ファン・レター

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 静寂に包まれる中、伊織は紙が破ける音で読んでいた本の世界から引き戻された。伊織がレジカウンターのほうを見ると、床に多くの紙が散らばっていた。 「…だ、大丈夫ですか」  驚きながらも伊織はその紙を拾い上げる。紙はちぎれていたが、原稿用紙だということはすぐにわかった。 「あ、み、見ないでくださいっ!」  吹は慌てて立ち上がったが、もう遅く、伊織は原稿用紙に書かれた文字を見ていた。 「……小説…?それに、この字…」 「だ、大丈夫です。自分で拾えます。あ、ありがとうございます」  まじまじと原稿用紙を見つめる伊織に、吹は頭が混乱していたが奪い取るように原稿用紙を掴んだ。 「熊谷さん、小説書いてるんですね。…でも、なんで、こんなにしてしまうんですか?」  なにもなくなった手のひらを見つめて立ち上がる伊織の声は震えていた。そんな伊織を見る吹も暗い表情でうつむく。 「わ、わたしの、小説は、だめなんです。小説家になりたくて、たくさん物語を書いてきた。でも、全然うまくいかない。頭で完結しちゃうと、その先が書けなくなるんです」 「…強い言い方に感じるかもしれないですが…、じゃあなんで、まだあなたは物語を書き続けるんですか?」  泣き出した吹に伊織は真剣な表情をむける。 「えっと…、ファンレターをくれる人がいるんです。名前はわからないけど、一冊しかまだ出していないわたしを応援してくれる人がいるんです。その人やたくさんの人たちを笑顔にしたいから、わたしは書き続けたいんです」  伊織の質問に戸惑いながらも、吹は涙を拭って答える。その答えに伊織は微笑んだ。 「……おれも、メンバーとうまくいかなかったり、一人だって不安になったりして、アイドルをやめたくなるときがあります。でも、ファンレターをもらうと頑張れる。…実は、あなたにファンレター送ってるの、おれなんです」 「えっ?」  微笑む伊織に一瞬ドキッとした吹だったが、伊織の言葉に呆然としていた。 「あなたは、本名使っているから、すぐわかりました。ファンレターに名前を書かなかったのは、アイドルだから書いたらどうなるかわからなかったから…。でも、同じだ」 「…お、同じ?」  戸惑う吹に、伊織は微笑んだまま話を続ける。 「さっきの原稿用紙を見て、確信しました。…コンサート前後にファンレターをくれるのも、あなたですよね?でも、作家だから名前書かなかったんですよね?」  伊織が話を終えると、沈黙が続いた。吹は、伊織が全部知っていてくれたことが嬉しくて、また泣き出していた。 「わ、わたしも、本当は、ちゃんと名前を書いて、いおりんを応援したかった。…でも、こんな自信のないわたしが送っていいのかわからなくて…」 「おれだって、自信はないですよ。ファンレターは、もらえるだけでも嬉しいです。きっとあなただって、本当は知っているはずです。…そうでしょう?」  泣き止まない吹に伊織が優しく語りかけると、吹は泣きながらも頷いた。 「ファンレターは、たくさんの人たちと繋がっていられる、大切な人たちとの絆です。おれ、今度はちゃんと、名前書いて送るので、諦めないでください」 「はい。わたしも、もっと頑張ってみます」  二人は笑い合いながら、お互いにまたファンレターを送る約束をした。
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