応為

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結局、今日も大学のカンバスには何も描けなかった。 空しく家路へと向かうのみ。電車の窓から差し込む眩しい夕日が頬を焼く。 帰宅してから食事の支度らしきものをして、親父とテーブルを共にする。別に何も語らないから、一緒に食べる意味もないが。 無言のまま自分の部屋に戻ると、机の上に『あの』葛飾応為が無造作に置いてあった。 「……やれやれ。出来ねぇって言っただろ。私は油絵担当なんだ」 文句を言うが、どうにも私に押し付ける算段のようだ。親父曰く『自分は応為になれないから』だとか。 贋作とは言え、制作にはそれなりの矜持が有る様で、親父は私にこう言っていた。 「贋作は、その作者本人になって描かんとあかん」と。 「画材や筆致だけ真似たとしても『それ』では贋作として十分やない。作者本人になりきらんと、アカンのや」 親父が言うには、作者の生まれ育ちや家庭環境、生まれもった性格、積み上げた栄光と挫折、当時の社会情勢等々……その作者がその絵に向き合った全てが己の中に溶け込んでいなければ、いい贋作にはならないのだと。 「十分でない贋作はな、睨んだら『眼を背ける』んや。『本物やない』という、負い目があるからの。けど、『本人』が描けばそれはない。ならば贋作者も『自分は本人や』と信じて描かなあかん」 だ、そうだ。 まぁ自己暗示的な話はアレとしても、絵の描かれた背景が大事なのは間違いない。 例えば写楽などが得意とした『大首絵』と言われるバストアップの構図には『役者の顔を、より大きく見せたい』という意図がある。それは当時が現代とは真逆の『顔が大きいのが美男子(イケメン)』という価値観が影響しているのだろう。だから多少のバランスを犠牲にしても、顔を強調して描かれている。 また、美術史に燦然と輝くダ・ヴィンチには『速乾性の絵の具が使えない』という弱点があった。これは彼が自身の作により高い完成度を求めてトライ&エラーを繰り返すためであり、そのためには修正が利きにくい速乾性の絵の具が適していなかったからだ。 なので、ダ・ヴィンチの贋作に速乾性の絵の具を用いる事は適当でない。 では、この『葛飾応為』はどうなんだろか。 彼女について、分かっている事は決して多くない。 5~6人の子供がいたとされる葛飾北斎の娘(三女)である事。本名は『お栄』であった事。北斎の門弟と結婚したが、出戻ってきた事。家事よりは絵を描く方を好んだ事。『(あご)』と呼ばれるように、あまり美人ではなかったらしい事。晩年の北斎作品のいくつか、或いはかなりの点数において『代筆』している事。 そして、彼女自身の作として『応為』の落款がある作品が極端に少ない事だ。 彼女は基本的に、父である北斎のゴーストペインターとして活躍していたと推定されている。
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