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あまりにも自然な声音だった。それこそ聞き流してしまいそうなくらいに。
「……マジで言ってんスか」
「おう。大マジよ。っていうか、その返しはないんじゃない?」
安田に二の腕をパンチされる。昨日肩を叩かれたときとは違い、力を加減されているように感じた。でも今日は、手加減の中に強張りも伝わってきた。
真翔は、意外と安田が緊張しているんじゃないかと思った。
目を伏せた安田の視線が、自分の方から逃げる。揺らいだ視線が足元に向かう。安田は困ったような笑みを地面に落とし、寂しそうな声で言った。
「……なにか言ってよ」
求められても、真翔は何と声を返せばいいかわからなかった。安田のことをそういう目で見たことが、なかったからだ。
一般的に見れば、安田はアウトドアスポーツの似合う健康的な美人だと、真翔も思う。愛嬌もあるし、鼻のまわりに皺を寄せたカラッとした笑顔が、場を明るくしてくれることも知っている。
安田を悪く言う人間は、少なくとも今の職場にはいないだろう。
だけど、それが恋愛感情に繋がるかというと、真翔にはピンとこないのが正直なところだった。
「……すいません。安田さんのことは、尊敬してるんスけど……その……」
「元カノのことが忘れられない?」
忘れられないも何も、覚えていないと言ったら安田はどんな顔をするんだろう。
「忘れられないっていうか、説明が難しいんで、なんて言えばいいのか自分でも……」
「じゃあ、それを教えてくれるまで答え出さないでほしいな」
「え?」
真翔は頬の上で、手持ち無沙汰に泳がせていた指を止めた。首を横にひねり、隣に並ぶ安田を見る。
「本当はね、ご飯や飲みに誘ったりして徐々に距離を詰めていくことも考えたの。でも私、加倉井君より四つも上なんだよ。酔った振りして甘えるなんて、もうできないよ。引かれたら怖いし」
四つ上……柚一と同い齢なのか。頭の端で、そんなことを思った。
「だから朝だけど……めちゃくちゃ仕事前だけど、シラフの状態で言わせてもらったの」
いじらしいと思った。安田の想いに、胸がチリッと痛む。それは柚一に対する罪悪感と似ていた。だが、違うものだということも真翔は理解した。
これが……この感情が、いつか恋愛感情に変わったりするのだろうか。
そんな風に思うと同時に、昨夜自分に好きな人ができたらどうするかと訊いたときの、柚一のショックを受けた顔が頭をよぎった。いちいち沸く罪悪感がうっとおしかった。
真翔はふうと息をつく。
「男には期限つけないとダメっすよ」
「え、期限?」
安田は『どういうこと?』というように、顔をこちらに向けた。
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