友一郎 ②

7/10
前へ
/140ページ
次へ
 ある朝、砂浜で話していたとき、潜はふいに友一郎の顎に触れた。猫を撫でるときように上向けた手のひらで触って、くすくすと彼は笑った。 『なんか、触ってみたかった』  潜には長い頭髪以外に体毛がぜんぜんないので、友一郎の顎髭が彼には珍しいのかもしれない。  笑うと唇の両端がくるんと丸まる。世界中の誰もが自分の味方だと、信じて疑わないような笑顔だ。高校時代の大翔もよくそんな風に笑っていた。今となっては、それは友一郎の思い違いだったのかもしれないが。  仕事を辞めて島へ戻って初めてワイシャツの袖に腕を通し、少し迷ってから仕事用だったダークスーツのスラックスを履いて、友一郎は家を出た。    ひとつも雨の降らない梅雨が明けようとしていた。東京よりは涼しいとはいえ、急な登り坂を歩いていると汗が吹き出てくる。坂道の両側には、庭にシュロの植えてある家が多い。シュロの木だけが、ここが海辺の街であることを主張しているようだ。海はもっと上の方まで登らないと見えない。そのせいもあって、海辺の街というよりは山あいの街に見える。
/140ページ

最初のコメントを投稿しよう!

25人が本棚に入れています
本棚に追加