好きをわすれないで

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***  朝食を終えたあと、家を出るのはいつも真翔が先だ。柚一の勤める小学校は電車で二十分あれば着くが、真翔の勤務先である営業所は、バイクで四十分以上走らせた郊外にある。  柚一は何度か、毎日バイクとトラックで走り回っている真翔に、疲れているときは電車に変えた方がいいんじゃないかと提案したことがある。だが、真翔は「人混みはちょっと」と言って、聞き入れなかった。  柚一にベタ惚れ状態の真翔だが、変なところで頑固なのだ。柚一は靴に踵をしまっている男の背中を見て、ふっと笑う。ま、そういうとこが好きなんだけど。  靴を履き終えると、真翔は身体を柚一に向け、髪を撫でながら顔を近づけてきた。  顔のどこかのパーツが突出していいというわけではないが、真翔のバランスよく整ったルックスは、単純に男前だと思う。涼しい目元に筋の通った鼻、左右対称の顎は、ひいき目で見なくても男性モデルのようだ。  対して柚一は、以前、保護者会で生徒の保護者たちから「加倉井先生って子熊みたいで可愛いですよね」と微笑ましげに言われたことがあるほど、醸し出す雰囲気が丸く見えるらしい。  丸顔に目尻の垂れた奥二重は、世間では『可愛い』に分類されることを、子熊みたいと言われて初めて知ったのだった。  いい意味で尖った雰囲気の恋人に顔を覗きこまれ、柚一はサッと目を逸らした。見惚れてしまいそうになり、なんだか気恥ずかしくなったからだ。 「……なんだよ」 「いや、寝癖ついてるなと思って。髪が柔らかいからかな」  真翔は高校最後に行われた身体測定当時で、すでに百八十六センチあったという。百七十六センチと一般的にはそこそこあるといわれる自分でさえ、真翔の目には低く映っているのかもしれない。そう思うと、それはそれで悔しいものである。  柚一は撫でてくる手を跳ねのけ、「おまえだって、さっきから髪ハネてんだよ」と、真翔の跳ねた前髪を額に押しつけた。 「俺は大丈夫。これからヘルメット被るし、仕事でもどうせ帽子被らないといけないから」 「ハイハイ、ヨカッタデスネ。でもそんなに頭覆ってたらいつかハゲるぞ」  肘で小突くと、真翔は「遺伝的には柚一の方が先じゃないかな」と言った。 「こないだのお盆で父さんに会ったとき、びっくりした」  ボソッと言う真翔に、柚一も「それなんだよ」と同調しつつガックリと肩を落とす。 「いや、まじでビビったよ俺も。てか今年の正月のときは普通だったよな?」 「うん。フサフサだった」 「まったく、半年で何があったんだって感じだよ。逆に母さんはすごいよな。髪の量変わんないし、肌もプルプルじゃん。おまえはいいよな。未来のビジュアルが約束されてて」 「あの人が昔から若作りなの、柚一も知ってるだろ。第一俺は男だし、ああなるとは限らないよ」  「まあな」と笑うと、真翔は短い間を挟んで、前からぎゅっと抱きしめてきた。背中と腰に回された手が、スウェットの上を這う。 「あの人たちの話は、もういいよ」  耳元で囁かれ、柚一は耳が熱くなった。 「お、おまえが先に話してきたんだろ……」 「うん。失敗した」  真翔はそう言うと、柚一の首筋にチュッとキスを落としてきた。  真翔は柚一の恋人であり、そして世間的に見れば弟だ。柚一が十五歳、真翔が十一歳のときに、親同士が再婚して家族になった。
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