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「綺麗だとは思えねぇなぁ」
サーッと頭が真っ白になる。断られた。そう思ったら、ショックを通り越して何も考えられなかった。
そのとき、バシッと背中を叩かれた。柚一の手だ。
「おまえ駆け引き下手くそすぎ。つーか痒くなってくる。ダサい」
「え」
「そんなことより俺は寒い」
「え、え」
「しかもイルカに頭から水ぶっかけられて、さっきからずっと鼻の中がくさい」
柚一はずんずんと駅の方へと歩き始める。真翔は急いで追いかける。自分より背丈が小さいというのに、大股で歩く柚一の歩くスピードは速かった。
男の足が速く前へと進んでいくものだから、駅にはすぐたどり着いた。
大きく並んだ『東口』の文字下を潜り抜け、柚一の背中が駅ビルの中へと吸い込まれる。真翔は絶望感を肩に乗せたまま、柚一についていくしかなかった。
けれど駅口内に入った柚一は、どの路線の改札にも目を向けない。ひたすら真っ直ぐに駅構内を進み、真翔はそんな男に続いた。そして気づいた時には、柚一と一緒に再び外に出ていた。
真翔は背後を振り返った。駅ビルの出入口の上では『西口』の大きな文字が、自分たちを見下ろしていた。同じ駅の東口から西口に移動しただけのようだ。
本当に寒いのか、柚一はブルッと上半身を震わせて「やっぱ外は寒いな」と肩を抱いた。
「さっきのイルミネーション、俺はべつに綺麗だとは思わなかったけどさ」
寒そうに肩を抱いた柚一が、こちらをくるっと向く。吐く息が白かった。
「可愛いとは、思ったよ」
「おまえは?」と窺うように首を傾げる柚一に、ドキッと胸が高鳴る。熱いものがこみ上げてきて、寒さも忘れそうになった。
「お、俺は……っ」
「あーやめやめ。やっぱ『らしく』ねぇな」
柚一はふっと笑う。
「今言う話じゃねぇかもしんないけど、『マナ』はわりとうまかったよ。ストレートに好きだとか言えるくせに、駆け引きもうまかったし」
ズキッと胸に痛みが走る。だが、思いのほかしっかりと立てている自分がいた。マナの話をされるのはしんどいと思っていたのだけれど。
「あれ、なんだ。意外と平気だったか? もっと傷ついた顔すんのかと思ってたのに」
「柚一がしろって言うならする」
柚一は「ばか、言うわけねぇじゃん」とやんわりと否定する。
「でも……そっか」
それはまるで独り言のようだった。
「なにが?」
「いや? おまえはおまえなんだなぁって。久々に今日会って、改めて思った」
柚一の口からさらっと出た、そんなありきたりな言葉。なぜだろう。その言葉を耳にした時、たまらなく胸がざわついた。
ずっと喉の奥でくすぶっていた、けっして小さくはない骨。それがすとんと胃に落ちたようだった。
「なに当たり前のこと言ってんだって感じだよな……って、えっ、なに。泣いてんのか!?」
柚一があわあわと慌てだす。
「泣いて、ない……っ」
そうだ。自分は泣いていない。でもなぜだか涙が出てくる。きっとこれは自分の涙じゃない。好きになった人が自分という存在をやっと認めてくれて、嬉しくて泣いてるんじゃない。
真翔はかつての自分を想って泣いた。一年前、事故で突如愛する人の前から消えなくちゃいけなかった『マナ』を想って泣いた。
さぞかし悔しかっただろう。柚一に冷たく当たる自分を見て、歯嚙みしていただろう。
しょせん想像でしかない。だが、真翔は初めてマナに同情した。恋人と引き離されたマナのつらさを、自分の中に探そうとした。
「……すまん」
声を震わせながら、柚一が謝る。
「そ、……じゃなく、て……」
そうじゃない。柚一が謝る必要なんてどこにもない。
誰がなんて言おうと、この涙は『マナ』のものなんだから。
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