侵入と懐柔

1/1
15人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ

侵入と懐柔

 母親ではないその人を、あたしは「ママ」とは呼べない。仕方なく「お母さん」と呼ぶことにしたが、それは「佐藤さん」や「鈴木君」と同じ、単なる呼称でしかなかった。  けれど、真梨佳は少し違った。  越して来た夜、お母さんは毛布と枕を抱えて、あたし達の部屋に来た。二段ベッドの下段の縁にもたれ、真梨佳に寄り添うようにして眠った。朝方、物音がして目が覚めると、半分寝ぼけた真梨佳をトイレに連れて行くところだった。そんな風にして、毎晩寄り添って寝たせいだろうか――1ヶ月も経つと、真梨佳は笑顔で彼女を「お母さん」と呼ぶようになっていた。そして気がつくと、真梨佳はおねしょをしなくなっていた。  お母さんがやって来て間もなく、真梨佳は学童を止めた。お母さんは仕事を辞めて「専業主婦」というものになったので、何時に帰ってきても出迎えられるからだ。帰宅すると手作りのおやつが用意されていることもあったし、ママが居た時よりも家の中が綺麗になった。ベランダの外では、プランターにミニトマトが植えられ、玄関に花が飾られるようになった。  だけど、この人はママじゃない。  カレーも、唐揚げも、お味噌汁も、ポテトサラダも……なにもかも、ママとは違う。 「お母さん、これ、美味しいね」  醤油色してショウガ臭い唐揚げを、隣で真梨佳は嬉しそうに頬張っている。 「あら、ありがと。私の故郷の北海道では、ザンギって言うのよ」 「ザンギか。下味が付いているんだな」  ビールをグビリと飲んで、パパも笑顔になる。パパは、お母さんが来てから帰りが早くなった。 「そうなの。家庭によって味が違うのよね」  パパも真梨佳も、ママのことなんて最初から居なかったかのように、お母さんを受け入れている。それが、どうしても許せなかった。  そして――11歳の誕生日。  「ミッシェル」の誕生日ケーキだけは同じだけど、それ以外はなにもかも違う。ママが作る赤飯は、小豆の入った少し茶色がかったご飯だし、唐揚げはもっと明るいキツネ色で、ショウガ臭くなかった。ポテトサラダも、ママはコーンなんか入れなかった。 「真奈佳ちゃん」  階段を上ってくる足音が聞こえたから、急いでベッドに潜り込んだ。ここがあたしの最後の砦。 「まだ眠ってないわよね」  部屋に入って来てすぐに、カタンと音がした。お母さんは、学習机の椅子に座ったらしい。 「あなたが元のお母さん――ママのことを慕うのは、仕方がないと思うの。子ども時代の10年間は大きい。私にも、私のやり方にも、すぐに慣れるのは難しいでしょ」  お母さんの声は冷静だった。大人目線で上から言い聞かせるのではなく、ともすれば独り言かと錯覚するくらい、感情的ではない。 「でもね、あなたのお母さんは、私です。私は、自分が出来る限りのことは一生懸命するけれど、ママと同じようには出来ないし、ママの真似をするつもりもありません」  苛立ちは、悲しみに変わる。お母さんを認めてしまえば、あたしの中のママが消えてなくなってしまう。それは、あたしの中身が作り変えられてしまう気がして、怖かった。 「出てって……あたしのお母さんは、ママだけよ……」  お母さんは、なにも言わずに部屋を出て行った。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!