示』『現存する最も古いタルレジャ教の経典』なるものが、展示されている。ごく最近、発掘されたばかりの物、なのだというのだ。
これは、非常に古い、前古代のタルレジャ文字で書かれているという。
さらに、こんな解説が書かれていた。
『書かれている内容は、ほぼ現在の経典と同じである。しかし、この経典に使われている紙の素材が何かは、今のところ謎である。非常に細い繊維質のものが、強固にからみあっていて、鉄の10倍程度の強さがある事は解っているが、この原料が何かは特定されていない。 地球上のものではない、未知の植物由来の繊維、との説も出ているが、これはほとんど、信用されていない。しかし、紀元前5千年ごろにどうやってこの紙を作ったのか、また、どのように印刷したのだろうか。作成された年代そのものにも、反論が多くある。2万年よりも、さらに古いという学者もいるが、年代測定ができていない、と。しかも、この次のページに印刷されている植物が、いわゆる『ヴォイニッチ写本』に描かれた花と類似しているとの指摘もある。 推定作成年代;紀元前五千年ごろ。 発見場所;北島王宮第三遺跡』
開かれた『経典』の横には、その次のページのコピーが置かれていた。
植物と言われれば植物だが、『たわし』のようでもあり、日本人には、『わらじ』にも見えそうだ。
丁寧に、『ヴォイニッチ写本』の中の、不思議な植物らしき絵の写しも添えられているが、確かにそっくりである。
「この王国ならではの、疑似科学という訳か。最近作られた偽物だろうな。」
元副署長はつぶやいた。
「あんなもの、貰わなきゃよかったな。化け物女王なら、このくらい作るのは、簡単なのだろう。」
タイタンでの健康診断のことを思い出しながら、ぼそっと付け足した。
そうして、現在主張されている宇宙誕生の学説をぼやっと読みながら、その横にある展示物を見て、「え?」
と思った瞬間に、深夜の博物館内に、大きな女性の声が響き渡った。
『火星のリリカ』様の、声明だったのである。
🎤
それは、タルレジャ語、英語、日本語、フランス語・・・・・いくつかの言語で繰り返された。
『地球人類の皆さま・・・・・・・皆さまに即時無条件降伏の勧告をいたします、、、、二十四時間以内に、勧告を受諾し、即時無条件で降伏する旨をご公表くださいくださいますように、お願い申し上げます。・・・私たちの持つ力について、実例をお示ししておく事といたします。それをご確認いただきまして、二十四時間以内に、勧告を受諾し、即時無条件で降伏する旨をご公表ください。では、これから五分後に日本国の北海道地方が消滅することをお伝えいたします。・・・・・火星連合第一執政官 リリカ・マユル・アヤルタ・ユバリ
「冗談じゃあないわ。わたしの実家、札幌なのよ。解ってるわよね。そういえば従姉妹が国連に勤めてるの。どうしよう、家に電話してみるべきかしら。」
「そりゃあ、してみるべきだよ。やっぱり。」
「いま日本は、夜の八時過ぎよね。この携帯でかかるかしら。」
「さあ、物によるからね。やってみたら?」
「わかった。でも、ここはタルレジャ王国よ。ええと、確か、かけ方があった。しばらくしてないと、忘れるわね。まず国際電話の識別番号と、それから・・・日本の国別番号・・・と、で国内の番号・・・あら・・・あ、違った、0をひとつとらなきゃ、やりなおし・・・ああ、五分たっちゃうわ・・・ええと・・・」
「ほら、落ち着いて、ゆっくり、まだ大丈夫だ。」
「よし、これで、かかるはず。でも、なんて言うの、鬼と結婚します、かな・・・ああ、なになに、英語のアナウンス・・・うそだ、回線が混み合っているからかけ直せだって、じょうだんじゃないわ。ええい、もう一度、こんどは、間違わないわよ・・・また、駄目、もう一度、ああ、だめ、もう一度・・・・あ、鳴った、呼び出してる、ほら出て、早く出てよ・・・・・あ、もしもし、お母さん! わたし、あの、あ、・・・・・・・。」
「どうしたの?」
「切れちゃった。」
「もう一回やってみたら。」
「そうね、では、再度、ゆっくりね・・・」
そうして、彼女は貸与された携帯を、ゆっくりと膝の上に置いた。
「だめ、全然呼び出さない。」
「テレビつけよう。」
「わたし、国連の従姉妹の携帯にかけて見る。」
深夜の王国公共放送は、『火星連合のリリカ』による降伏勧告で、ごった返していた。
便利な事に、リモコンのスイッチひとつで、英語にも、日本語にも翻訳してくれる。
「どうしましょう、どうしよう。北海道が本当に消えたと、従姉妹が言っているの。」
「ありえないと、言いたいけれど。 あの『地獄』を見てきた手前、嘘とはやっぱり言えないよな。なんでもありうるような気がしてきた。」
「わたしも。でも、幸子さん達とは無関係よね。」
「さあ、それはどうかな。 ご家族の事が心配だと思うけれど、今はとにかく僕たちの対応を決めよう。君が日本に帰りたければ、そうしようよ。それが一番だよ。」
「すんななり帰れるとは思えないわ。わたし、あなたと一緒にいたい。だから、あなたが決めて。ついてゆくから。どこでも。タルレジャ人になってもいいわ。ここは日系の人も多い。違和感はない国よ。平和だし。」
「王女様なんて、会った事もないし、これを信じていいのか? いくらなんでも、あまりに話が妖しいよな。しかし・・・」
「しかし?」
「いま、確かに日本に戻るのは危険な気がするんだ。 次は本州かもしれない。それに、今朝の給料の話だ。月収百万ドリムは やっぱり魅力的だしな。交渉して、しばらく期限付きで雇ってもらって様子を見る話しにすることも、悪くないとは思った。まあ、時間稼ぎだよ。君は辛いだろうと思うけれど、24時間、ここで様子を見る。日本人としては、卑怯かもしれないが。せっかくこの国の王家が守ってやるというんだったら、何も後ろ盾のない日本より、悪くはないように思う。北海道の情報も、その方が早く掴めるかもしれない。もちろん、あちらの情勢が変わって、問答無用で送還かもしれないけどね。」
「いいわ、確かに辛いけど、そうしましょう。気にしないで、あなたの考えで、行きましょう。」
すすり泣きながら、彼女は答えた。そうして付け加えた。
「あのね、アリムさんが言っていた事なんだけど。すっかり忘れてたわ。」
「ああ、お兄さんの話を聞きたいってことだね。」
「そう、どんな事だったの?」
「それがねえ、気が進まなくてねえ。」
「どうして?」
「君、たぶん見ないようにしていたから気が付かなかったと思うけど、あの、人間タイヤ。」
「あ、あれ・・・」
「そう、あれ。あのバスのタイヤの中で、わりと外側の見やすいところで、あの顔を見たんだ。」
「まあ!」
「なんか、すごく印象的だったから、なんせ、かなり・・・・それにね・・・」
「うん・・」
「最初にあのバスに乗った時、首が一つ取れて、バスから転がったんだけど・・・それがやっぱりあの顔だったんだ・・・。」
「うわ! 」
「あの時、タイヤの前で、少しだけ手を合わせてお祈りした。うちの宗派のだったから、異教だろうけど。 いやあ、思わず反応してしまったから。反省してるんだ。あんなこと、話せると思う?」
「それは・・・・・ううん。」
「だよね。だから、黙っていたんだけれど。」
「そうなのか・・・」
その時、彼女の持っていた携帯が鳴った。
🚍
『くそ、本当に始めたな。 まあ、残念ながら本当だとは思っていたが。 火星連合の第一執政官? 冗談じゃあない。 あいつ、俺を僕にするとか何とか言っていたが、どうするつもりなんだ? 』
元副署長は、その、いやな展示物を、まだ眺めていた。
真ん丸な、ただ丸い玉。
『この球体は、北島王宮第一遺跡の地下から発見された、一億年前の地層の中にあった。完全な球体で、電子顕微鏡で見ても、表面には傷一つない。 しかし内部は複雑に組み合わされて構成されている事は判っているが、一体どうやって作ったのか、これが何なのかは、まったく判っていない。 現在の王宮またはタルレジャ教会の関係者が、意図的に埋めたのではないか、と言う学者の意見もあったが、これと同じものを作る技術は現在もないとされており、謎のままである。ご覧のように、斜めになっても、転がり落ちない。』
展示ケースの中で、ロボットアームのような手が、玉を底に置き、すると床がぐーっと動いて90度近くまで斜めになって行くが、玉は微動だにしない。また元に戻って、同じことが繰り返されている。
『ご丁寧なことだ、手品のような物で、客は、まあ呆れて見るだけだろうな。でも、俺は実物を持っていたわけだ。一億年前? 恐竜がいたぞ。何かのデータが入っているのだろうが、待ってろ、もうすぐ解読できるようになる。人間を甘く見るなよ。』
そう思った元副署長ではあったが、『まてよ、ここの第一王女様イコールあの女王だとしたら、やっぱり、この国の人も、みんな馬鹿にされてるだけなのか。なんだか、よけい腹が立ってきたな。こうしちゃいられないか、宿に帰ろう。』
⛲
「では皆さま、よろしいですね。これから、あの人間を、アヤ湖の『アヤ姫宮』に移します。幸子様、準備はよろしいですか?」
アヤ姫様が言った。
「あの、わ、わたし、男の方と、お仕事以外では、あの、お話し、し、たなんて、ないので、あの・・」
幸子さんが、ぎたぎたになって言った。
しかし、こんなに美しい幸子さんは、歴史上初めて、といってよいくらいになっている。
いつもの幸子さんの服も、それなりに刺激的ではあっても、全身をすぽっと、覆っているし、やはり長年使ったために、実際大分疲れていたのだ。
しかし、衣装フリークのユーリーシャ様が提供したドレスは、思いっきり危なかった。
胸も背中も、足も、隠されている、というよりは、ほとんど、いない、と言うレベルで、大変危険だった。
ついでに、不思議なアクセサリーも貸してくれた。
「男の心を吸収するのじゃ。逆らえる男はまずおおらぬ。いつの間にか、そなたのその胸の谷間に引き寄せられるのじゃ。」
「えー? こわーい。」
「そなたが怖がってどうするのじゃ。」
「いいですか、幸子様、相手は大変硬派の、扱いにくい変人です。しかし、事実を探求したいという気持ちは非常に強いと見ました。そこにつけ込みなさい。女王様の真実をお話しましょう、とか言って社殿の奥の間にお誘いするのです。あとは、昔話から始めたらいいでしょう?」
「それはもう、いたしました。」
「まあ、そうなの。ならば、その続きから、とか言えば良いでしょう?」
「はい、そうですね・・・・・」
「で、奥の間に入ったら、とにかくこちらの思うままです。わたくし達の力で、男の心をあなたに沈めてしまいます。そうして、わたくし、アヤの中に残っている女王様の人格が、男を女王様の僕に作り変えます。」
「え? アヤ姫様の中に、女王様が残っているの?」
「はい、わたくしは、今は、アヤであると同時に、半分女王でもあるのです。」
『うわー! すごーい! さすがー女王様! わたくしもそうしてほしいー。』
女神様たちが声を上げてきゃーきゃー騒いだ。
「はい、はい、みなさま、では、作戦開始いたしましょう。まず、男をアヤ湖に移します。これは対象移動のお力が強い方、手を上げて、はい、あなた方にお任せしましょう。 その後は、ともかく、まずは幸子様が頑張らなくてはなりません。魔法を使うのは、おしまい頃と、いたしましょう。最終的に、全員でお祈りして、男の心に幸子様に対する激しい愛を植え込むのです。最後の仕上げは、わたくしアヤがいたします。そうして、彼は、幸子様の夫となり、鬼の仲間となり、女王様の忠実な僕ともなるのです。さあ、今や地球は火星の攻撃にさらされております。新しい時が来るのです。」
『わー!!』
女神様たちが、歓声を上げた。
幸子さんだけが、少し困惑気味だった。
👗
「もしもし、あの、アリムです。申し訳ございません、こんな真夜中に。」
「あ、いえ、起きていました。それに、大きな声がしましたし。」
「ああ、そうですよね。あれでは寝てなんかいられませんですよね。 実は、お二人の事なのですが。」
「あ、はい、なんでしょうか。」
彼女は、どぎまぎして聞いた。
「逃げてください。今すぐに。」
「え? 逃げてくださいっ、て・・・アリムさんそう言ってるわよ・・」
彼女は男に向かって、そう告げた。
「このままでは、お二人はあの火星人達に、いいように扱われてしまいます。 今、逃げましょう。手引きいたします。支配人は、今夜お休みです。でも、今の放送でホテルに向かうでしょう。彼は支配人でもあり、第一王女様の、直接の部下でもあります。詳しい事は後でお話ししますので、とにかく今すぐ逃げてください。 人類は、まもなく彼女たちの奴隷にされてしまいます。」
「あの、良く判りませんが・・・。」
「宇宙人が地球侵略をします。だから逃げましょう。 いいですね、そのままの恰好でいいです。元々荷物はほとんどないでしょう。このままだと、お二人とも、化け物の仲間にされてしまいますよ。一瞬の猶予もありません。 では、すぐにこれから上がって行くエレベーターに乗って。いいですね。チャンスは一回。携帯はこのまま繋いだままにして。」
彼女はすぐに判断した。
「来て!」
彼を無理やり引っ張った。
「なんだよいきなり。」
「私が好きなら、来て!」
「痛いな。わかった、わかったよ。まって、ほらズボンはかせろよ。」
「だめ、そのまま、わたしだって、こんな下着だけなのよ。」
アリムが、ホテルのガウンをふたりに被せた。
ふたりは、転がるようにエレベータの前に出た。
すると、あっと言う間にやって来たエレベーターの扉が開いた。
「乗って。」
彼女は男を引っ張った。
「乗りましたね。では、地下10階まで降ります。」
電話の向こうでアリムが言った。
「え、そんな表示ないです。」
「普通はありません。出来るのは、私だけです。行きます!」
エレベーターが急速に降りはじめた。しかし、廻りは何にも見えない。」
「おかしいわ、外が見えない。」
「今、シャドーモードで降りています。外からは見えないし、エレベーターが降りている表示も出ません。管理センターでもすぐには掴めないはずです。 でも、急ぎます。時間がにかもしれないから。もうすぐ、着きます。」
またまた、あっと言う間に下まで降りたらしい。
ドアが開く。
なんと、アリムが待っていた。
「さあ、これに乗って。」
目の前がホームになっていて、小さなゴンドラが止まっている。どこかで見たような気がする。
「これって、地獄のゴンドラ!」
彼女が言った。
「さあ、早く乗ってください。 」
アリムが急かした。
「まあ、だって、こんな恰好なのに・・・・裸足だし。」
アリムに言われて、ふたりはもう、やけくそで乗り込んだ。
ゴンドラは、しかし、地獄とは違って、猛スピードでホームから離れて行った。
真っ暗なトンネルの中で、やがて後ろの方に何だか一瞬光が見えたが、音も衝撃もない。
「これで、あそこは消えました。この路線も消えてゆきます。」
アリムが静かに言った。
「で、ぼくたちはどこに行くの? 君はいったい誰? これは何? 話してください。」
「わかりました。わたくしは、『太陽系地球人類平和維持機関』のチーフ保護官、アリム・フォン・デラベラリです。あのホテルは、かなり疑わしい点があったので、潜入調査しておりましたが、どうやら引き時が来たようです。支配人からも疑われ始めていたようですし。 また、お二人を救う必要があると判断しました。」
「救う? それって、どういう事ですか? それに、どこの機関ですか? 国連? アメリカ国? 大中大国? ロロシア?」
彼女が聞いた。
「そのどれでもありません。」
「じゃあ、何ですか?」
今度は彼が聞いた。
「そうですねえ。これは機密事項なのですよ。」
「なんか、あの、黒服のエージェントみたいにですか?」
「それは、映画でしょう? 私も、地球のここに来てそれを見て、好きになりました。」
「地球のここ、に来て、ですか?」
「まあ、そうです。もっとも私のルーツは実際地球ですけど、生まれたのはタイタンです。今から五千五百年後の事になります。」
「はあ? もう、何が何やら、ですわ。」
「そうでしょう。これからお話いたします。まあ、あまり気にしないでください。さあ着きました。」
「どこに?」
「ここは、タイタンです。五千五百年後の、です。」
「あなたの世界でっすか?」
「まあ、そうです。」
シーンと静まり返った空間。誰の姿も見えない。
「すごく静かですね。」
「何もないけれど。」
そうなのだ、何もないのだ。プラットホームはある。
しかし、なんの表示もなく、天井の電灯もなく、椅子もなく、売店もなく、第一、出口も階段も見当たらない。やって来たはずの方向は、真っ暗で何もない。 この先も、何も見当たらない。
大体人影がまったくない。
「電燈も見当たらないのに、ここだけ明るいわ。」
「まるで、昔の詩のようだ。『ぼくの前に・・・・』」
「こほん、地上に上がってみましょうか。」
「どうやって?」
アリムは壁にそっと手を触れた。すると、そこにふんわりとエレベーターが現れた。
「どうぞ、お乗りください。」
「むむむ、これもまた摩訶不思議な。」
エレベーターは、音もなく何にも感じず、動いたという実感はなかった。
「どうぞ。」
すっとドアが開いた。
そこは、真っ白な、広い空間。
しかし、ここにも誰もいなかった。
「窓を開けてみましょう。」
タルレジャ・スカイ・ハイ・ホテルのエレベーターのように、しかしもっと広大に、壁が窓になった。
そこには、あの時、副署長が見た通りの風景が広がっていた。
「ここで、五千年後に第一王女様が第二王女様に殺されたのです。」
「あの、未来形と過去形がごっちゃになっています。」
「そうですね。五千年後に、完璧な独裁者だった、地球帝国の皇帝、現タルレジャ王国第一王女様がここで殺されることになるのです。妹君の手にかかって。そうして、地球帝国は、地球共和国となるのです。
人類は、皇帝の力によって、五千年間にわたって、強制的な平和に到達し、人種対立も、宗教対立も、階級闘争もない、極めて平和な世界を享受しました。一部のミュータントや、不感応者たちは、組織を作り、永年皇帝と争いました。 常に、皇帝の良き補佐役であった、副皇帝、つまり現タルレジャ王国第二王女様が、なぜか私は知りませんですが、突然反体制派に身を投じ、絶対不可能と言われていた皇帝陛下暗殺に成功したのです。そうして、地球帝国は民主化されました。しかし、過去の苦い経験から、民主化したとたんに争いごとを始めやすい人間の性癖をよく知っておられた彼女は、平和を維持するために、『太陽系地球人類平和維持機関』を創設なさいました。それがうまく機能して、五百年間人類は平和を維持したのです。」
「はあー、なんだかさっぱりと分からない壮大なお話ですね。」
彼女がぼさっと言った。
「はい、まあそうでしょう。ところが、ここに来て、歴史がひっくり返るような事態が迫っている事がわかったのです。」
「歴史がひっくり返る?」
「はい、ひっくり返ると言いますか、なくなる、といいますか。 私たちの世界は、『火星の女王様』と呼ばれる、時空を超越した未知の存在によって形成された、ある種、実験用の架空の世界だった事がわかったのです。まあ、架空と言うのがよくなければ、複雑に絡み合った大きな川の支流の一つ、というところです。女王は、大きな歴史の選択をする時に、自分が作ったモデル宇宙で、ある選択をしたら、その先どうなるのかを、常に確認しているのです。 わたくしたちの宇宙は、そのひとつです。彼女はこうした、自分が作った多くの宇宙の全ての時間を、自由に行き来できるようなのです。 それでこの宇宙では、五千年後に妹が裏切って、自分の体が殺されて、本体も閉じ込められてしまうことがわかったわけです。そこで、『この』やり方は、全く良くないと判断しました。 で、このままにすると、その支流の通りに、そのまま本流の歴史がなってしまいますので、彼女は、そのやり方は修正するつもりです。」
「もう、何が何だか、ますますわかりません。」
「そうでしょう。そうでしょう。でも、そうなのです。それぞれの歴史は、彼女が見ることで、はじめて実現されるのです。しかも、どうやら彼女の本体は、いくらでも無限に自分のコピーを作って、その情報を集められるようです。 でも全てと言う訳でもないようです。 このあたりはまだよく判りません。 いずれにしても、女王が、ある過去を修正する事により、この世界は消滅します。しかし、ここで生きてきた人間を始めとする生物は、皆、本物です。本人にとってはですが。 そのすべてが、消えてなくなります。 というか、全てが最初からなかった事になります。多分。」
「すべてが、ですか?」
「そうです。根元がなくなるのですから、その先はあり得ません。」
「はあ・・・・・。あなたも消える?」
「はい、まあ、おそらくは。しかしながら、問題は、どこを修正したら、わたしたちが消えてしまうのか、それは私たちには、わからない事です。 彼女が見たときだけ、直そうと思った事だけが、彼女の意志によって変わります。」
「はあ? なんですか、それ。」
「よくわからないが、僕たちの世界も、女王の作った実験場かもしれない?」
「そうです。いったいどこが本当の歴史なのかわかっているのは、今のところは、女王だけです。わたしたちは、自分や宇宙が存在していると認識しているだけで、本物か偽物かを議論する意味はありません。
個人にとっては、消滅であろうが、死であろうが、変わりはありません。しかし、周囲にとっては、それが消滅でない事だけは、わかります。」
「でも、どうして、自分たちが消滅すると、わかったのですか?」
「消滅すると、確定したのではないのです。しかし、ある人物が、あなた方の時代の、警察官だった方ですが、ありえない結婚をし、そうしてこの情報を不思議な物体に託して、隠しておいたのです。その物体は、すべての架空の空間に伝わっていますが、たまたま我々は、それを見つけました。偶然です。そうしてその内容を、一人の天才が、解読したのです。 兄です。」
「はあ・・・・・」
「兄は、女王が、全ての実験場に通じるトンネルを作っている事も知りました。それは、方法さえわかれば、人間が利用できる事もです。さっき通った空間です。」
「はあ、女王はそれを知っているのですか?」
「わかりません。今のところ邪魔された事はありませんから、知らないのか、ほっているのか、どちらかです。いずれにせよ、今、あなた方にとって問題なのは、この先どうするかです。」
「まあ、それはそうだけれど・・・」
彼女が言った。そうして二人は顔を見合わせた。
「で、お二人に選択肢を提供いたします。ひとつは、今の世界ではない、今のところ安全だろうと思われる世界に避難する事。その中の選択肢は、三つ用意いたしております。もう一つは、あなたがたの世界に帰る事です。ただし、あの時間からは、一日後の世界。場所は、日本の『不思議が池』です。 その時、あなた方の世の中は、すっかり変わっていることになります。 大部分の人間は、女王の不思議な力で、即座に、完全に洗脳されています。 お二人とも、かなり孤独な立場になります。でも、今の人格を維持できるのです。 もしそのことに気づかれたら、『不感応者』、もしくは、『背徳者』として、追及される立場になりかねません。そうならないためには、新しい地球帝国皇帝陛下に忠誠を誓って、言われるままに生きる事が必要です。でも、これは、そんなに悪い選択肢ではありません。おそらく、間もなく世界は平和になり、より平等となり、安全となり、争いごとも少なくなり、多くの病気が克服され、月旅行も火星旅行も、すぐに実用化されるでしょう。人間は去勢されたように大人しくなり、非常に住みやすい世の中になります。でも、洗脳されていないあなた方は、いつも発言に大いに気を付けながら生きる必要が出て来ます。対処法はお教えいたしますから、まあ大丈夫ですよ。 それに、わたくしの偉大なご先祖様に連絡を取って、あなた方の特別な保護も頼んでみますから。 大分変わった人だったようですが、興味を持って何とかして下さるでしょう。 なにせ、歴史上、当時の第三王女様の夫として、天才科学者として、有名な人ですから。」
「それは、どういう事なのでしょうか。すぐにはピンとこないです。・・・あの、その前に、あなたのお兄さんのことですが・・・・」
「はい。」
「あれは本当のお話ですか? 筋が通らないようです。」
彼女が言った。
「本当なのです。兄は、わたくしと同じ組織の、所謂スパイでした。当時のタルレジャ王宮の内部の動きを探っていたのです。しかし、何かはわからないのですが、大切な事を探り当てたところで、消えてしまいました。あなた方は、兄を見たとおっしゃっていましたね。どこで、ですか?」
彼が答えた。
「地獄、です。」
「地獄!?」
「はい、どうやら、その火星の女王様、つまり今の第一王女が作ったと聞きました。この世界で罪を犯した者を、王女が推薦するか、あるいは世界中にある不思議な池・・日本では『不思議が池』、この王国では『アヤ湖』に住む女神が食べるかして、地獄に送るのだそうです。」
「こんどは、こちらがびっくりする番ですね。知りませんでした。多分、女王が作った、架空世界の一つでしょうね。あなた方はなぜそこに行ったのですか?」
「ぼくは、地獄からスカウトされて、『悩み事相談所』の所長として行きました。彼女は、ぼくを助けるために自分から地獄に行きました。僕は特異体質らしくて、普通の生きた人間が長く地獄にいると、ゆっくりと鬼になるらしいのですが、僕はとても速く鬼化し始めていました。」
「はあ、なるほど、それで、ですか。」
アリムは彼の足を見ながら言った。
「で、兄はどこにいたのですか?」
「それが、あの・・・人間タイヤになって、バスのタイヤをしていまして・・・・」
彼は自分が見た事を話した。
アリムは絶句した。
「まあ、なんと言う事。 それも第一王女・・『女王』、『皇帝』、の仕業ね。 絶対許せない。必ず兄を救い出すわ。 そうして、彼女を滅ぼす。必ず。」
「方法があるのですか?」
「わかりません。 第二王女様は、滅ぼすのではなく、帰ってこられない空間に、あの魔女を放逐しました。いちかばちかの大博打だったと、第二王女様は後で語っていたそうです。同じ事は出来ないかもしれませんが、必ず方法はあります。と思っておりましたが、残念ながら、あなた方の時空では、もう時間切れが迫っているようですね。」
「時間切れですか?」
「そうです、わたくし達が考えているところでは、第一王女が、自分が皇帝にならずに、妹たちを支配者に据え、お二人が、正式に即位した時点で、私たちは消滅するのではないかと、推測したのです。」
「そんな。」
彼女が呻いた。
「あの、・・・第二王女様は、その後どうなったのですか?」
「わかりません。私たちの世界では、世の中が安定するのを見届けた後、行方不明になりました。 死なない処置を受けていた方ですが、死ぬ事は可能だったとも聞いています。おそらく、ご自分で命を絶ったのだと言われております・・・・・・・。この世界では。」
「あなたはこれからどうするのですか?」
「いよいよ、その時なのです。 なんとかして、第三王女が皇帝に、第二王女が総督になるのを、防がなくてはなりません。その式典までに、世の中を変えなくてはなりません。』
⛲
「いいですか、幸子さん、わたくしども全員が、あなたのお味方です。かならず、副署長様を、その場でモノにするのですよ。」
アヤ姫様のお言葉とは思えない言い方だったが、考えて見れば、アヤ姫様はお子様をお産みになった事があるのだった。
「あの、でも、わたしは、男性とお付き合いをした事がなくて・・・・。」
「大丈夫です。あなたの美貌は、ことの他、素晴らしいのです。男なら、ほっておきません。タイミングを見て、誘惑なさいませ。」
「あの、お饅頭、持って行っていいでしょうか?」
「ああ、それは良いお考えじゃ。さあ、箱に入れましょうほどに。ほら手伝って、みな。」
ジュウリ様がさっさと動きはじめる。
「あの、一つ頂きます。皆さまもいかがですか?」
幸子さんが、そう言って両手でお饅頭を取った。
「幸子様は、本当にお饅頭の申し子ですね。」
アヤ姫様がそう言うと、女神様全員が大笑いした。
「では、行動開始いたしましょう。」
アヤ姫様は、そう宣言した。
👮
元副署長は、宿への道を急いだ。
すると、アヤ湖に流れ込んでいる小さな川のほとりに、何やら怪しい霧が立ち昇って来た。
「タルレジャ王国で霧か? 確かにぐっと寒気がしてきたぞ。気のせいかな。それとも、また妖怪変化の類か。」
元副署長の廻りは、あっと言う間に真っ白になって何も見えなくなった。
すると、遥か彼方から、提灯らしきもののような、ぼんやりとした明かりが二つ、ふわふわと、上がったり下がったりしながら、近づいてくるのだ。
「おいおい、勘弁してくれよ。 不審者として召し取るぞ。おっと、もう辞めたんだったっけな。」
その明かりは、あっと言う間に目の前に来た。
正真正銘の、日本の提灯だった。 ただし持っているのは、和服を着た西洋人らしき女だ。
おもいっきり、上手く着こなせていない。
おまけに、素足の足が宙に浮いている。
「お今晩は。副署長様ですか?」
大きいほうの女が、ちょっといびつな日本語で尋ねてきた。
「違う。」
「え、違いますか?」
「副署長ではなくて。元副署長だ。」
二人は、顔を見合せながら、何やら相談していたが、こう言った。
「モト、というのは、物事の時間的な由来を確定するために、単語の頭に付ける言葉と確認いたしました。また目的の人間様と、確認いたしました。さあ、いっしょにおいで下さい、お待ち方があらます。」
「お待ちの方があります、だろう。 複雑なところだけすいすい言えるじゃないか。誰が待っている?」
「あなたの、大切なタカです。」
「俺の大切な、たか、かた? 断ったらどうする?」
「失礼して、食べます。あなたを、です。目的地は同じです。」
「食べられるのは、ごめんだね。 なんかあんたたちの正体が見えるようだ。犯人は、あの女王か?」
「見えますか?」
「ああ、見える。日本のあの池の化け物の仲間だろうが。」
二人はまた相談している。
「ああ、わかったよ。ついて行ってやるから、案内してくれ。」
「ああ、よかった。どぞ、こちらに。すぐ着きまするのです。」
「やれやれ、まいったな。しかし、これは罠なのか、チャンスか? どっちかだ。」
「どぞ、こちらに。」
二人の女神様は、左に曲がったとたんに消えた。
「おい、消えたぞ!」
と、言いかけた瞬間に、体中がジャボンと大きな衝撃を受け、ずぶずぶと沈んでゆく。
『うわまいった、川か、湖か? 浮き上がらなくては。」
しかし元副署長の体は、どんどん深みに沈んでいった。
『くそ、殺して魂だけ奪うつもりか。いやだ、反撃する。全力逃走! 』
元副署長は、すっと力を抜いて浮力に任せた。
『しめた、浮きはじめた。』
ところが、あの二人の女神が寄って来て、まるで海の中から現れる幽霊のように、元副署長の足を引っ張った。物凄い力だ。
『くそ、本気で殺す気か。』
元副署長は頑張ったが、さすがに女神様二人には太刀打ちできなかった。
そこには、薄い、非常にすけすけのドレスを着た女がいた。
「おまえは、不思議が池の・・・・・」
「はい、不思議が池の幸子にございます。」
幸子さんは、元副署長の前に三つ指をついて挨拶した。
そうして、かなり、むりやり、しおらしく言った。
「お饅頭を、どうぞ。 お茶もございます。」
「お前その水は・・・・・」
「御心配には及びませぬ。タルレジャ王国製のペットボトル水でございます。」
幸子さんは、床の上にあったお水の入った大きなボトルを見せた。
元副署長は、ほっとしながら続けて言った。
「で、俺はまた死んだのか? 今度はどこに連れてきたんだ?」
「あの、死んだのではありません。ここは、奥アヤ湖の小さな島です。アヤ姫島の『アヤ姫宮』です。ここは、第一王女様の特別な許可がなくては、だれも入れない禁断の島です。昔、アヤ姫様がよくお籠りになっていた祈りの島です。お亡くなりになった折も、ここでお祈りした後で、海にお入りになったと聞いております、はい。」
二人がいるお堂の裏の部屋では、女神様たちが成り行きをじっと見守っている。
ただし、人間には、どうやら会話は聞こえないらしい。
『ほら幸子殿、もっと近寄りなさいませ。くっつきなされませ。』
ユーリーシャ様がじれったさそうに言った。
『まあまあ、そんなに急がずとも良いではないか。』
なぜか、コキ様もしっかり付いて来ていた。
『あの男の方、とても慣れた様子ですわね。』
アヤ姫様がおっしゃった。
『幸子様に、まんざらでもないのではありませんか? お連れする時も慌てる様子もなく、しっかりした方かとお見受けいたしました。』
アナ様が応じて、続けてこうも言った。
『まあ、日本の警察の鬼刑事様とか、お聞きしましたので、鬼同士で、よいのかもしれませんね。わたくしの、日本語は通じたのでしょうか?』
『ええ、お見事でした。』
アヤ姫様は、日本語がお得意だったので、これはお世辞というか、そういう事でもあった。
「で、何の用事かな?」
「あの、つまり、用事と言うほどでもなく、つまり、あなた様と、お久しぶりにお饅頭をいかがではないかと、つまり、王国にいらっしゃる事が、でしたので・・・。」
「あまえは、日本の鬼だろう。さっきの外国の鬼みたいな話し方をするな。 で ?」
「あの、ですから、あの、女王さまの事を、お話しようかと・・・・。」
「ほう、それなら、いい事だ。 聞きたい事は色々あるんだ。隠さず話しなさい。」
「はい、あの、お饅頭、どうぞ。」
幸子さんは、お気楽饅頭が山盛りになった、とても上品な装飾がされた箱を、すっと前に押し出し、その分だけ、前に進んだ。
「あんたが、それでしゃべるなら、頂こう。」
『いい調子です、幸子様、その調子で! あともう少し前に! 御胸を、も少しだけ開いて。』
アナ様が、こぶしを握りながら言った。
『そなたが興奮しても仕方なかろう。まあ、わしも、連れに行った手前、多少興味はあるのじゃが。』
ユーリーシャ様が呆れたように言った。
「では話しにくそうだから、俺が聞いてやろう。 今、火星人とかが、地球を支配するとか言って来ていた。街中に、夜中なのにその声が響き渡っている。迷惑な事だ。 あれは、何者なんだ、女王の仲間か?」
「私の存じております事は、リリカ様は、女王様の昔からのお友達です。お会いした事はありませんが。火星人ですですらしい、です。そういうお話は聞いたことがあります。」
「やはり、仲間か。で、この騒ぎも、女王が仕組んだ事か?」
「女王様が、これからはリリカ様たちが地球を征服するって、おっしゃってました。あの、もうひとつお饅頭いかがですか?」
「食ったらしゃべるか?」
「それはもう、思い切りお話しします。お饅頭一つに付き、お話も一つです。」
「ばか、質の悪い情報屋みたいなことを言うな、鬼だろう、あんたは。」
「あの、幸子は、ばかですけど、鬼ですけど、質の悪い情報屋さんとかはしていません。」
幸子さんは少し泣きそうになってきていた。涙が、じわっと溢れそうになっている。
『あの男、やっぱり、質の良くないただの警察官ではないのか? 幸子殿が可哀そうじゃ。あれは、職務質問というものであらう。」
ユーリーシャ様が、珍しく幸子さんの側に立っているようだった。
「まあ、警察の方ですから、性質といいますか、お癖なのではないかと・・・」
アナ様がなぜか元警部補をかばった。
『やはり、幸子様の片想いでは?』
ジュウリ様が、手にあの玉を持って、いつの間にか後ろから、じわっと現れていた。
『まあ、もう少し様子を見ましょう』
アヤ姫様が優しく言った。いざとなれば、女王様を別にすると、もっとも恐ろしい力を持つ、アヤ姫様である。
「ああ、すまん、別に叱ったのではないから。 つい職務質問のくせでな。俺は警察は辞めた。だから、今は一般人だ。しかし、あの女王は、ほっておけないんだ。人類の未来がかかっているらしい。こんなオカルト的な事態は、想定外だったが、ここまできたら、とことん付き合うしかないんだ。 あんたは、鬼だろうけれども、あの女の子の事件を見ても、なぜか人間的な感じがするんだ。だから、知ってる事は教えてくれ。」
「え、警察、辞めたんですか?」
「そうだ、辞めた。」
「じゃあ、もう鬼になっても構わないのですね。」
「いや、それは構う。その気はない。」
「まあ、人間のままでも、幸子は構いません。あの、お饅頭、どうぞ。」
幸子さんは、お饅頭の入った箱をさらに前に進めた。
そうして自分も、ちょっと前に進んだ。
『それでよいぞ、幸子殿。』
『射程範囲内に入りました。』
その瞬間、元副署長が、どっと立ち上がった。
「しかしだ、あいつは俺を宇宙の果てまで飛ばした。そんな化け物に、どうやったら勝てる?」
元副署長は、幸子さんの目の前に、どかんと座った。
「教えてくれ、あの化け物の弱点はどこだ? 饅頭全部食ってやってもいいから、話してくれ。あいつはいつから地球に居るんだ。いったいどこから来た? 正体は何なんだ!!」
幸子さんは、もうすぐにでも、元副署長に飛び付きたいところだったが、なぜかお饅頭に手を伸ばしてしまった。
『幸子殿、お饅頭ではない、目標はもひとつ前じゃ。』
『あああ、やっぱり、お饅頭の方がいいのかしら。そろそろ、実力行使いたしましょうか。』
アヤ姫様が呟いた。
幸子さんは、少しまだ涙目のまま、お饅頭にかじりついた。
「女王様は、今のこの地球の人間を、多くの生き物を、お作りになった方です。だから女王様を倒すなんて考えてはいけない事です。それよりも、今は・・・」
「それよりもって、今って何を? 大体女王が人間を作ったなんて、進化論に、事実に反することだぞ。」
『そこだ、幸子さん頑張れ!』
『行け、幸子殿、負けるでない!』
女神様たちが、隣部屋で総立ちになっている。
「あの、それよりも、どうぞ、お饅頭をもっと・・・・・」
『幸子殿、お饅頭ではない。』
『あああああ・・・・・』
幸子さんは両手に握りしめていたお饅頭の一方を、突然元副署長の口に押し込んだ。
「おわ! 何するんだ。」
一瞬だけ怯んだ、元副署長に倒れ込みながら幸子さんは叫んだ。
「幸子を、もらってください!」
『やったあ!』
『もうひと押しじゃ。』
その時、女神様たちの圧力で、となり部屋と境の板戸が、どかっと倒れた。
「きゃああ!」
幸子さんが叫んだ。
元副署長は、とっさに彼女をかばう形で、抱きかかえる事になってしまった。
「なんだ、なんだ、誰だ! あれ?」
元副署長は、幸子さんを抱きかかえたままで叫んだ。
そこには、誰もいなかったのだ。
「うーん、おかしいな。 誰もいない。 やっぱり建物がぼろなのかな。おい、何時までくっついているんだ。」
「いやです、このままがいいです。気持ちいいです。ずっとこのままにしてください。」
「こら、馬鹿言うな。」
こういう事に非常に鈍い、元副署長も、やっと気が付いたようだった。
『いや、これはまずい相手に、気に入られたらしいな。化け物に好きになられた時は、どうする? そうだ、韋駄天建設の社長が言っていた。こいつは塩が嫌いのようだと。しかし、いま、それはないなあ。日本ならこういう場所にはありそうだが、ここは外国だ。勝手が違うぞ。御札もない。さあどうするか?』
二人の周りには、女神様たちが手をつないで、輪になって踊っている姿があった。
幸子さんには、それがしっかり見えていたし、歌も聞こえていたが、元副署長には、全く何も見えていなかったし、歌も聞こえなかった。
🍶
「それで、どうなさいますか? 別の世界に、一緒においでになりますか? それともお帰りになりますか?」
「ちょっと待って下さい。一日後じゃなくて、同じ時に戻してください。」
彼が言った。
「そのほうがいいです。僕たちは、明日の朝、タルレジャ王宮の方に連絡して、保護してもらいます。そうすれば、就職の道も開けるし、収入の約束もあります。 王女様が地球を支配しても、これは、その王女様の指示らしかったから、ずっと信頼性があります。あなたには、悪いけれど、ここが五千年後だと言う確証は、何もないでしょう? 次の日になったら、約束を破ってしまう事になる。あなたも、今以上の悪者にはならない。 それに、このまま日本に戻ったら、僕たちの説明は、まったく信じてもらえなくなってしまう。」
「そうね、確かに。」
彼女も言った。
「それは駄目です。それでは、わたくしが、組織から糾弾されてしまいます。あなた方を、みすみす王女に渡すわけにはゆきません。洗脳されるのを見過ごすこともできません。われわれは、洗脳されていない人間を、多くあの世界に残しておきたいのです。われわれのエージェントが、人間を一時的に捕獲しては、時を超えてから戻す作戦を実行しているのです。あなた方もその内なのです。というのも、もしかしたら、我々が消滅するのは、即位の式典のタイミングではない可能性もあるからです。いくつかの選択肢がありうるので、さまざまに対応を、しておく必要もあるのです。」
「それが、本音ですか?」
「そうです、でもこれは、私たちの為ではなくて、あなた方、地球人類の為なのです。いいですか、それにあなた方は、自分の力では、もう戻れません。選択肢はどちらかだけです。決めてください。」
アリムと二人は、睨みあったままになってしまった。
第八話・・・おわり
おまけ ↓
↓
↓
トゥオネラの白鳥さんか?
松江フォーゲルパーク(2005年)
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