初恋

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「わたくしは嫌だわ、あそこでお花を買うなんて」 「わたくしも、でもあのお方、最近よく見かけるのよ、ガーベラを買うおつもりかしら、あちらにもお花屋さんはあるというのに。嫌だ嫌だわ。早く行きましょう」 「こら、人様に指をさしてはいけません」 「だってあの男の人、不思議なお顔をしているんだもの」 「いけません。ほら、行きますよ」 「オレンジのガーベラ、一輪くださる?」 「はい、かしこまりました」 ------------------------------------------------------------------------ 「おい、声かけてみようぜ」 「嫌だね、お高くとまった感じがいけ好かねぇ」 「おうおう、やめとけやめとけ」 「ピンクのガーベラ、一輪くださる?」 「はい、かしこまりました」 ------------------------------------------------------------------------ 「あの方、久能伯爵家の御子息の婚約相手よ、確か。記事で見たもの。 来年御子息が外国から帰国されたら、ご結婚ですって。お綺麗な方だこと」 「でも、お互い一度も会ったことがないって噂じゃない。美男美女、どちらも立派な伯爵家でもあるし、申し分ないとはいえ、何だか不憫だわ」 「赤いガーベラ、一輪くださる?」 「はい、かしこまりました」 ------------------------------------------------------------------------ 「でもよぉ、あぁ大人しそうに見えて、色々って噂だぜ」 「見かけによらずってのはこのことか、ひっ」 「白いガーベラ二輪、くださる? 持っていこうと思うの」 「はい、かしこまりました」 ------------------------------------------------------------------------ ―川瀬伯爵家ご令嬢失踪事件― 紙面が賑わったのは、まだ肌寒さの残る春の朝のこと。 当初は川瀬家、久能家、両家に憶測や疑惑の目が向けられ、 ぽつりと姿を消した花屋の噂が出回ると、似顔絵が挙がり、その顔にある傷跡の物珍しさに、再び世間の噂は過熱した。 好き勝手に揶揄する者、憐れむ者、其々であった。 やがて誰も噂をする者もなくなり、時代の流れと共に皆の記憶から消されていき、もはや誰も知ることのない謎である。
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