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1. 私には半月前まで夫がいた。夫の名前は穂刈太一。彼は私と同い年で27歳だ。彼とは子供のころからの幼馴染で、とは言っても高校時代に彼が都会の高校へ行き、一度離れてしまってから、25の時に私が副業で開いた料理教室(まぁ副業とは言いながら実はいつの間にか職を食つなぐためのものになってしまったが)の生徒としてもう一度であった。その後1年間の交際を経て結婚した。まぁ自分でも初対面ではなかったがゆえに結婚までの道のりは早かったと思う。しかしもう夫はいない。離婚したわけでも、彼が夜逃げしたわけでもない。彼は殺されてしまったのだ。
2. 穂刈太一が殺されたのは8月のある白昼、彼は自宅でうつ伏せの状態で刺されているのが発見された。第一発見者は妻である穂刈優香27歳。彼女は料理教室を営んでおり、死亡推定時刻より4時間遅い夕方の16時頃に彼の死体を発見した。凶器となった包丁には指紋は検出されなかったが、落ちていた毛髪によって犯人は霧島丈介25歳であることが分かった。住宅付近の防犯カメラにも、彼が急いで血まみれのウィンドブレイカーをリュックサックにしまっていることが確認された。犯人はいまだ黙秘しており、犯行の動機が分からないが、彼は以前殺された太一の妻の優香が経営している料理教室の生徒だったらしい。
3. 私はこれまであまり恵まれた環境で育ってはいなかった。小学校の時から周囲の女子たちから疎まれており、それが中学時代まで続いた。相談に乗ってくれていた両親も私が14歳の頃交通事故で無くし、それからは太一が生活の協力をしてくれた。亡き両親の代わりに相談にも乗ってくれた。こうして何とか慣れない親戚の下での生活も日々前を向くことができた。そこからは高校、大学、就職とあっという間に時間は過ぎていった。しかし就職して3年目の頃、勤めていた会社の経営は傾き、私は不当解雇をされてしまった。そのことに労基は動いてくれなかった。そして料理教室で食いつないでいるときに、太一と再会したというのがこれまでのいきさつだ。彼には何度も助けられた。しかし、どうして殺されなければならないのだろうか。
4. 私はいまだに彼の表情や言葉を思い出しながら重い足取りで家事をしていた。どうせなら子どもも欲しかったと私はいつものように彼の遺影に心の中で話し掛ける。しかしなぜ彼は殺されてしまったのだろうか。いまだに霧島は動機を話さない。以前私と顔見知りの関係にある私となら何か話すのかもしれない。何度もそう頭の中で考えたがやはり刑務所に行く勇気が今もなお出てこない。でも太一のためにしっかりと聞きださなければならない。裁判の日も近づいている。私は明日霧島から話を聞き出そうという決心をした。
5. 私は霧島を呼び出すなり何か言葉にならないような不思議な感覚をおぼえた。番号で呼ばれた彼は、私ほどではないが頬がやつれており、殺人犯となった姿を見せて、もう料理教室の生徒であった彼の面影はない。
「お久しぶりです。優香さん。」
彼は恐る恐る唇を開ける。
「今日はその、あなたがなぜ私の夫を殺したのか聞こうと思って。」
「なぜこれまで殺害の動機を隠していたのか、それは身勝手だとは思われるかもしれませんがあなたのことで」
「どういう意味?」
「これからあの人を殺した動機について話しますね、でも表に刑務官がいるので声を発さずに読唇術で聞いていただいてもいいですか」
「えぇ」
よほど聞かれたくないのだろう。私は彼の唇の動きに注視した。
6. 霧島が穂刈太一のことを調べるきっかけになったのは先生である穂刈優香の何気ない一言だった。ソファでお酒を飲んでから寝てしまった夫に対して愚痴を言っていたのだがそれでもいつも助けてくれる存在だと惚気て話していた。彼女はついこの前式ウを挙げたばかりだと聞いていたので、おかしいなと思いながらも「交際していた時からずっと」という意味だったのだろうとその時は気にしてはいなかった。
7. しかし後日友人との集まりで、優香や太一と同級生だった梅原美沙が小学校時代の思い出話を半ば酔っていた状態で話していたので少し興味を持って話していた。するとその話の中に奇妙な話があった。太一が一度優香をいじめてほしいとの提案をされたという。もし引き受けてくれたのなら何でも好きなものを一つくれるのだという。もちろん彼女は断ったが、その話を聞いていじめていた人もいたのだという。しかし小学生の頃なら好きな子に意地悪をするというのはよくある話だが、いじめを他人に依頼してしかも自分は慰める側に立っていた。確かに優香は太一といると不運なことが起こっていたらしい。その中には両親が交通事故死をしたという話もあったが。霧島はこの時はきっと自分の思い込みだろうと思っていた。しかし興味を持った霧島は穂刈太一のことをもっと教えてほしいと美沙に頼んだ。すると美沙の小、中学生時代の友人で、太一のことをよく知る人物である花塚陽介という人物を紹介された。後日、霧島は彼のところへ訪れると、太一の話を聞いた。すると陽介の手は震え、太一は恐ろしい人物だと話した。一度小学生時代、彼の家へ訪れたことがあるが、そこにはカッターナイフか何かで切りつけられてズタズタにされた人形を毎日抱きしめるのが日課だという。私は穂刈太一という人物がどのような人間なのかがわかった。彼は気に入ったものを憔悴させて、それを抱擁する性癖を持っているのだ。もしかしたら穂刈太一と一緒にいれば穂刈優香は一生不幸になってしまうかもしれない。そして、太一への恐ろしさで、霧島は犯行を決意したのだという。
8. 穂刈優香は霧島から犯行の動機を聞いた後、いろいろなことを考えていた。
「彼がなくなったことで私の人生は悪くなったのか、それとも良くなったのか」
確かに私は彼に対する恐怖心を抱いてしまった、だが生前の彼の優しかった表情や言葉を頭の中で思い浮かべていた。それからいつものように私の中学生時代の哀史が頭の中で再生された。
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