好きをわすれないで

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 真正面で音を立てずに食事する恋人を、柚一はちらっと盗み見る。寝起きのためか、額に流れる黒い前髪が寝癖で跳ねている。まだ眠いのだろう。元来表情の乏しい真翔の目が、より一層ぼーっとしているように見えた。 「ていうかさ、俺の心配よりマナこそ大変なんじゃないの? 今の時期」  真翔は「あーうん」と曖昧な返事をする。  真翔は宅配便配達員として働いている。ネット通販が盛んな昨今、年中繁忙期といっても過言ではない。その上、引っ越しの多い春や、お中元お歳暮の時期になると、宅配便の数が格段に増えるのだ。  お歳暮のシーズンであるこの時期、真翔は毎晩フラフラの状態で仕事から帰ってくる。普段なら柚一が「マッサージしてやろうか」と提案すると、「柚一に触られると変な気分になる」と逆に押し倒してくる真翔によって、セックスに流れるのがオチだ。  だが、毎年この時期は変な気分になる元気も削がれるらしい。昨晩も、ベッドの上で柚一が背中に乗ってマッサージをしていたら、いつの間にか真翔は寝落ちていた。  毎年のこととはいえ、真翔いわく今年は人が立て続けに辞めたらしい。今いる社員やアルバイトに負担が回ってきているのだという。  例年より疲労の色を浮かべた恋人のことが、柚一は少し心配だった。  けれど、真翔は恋人に心配をかけるくらいなら、無理してでも『平常通り』を演じてしまう男だ。  柚一はニッと真翔に笑いかけた。 「ま、今日の夜はメシ作んなくていいよ。たまには出前でもとろうぜ。韓国料理とかタイ料理とか、普段家じゃあんまり食わないやつ」  労いの言葉より、ただ二人で一緒にご飯を食べる。たぶんきっとーーいや絶対、真翔にとってはこっちの方がいいだろう。  相変わらず表情は乏しいが、真翔は一の字に結ばれた口角をわずかに上げた。 「……うん。食べたい、かも」  控えめに喜びを見せる恋人が可愛い。柚一はキュンとした。  腰を浮かせてテーブルを挟み、恋人の頭をわしゃわしゃと撫でる。真翔はされるがままだ。  真翔の髪が自分の指に絡む感触をもてあそびながら、改めてこの男が好きだなぁと、柚一は人を想う幸せを噛みしめた。
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