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きょうだい
私にはかなり年の離れた兄がいます。あと少しで干支が重なるほどに離れています。私が物心ついた頃には、兄は既に大学生になる寸前でした。
我が家の両親は特に毒になる親ではありませんでしたが、だからといって素晴らしい人たちというほどでもありませんでした。父は仕事で忙しくて家にはおらず、母は専業主婦でしたがあまり優しい人ではなかった気がします。私にとっての家族の思い出はたくさんありますが、その中の印象的なプラスのイメージは兄の中にありました。
小さな私にとって、兄は親のような存在でした。小学校の高学年になると、親の代わりに授業参観に来てくれたこともあります。
聞けば、私が産まれた当初から兄は積極的に私の子育てに参加し、母に代わって多くの仕事を担ってきたとのことです。私が危険な目に遭わないように常に見張り、母が目を離していても兄が助けてくれたのだそうです。兄がいなければ、私は無事に育たなかったと母は言います。
兄妹としてのいい関係は長く続きました。私が中学生になった頃には、一緒に本を読み、マンガを読み、音楽を聴き、楽しい時間を長く過ごしてきました。兄を通して私の娯楽の趣味はしっかりと定着していきました。初めてポップスのコンサートに連れて行ってくれたのも兄でした。
二人で連れ立って繁華街へ遊びに行ったり、近所の散歩をしたり、買い物やコンサートへ行ったりと楽しみました。兄が初めての海外出張に出かけるときは、私は空港まで見送りに行きました。バスの中でトイレに行きたくなってしまった私のために、兄が運転手にかけ合って臨時のトイレ休憩を入れてくれたことをよく覚えています。
そんな兄も私が大学生になったら、愛する人を見つけて結婚を決めました。認めたくはありませんが、私はきっと心のどこかで妬んでいたと思います。私だけを大切にしてくれた兄が、他の女性に奪われてしまう。末っ子のわがままな気持ちを、私も人並みに抱いていました。
兄の妻になる人は、とてもかわいらしい小柄な女性でした。私はとても好感を持ちました。兄と彼女の結婚式には新しく買ってもらったドレスを着て、余興の合唱の指揮をしてお祝いしました。
結婚してから兄は、あまり実家へ来なくなりました。両親はそのことに嫌な顔をしていました。私もまた同じです。正月のほとんどを義姉の実家で過ごし、我が家に挨拶に来るのは4日を過ぎた頃。反発を覚えつつも、だからといって兄夫婦を悪く思う気持ちにはなれず、年月は徐々に過ぎ去っていきました。
義姉の母が介護を必要とするようになり、義姉は一人で実家へ手伝いに行く回数が増えました。同時に私たちの父も介護を必要とするようになりました。先に義姉の母が亡くなり、しばらくして私たちの父も亡くなりました。ここまできたら、どちらの実家に多く滞在するかなど、意味のないことになりました。
兄は我が家に来る回数が格段に増えました。夫婦で来ることもありましたが、多くは一人で訪れました。実家をどこまで大切にするか、それはもう夫婦ともお互い様になったのでしょう。
兄はもう、私だけの兄ではありません。私だけの兄ではなくなってから、すでに30年が経ちました。それでも私たちのためになにかと優しくしてくれて、大活躍してくれる大切な兄です。今でも兄は私を育ててくれた大事な人なのです。
親が死ぬことよりも、兄が死んでしまうことのほうが不安を感じます。死ぬ順番はわかりません。しかし年齢の順だとすれば、兄は私よりも先に旅立つことになります。そのとき私はどうするのでしょうか。
甘えん坊の末っ子もいつかは一人になります。私たちはもう中高年です。そろそろ、心の準備をしておかねばなりません。
一生涯、兄のためになにもできなかった。してもらうばかりだった。それでもよかったのかもしれません。私は妹なのですから。
ただ兄の健康を祈ること。兄が元気でいてくれることを、毎日祈らずにはいられないのです。
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