友一郎 ⑫

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 兵働は心底落胆した様子でうつむいてしまった。もしかして、と友一朗は考えた。今回の遊泳禁止の原因は、サメではなく人魚なのではないか。海水浴場の片隅を根城にしているメス人魚たちが問題行動を繰り返しているせいで、漁協は人魚が観光客に危害をおよぼすことを懸念し、ついに海水浴場の閉鎖を決めたのかもしれない。あるいは、例のあの船から圧力をかけられたのか。 『それにしても、ずいぶん急だな』 「フェリーを追いかけてきてジャンプを見せてくれた子だけが違うのね」 「あいつは水族館育ちなんだ」 「あの子と仲がいいんだ」 「人懐っこいんだよ。あいつはだれに対しても愛想がいい」  家に戻ると、玄関先の植木鉢の陰に、タマじろうがうずくまっていた。 「どうした?」  友一朗はしゃがんで鉢とタイル張りの壁の間をのぞき込んだ。タマじろうの大きく見開かれた両目は爛々(らんらん)と光り、縮こまった体はかすかに震えていた。友一朗はタマじろうに両手を差しのべた。 「サイレンが怖かったのか? 大丈夫だ、もう鳴らないから」 「ニャ……」  タマじろうはおずおずと植木鉢の後ろから這いでてきて、友一朗の手に顔を近づけ、鼻をひくひくさせた。友一朗はタマじろうを抱きあげた。毛の逆だった背中はまだ恐怖に強張って丸まっており、両足としっぽは体にぴったりとくっついていた。友一朗が腕の中に包み込んで背中をさすってやると、ようやくタマじろうは体の力を抜いて、ゴロゴロと喉を鳴らした。  友一朗はタマじろうを抱いたまま家に入り、すべての窓を開けてから、茶の間のテーブルの横に寝そべった。タマじろうは友一朗の胸の上に丸くなった。ふかふかで温かな毛玉に乗られていても、暑くはない。この家は隣近所の空き家の庭に鬱蒼(うっそう)と生いしげった木々に囲まれているおかげで、冷房をつける必要がない。窓からの土と草の匂いのまじったそよ風と湿気をふくんだ古畳の触感だけで、涼をとるには十分だった。
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