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「だから、女子生徒に、なんてことあり得ないんだ…」
「はい、はい…」
私は号泣しながら何度も頷いた。
「安心して。あいつは今俺と同居していて、日本にいるし、生きてるから…」
その声は、私というより、橋本先生自身を落ち着かせているように聞こえた。
私が泣き終わると、もう外は暗くなっていた。
「時間大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。家も近いので」
「そうか…。悪かったな」
橋本先生は、既に罪悪感に苛まれていた。そうなることは本人だって分かっていたはずだ。人のことを話すのは自分のことを話すのよりずっと重い。でも、橋本先生だって辛かったに違いない。大事な甥を傍で失いかけていたのだ。
そして、私はそれを知りながら、先生を処刑台に立たせた。
私の方がよっぽど重罪ではないか?
私は、心の中でそう考えながら、現実では唇を噛んでとにかく首を横に振った。
「平井、悪いがこのことは誰にも…」
「分かってます。絶対に言いません!」
鼻声で言った。
「ありがとう…」
橋本先生は、諦めているようだった。
それでも、私は本当にサキにも、親にも、誰にも言うまいと、強く思っていたのだ。
鏡を見なくても、目が腫れているのが分かる。私は鼻を啜って橋本先生に訊いた。
「橋本先生は、彼が留学中に描いた彼女の絵を見たことがありますか?」
「残念ながら…」
橋本先生は首を振る。眼鏡を上げると、少し困ったように微笑んで、大きなキャンバスを指さした。
「その絵は、この赤の下に埋まっている」
指の先には、私が彼と初めて出会った日に見た、燃えるような真っ赤な絵があった。
そうか。これだったのか。
もったいない、と言いたくないと思った。
翌々日の全校集会で、橋本先生が学校に戻ったことが全体に告げられた。そして、なんの脈絡もなく、学校内性暴力防止についてのセミナーが始まった。終始、生徒達のざわめきが続き、ニシムラセンセイ、という言葉が飛び交っていた。
私はとてつもなく寒さを感じて、胃がひっくり返るような気分で、固く体育座りをして下を向いていた。後ろにいるサキは、何も言わずにずっと私の背中を撫で続けてくれた。
私が推察するに、ことの成り行きはこうだったのだと思う。
生徒の誰かがSNSに写真を投稿した。それは西村先生と生徒が関係を持ったという証拠となるもので、何らかの経緯で他の先生の目に留まってしまった。問題視したその先生は上に報告し、西村先生は呼び出された。彼はその写真を見て、否定しなかった。事実として関係は持っていなかったとしても、彼のその態度には問題がある。それで解雇されたのだろう。
後日、例の写真がディープフェイクであると判明したことを誰もが話の種にしていた。
散々先生を罵っていた女生徒達が手のひら返しで戻ってきてほしいと叫んでいるのが、ひどく気持ちが悪かった。
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