一文はできるだけ短く

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一文はできるだけ短く

 ちなみに一文とは、句点「。」までのまとまりです。いわゆる「センテンス」ですね。  文字数に関しては「25~50」といろいろ書かれています。小説もあればシナリオもありますし、文章には個性がありますのであくまで目安です。およそ「40」文字と言われたりもします。  何かを詳しく説明しようとすると、文はどんどん長くなります。あまり長い文章だといっぺんに理解できないせいで、二度読みが必要になったりします。読み手をおっと思わせる場面や巧妙な伏線ならいざ知らず、普通の地の文で二度読みはきついです。  長い文章は読み手には「億劫」に見えて、意欲を削いでしまう可能性があることは念頭に置きましょう。  もちろん、長い文が絶対にダメだということではありません。どんなに長い文章であってもストレスなく読ませるなら、それはとても優れた文だという証明でしょう。  テンポよく読み手が読み進められる文が理想です。裏を返せば、長い文であればあるほど読みやすく、内容もわかりやすくしなければいけないということです。  川端康成は1950年刊行の『新文章讀本』でこう書いています。  まず読むこと。それぞれの長所を見ること。そこに知らず知らず進むべき途の第一歩は、見出されるのではあるまいか。  しかもつねに警戒すべきは、長所に酔って、うかと短所を見逃すことであろう。  短いセンテンスには、時として色も匂いもない。粗略単調な文章となる危険を持つ。性急で、無味乾燥な、文章となれば、そこに詩魂も枯れ、空想の翼も折れるであろう。反面、長いセンテンスは、徒らに冗長に失してその頂点を見失う事が多い。  文章の初心者に望む第一歩は、その故に、己の心緒に最もふさわしい……言いかえれば、一番己の好きな文章をみつけることである。 9276239d-f7c0-4a9a-8223-41d48caccff6  沢木耕太郎(ノンフィクション作家)はこう言っています。  文章の原則は、センテンスを短くすることにある。なるべくセンテンスを短くする。でも、センテンスを短くしても長くなってしまうとき。そこには何かがあるんだよね。  原則は短く、それでも長くなってしまうセンテンスにこそ情感がこもる。長いなと思われて、読まれないとそこで終わり。長いセンテンスを短いセンテンスと同じように読みやすくすること、すっと読めるようにすることが大事だと思っている。  短いセンテンスはボクシングで言えば、ジャブ。これが基本になってリズムを作る。でも、大回りになっても効果的な右フックはあり得るよね。あらゆる文章を「すべて短くせよ」では足りないものがある。僕はそれをかなり最初期からわかっていた──。  ●句読点は多すぎても少なすぎても読みづらい文章になります。厳密なルールはないので、気持ちよく読み進められるかどうかが重要です。しかし、小説は読みやすさばかりでは、きっと落第です。読者を心地よく困惑させる部分も必要でしょう。 ■駅の階段を降りると、少しうねった(ゆる)やかな下り坂が伸びている。私鉄沿線特有の小さな店が連なる商店街を抜けると、道はやがて平坦になり閑静な住宅地へと続いている。 ※またもや僕の小説で恐縮ですが、「29」文字と「46」文字です。ふたつめの一文がギリギリセーフな文字数ですね。 ●接続助詞に気を付けてください。文章をダラダラ長引かせる犯人はこいつです。 ※原因や理由を表す「~で」 「雨が降ったので」「宿題を忘れたので」「熱が出たので」 ※逆説や対立を意味する「~が」 「雨が降ったが」「宿題を忘れたが」「熱が出たが」  これを使いすぎると長くなります。かなりの確率で、ここで文を区切ることができるはずです。  接続助詞の多発で一文が長くなってしまった場合は、接続助詞を用いている部分で一文を切れば良いのです。 「だから」や「しかし」などの接続詞に置き換えられる場合は、そこで文章を区切ってもいいのです「が」……。 ─To be continued─
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