友一郎 ①

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 今日も今日とて湾内の海面は湖のように凪いでいるが、だからといって舟をこぎながら読書でもするというわけにはいかない。自動車の運転のようなものだと、友一郎(ゆういちろう)は考えた。  パドリングにはだいぶ慣れてきた。ちょっと前まで、彼はパドルを動かすことで頭がいっぱいだった。だが、考えごとをする暇もないというのは、それはそれで幸せな時間だった。必要に駆られてする労働ではなく、やってもやらなくてもいいことに夢中になるなら、なおさらだ。  安全のためではなく、余裕ができたために辺りを見回す。右手には深い緑におおわれた半島があり、前方には隣の島が見える。今までの人生でいちばん、自分の生まれ育った海を見ている。友一郎はそう思った。  太陽が南中よりも少し西に傾いている。祖父はもう家路につくころだろうか。明日はラジオでも持って来ようかと友一郎は思いついた。いい思いつきに、自然と口の両端があがる。
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