潜 ⑩

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 抱きかかえられたままたどり着いたのは、(かづき)の秘密の入り江だった。岩々の間を通り、水深が膝よりも浅いところまできてやっと、潜は(あまね)の腕の中から解放された。  周は数歩先まで歩いて潜の方をふり返り、手を差しのべた。潜は少しためらったが、ここでまた周の機嫌を損ねてぶたれるのは嫌だと思い、差し出された手に手のひらを重ねた。なにしろ今ここには(いつき)がいないので、周は叩くとなれば遠慮なしに思い切りやるだろうから。  二人は狭い砂浜の波打ち際に腰をおろした。三方を崖に切り取られた夜空を見上げれば、あまたの星々が輝いている。 「ここは隠れるのにはいい場所だが、蚊がいるのが難点だ」  周は二の腕に止まった蚊を手のひらで叩き潰していった。 「ここからもう少し南に行ったところに、もっと海が浅くて小島の多くある海域がある。そこには蚊がいないし、逢引きするにはうってつけだが、なにしろメスどもや猿人(えんじん)にとってもいい場所だ。存外うるさくて、いられたものではない。この辺りがちょうどいい」  と、周は潜の肩に手をかけ、押し倒そうとする。潜はそうされる前にぱたりと後ろに倒れ、砂の上をころころ転がって避けた。 「いやだ」  潜は手を胸の前に縮めて、ふとももを腹にくっつけて防御の姿勢をとった。 「お前……」  周は呆れたような声を出しつつ、それでも四つん這いで潜に近づいてくるので、潜は近づかれたぶんだけころころと遠ざかった。 「いやだいやだ」 「わかった、わかった。お前が私に触られるのが嫌なのはわかったから、せめて私に対する務めくらい果たせ」 「務めってなに」 「お前が私を触るのだ」  絶対なにかおかしなことをさせようとしている。そんな予感がしたので、潜はころりと一回ころがって砂に両手両足をつき、「うーっ」と(うな)って周を威嚇した。 「なんだその顔は、とても嫌そうに。そういうのは傷つくぞ」  周は眉間にシワを寄せていった。また自分こそが被害者だという態度だ。周にかかれば、すべて潜のせいになってしまう。潜は周よりももっときつく眉間にシワを寄せた。すると、周はふんと鼻を鳴らした。 「もうよい。私とて、嫌々ながらに触れられても、気持ちよくはない」  周は両足を投げ出すようにして砂に寝そべり、潜のほうを向いて、片肘をついた。 「触るのは勘弁してやる。そのかわり、歌をうたえ、潜。お前がよく泳ぎながら歌っているやつがいい」
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