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「君は聞かないんだね」
金曜日のことだ。先生からその話を切り出すとは意外だった。本当は聞きたい、知りたい。何が先生をそうさせたのか。
「…はい」
しかし、言葉を飲み込む。物分かりの良い、節度のある人だと、大人っぽいと思われたい。そう考えてしまったのだ。
ああ、知りたい。
「先生!」
この教室に似つかわしくない叫び声。
「西村先生、この学校の卒業生だったんですか」
佐々木君が慌ただしく教室に入ってくる。
「…なんで」
先生は少し冷めた目つきをした。佐々木君は臆さない。
「さっき、教室で女子が言ってました。在学中のどこかでフランスに留学していたとか」
先生は一つ溜息を吐く。
「どうせ日野先生あたりだろう」
日野先生は、お喋りな数学の先生だ。
「はあ、情報源は分かりませんが。なんで隠すんですか」
私はギョッとする。ごめん、サキ。一発じゃ足りないかも。
「別に隠してはないさ。…ただ自分から言う必要がなかっただけ」
先生は、窓の外を眺めている。その立ち姿はいつもと変わらないが、纏った空気感からはどことなく愁いを感じた。
先生は何を愁いているのか。
私は悟った。きっとそれが、昨日の答えだ、と。
「必要?僕たち生徒のために話してくれてもいいじゃないですか。フランスへの芸術留学なんて気になります」
私はある意味佐々木くんを尊敬せずにはいられない。
先生はいたずらっぽく笑った。
「ダメ。フランスには宝物があるからね」
「はあ…」
佐々木君は首を傾げた。納得がいかなようだ。
一方で、私は先生と急速に遠のいていくのを感じていた。
フランス
遠い。一体フランスにどんな宝物があるというのか。
芸術、流行、食事、思い出、
恋
あ、
と声が漏れそうになった。口元に手をやって抑える。気づきたくはなかった。
先生の愁いているもの、いや、人。それは…
私は思わず、俯いた。自我を持って先生から目を逸らしたのは、それが初めてだった。
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