忘れていたひと

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忘れていたひと

 何十年も忘れていたのに、先日ふうっと思い出した人がいます。  そのかたは男性なのですが、それほど関わりが強かった人ではありません。ひとつのグループでご一緒していただけのかたです。  けれども、ある日の昼休み、私に声をかけてくださいました。年齢は私より少し上くらいのかた、だと思われます。  詳しくは忘れてしまったのですが、休みの日に音楽か映画か、その類のものをご一緒にどうか、というお誘いでした。  私は当時そのお誘いの意味がまったく理解できず(とても子どもっぽい子だったので)、あっさりとお断りしてしまいました。本当に、どうして自分がお誘いを受けるのか、わからなかったのです。そして、そのかたがどのような人なのかもあまり知らなかったので……  あれから何十年経ったのか。多分ですが、三十年以上。今にして思えば、大変失礼なことをしました。申し訳なく思います。今さらお詫びするすべもありません。  そのかたのことを、先日いきなり思い出しました。うっすらとお顔、髪型、服装も思い出しました。なんとなくですが、苗字だけ思い出しました。彼は今、絶対に「あの職業」に就いている。確信がありました。「あの職業」の内容は言えませんが、オープンに顔を見せる職業なのです。  かなり悩みましたが、お元気になさっているか知りたい。私は思い切って検索しました。あっという間に正しいフルネームが判明し、どこでお仕事をしているかがわかり、現在のお写真も見られました。  とてもお元気そうで、お仕事もがんばっておいでのご様子でした。今はその土地にいるのだなと、私は行ったことのない場所を思い浮かべました。お写真に向かって、「あのときはごめんなさい」と呟きました。お顔を見られてよかった、もう会えないけれど、ごめんなさい。私のことは覚えていないかもしれないけれど、ごめんなさい。そして私は、ブラウザをそっと閉じました。見なかったことにして。  ほんのわずかな接点があっただけで、ご縁はなかった人が、人生の中で無数に存在しています。彼もまたその一人でした。彼が当時なにを思って私を誘ってくださったのかはわかりませんが、あのとき「はい、行きたいです」と言っていたら、私の人生は少しだけ違ったかもしれない。  彼のことを検索してよかったのか、それが正しいことだったのか、私には判断できません。だからこれを読んだあなたも、私をジャッジしないでください。心の中にはたくさんの「何か」が生きています。「何か」について、私も、私以外の誰も、ジャッジできないし、するべきではないと考えています。  ただ私の中の記憶が、ぽかんと開いた瞬間。そこに現れたのが、そのかただったのです。一瞬の邂逅。そこに善悪の入る余地はありません。  そして、人生は続くのです。 ***
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