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エピローグ
「あの人さ、死んだんだって」
リエの手から滑り落ちたグラスは、鈍い音をたてて転がった。溶けかけた氷がこぼれる。
「…あー、ごめん。かかってない?サキ」
笑顔を張り付けたままテーブルを拭く。
私は片付けを手伝いながら、リエのほうを盗み見た。
…誰だっけ
西村先生のことを忘れていたかのような口ぶり。
嘘だ。
リエが西村先生のことを忘れるはずがない。私にはわかる。
きっと、次はこう質問してくるのだ。
なぜ知っているのか
「あ、のさ、そのことどうして知ってるの?」
やはり。
「佐々木がさ、モネ展で橋本先生と偶然再会したんだって」
「ああ、上野の。私も行った」
「それでカフェに入って色々と話すうちに、西村先生の話題になって、橋本先生から教えてもらったらしい」
「…そうだったんだ。西村先生ってあの美術の…」
今度はきっと。
「「先生の死因は?」」
二人の声がぴったりと重なる。リエは口を噤んで、目を少し見開いた。驚いたときによくする顔だ。
「あんたの考え丸見え」
私は両手で丸を作り、そこからリエの顔を覗く。
「…ずいぶん前に感染症にかかっちゃったらしいよ。日本では珍しいウイルスだったらしいんだけど、その時フランスにいたんだって。もともと致死率が高い病気だったらしくて、助からなかったみたい…」
両手の丸から覗いたリエの顔は瞬間悲しそうに見えたが段々と和らいでいった。
そして、小さく口が動き、何かつぶやいたのが見えた。これはきっと彼女の独り言。その表情はとても晴れ晴れしている。
当たり前だが、私にもリエについて分からないことはまだまだたくさんある。
例えば、
リエは今なぜ「先生、良かったね」と呟いたのか
とか。
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