119人が本棚に入れています
本棚に追加
聡は溺れた人のように言う。
「鍋谷君。こ、ここじゃ狭いから。……外で話そう」
そうしてしがみついたままの壮太をひきずりながら鍋谷の元に行き、手元に開いたままになっていたノートを素早く回収した。
せっかくお茶いれたのにーと不満そうに口を尖らす恵莉を無視して、先立って玄関に向かう。どこ行くの僕も行く! と騒ぐ壮太をいなしつつ、脱いだばかりの靴をつっかける。
とにかく本当に訳がわからない。
落ち着く時間が欲しかった。
アパート一階の家を出て少し離れた公園まで歩く。鍋谷は二、三歩遅れてついてくる。
バイト終わりで家に帰ったのが八時すぎ、すでに辺りは暗い。公園前の道をたまに会社帰りの人が通るが、園内に人影は無かった。滑り台とブランコ、鉄棒に砂場のありふれた小さな公園を三つの電灯がぼんやり照らしだしている。
冷や汗をかきつつここまで歩きながら聡はめまぐるしく考えていた。
まだ状況が良くわからない……。
鍋谷がなぜか読んでいたノート、あれは聡の個人的な記録だ。誰にも知られたくない赤裸々な日記のようなものだった。
なんとなくはじめた日記は、最初はただ天気と今日の出来事を淡々と書くだけだった。〇月〇日(水)曇りのち雨 今日は現国で当てられたけど答えられなかった。傘を忘れたので走って帰った。あまり濡れなくてよかった――以上。
ぼーっと生きている自分の毎日の事なんてそれほど変わり映えしない。すぐに書くこともなくなり、つまらなくなった。
でも聡は辛抱強い質だ。惰性で続けながらある日、ちょっとあざとく恥ずかしいくらい大袈裟に書いてみた。馬鹿みたいだなと思ったが、どうせ誰にも見せるつもりはない。
日記はどんどんエスカレートしていった。日記というか、まるで小説みたいになった。嫌な出来事、駄目だった自分さえ書いてしまえば物語のアクセントだ。落ち込む必要なんてないと思えて毎日書くのが楽しみになった。
もちろんはたから見たらただの中二病に見える自覚はある。自分に酔っちゃってるヤバいやつ。そして一番恥ずかしいのは、日記と言いつついつの間にか書いてある内容のほとんどが、ある人物の観察記録になっていった所だ。
それは秘密にするしかない気持ちをこじらせて綴った長すぎるラブレターだと言っても過言ではない。直接名前は出してはいないが、勘がよければすぐわかってしまう。
――鍋谷 仁志君。
幼馴染で小学校から中学、高校も一緒。
鍋谷君にだけは絶対に見られてはいけないあれを、彼は読んだのだろうか?
全部? 最初から? 嘘だろ!! 叫び出したくなってぐっと拳を握る。
読まれていたとしたら何と言い訳すればいい? 小説だと言い張ろうか。『僕たちにとってもよく似ているね。でもフィクションだから。全部想像のお話さ。本気じゃないよ』そう押し切れるだろうか。わからない……もうそれしか思いつかない。
公園についてからこの間、実はかれこれ十分は経っていた。地蔵のように固まり物思いに沈む聡には一瞬のことだったが、しびれを切らした鍋谷が口を開く。
「なあ、ごめんな突然おしかけて」
はっと現実に舞い戻り聡は慌てて顔をあげた。二メートルほど離れて砂場の前に所在なげに立っている鍋谷を見る。
「ううん、あ、ごめん、ぼーっとしてて。ひ、ひさしぶり。卒業してからだから……二か月ぶり」
「そうだね、元気にしてた?」
「うん」
それきり言葉の続かなくなった聡と鍋谷の間に、しんと沈黙が落ちる。
どこかの犬が吠える声、遠ざかる救急車のサイレン。早くちゃんと言い訳しなければと焦りを募らせる聡の耳に、唐突に彼の言葉が入ってきた。
「俺のかっぴーと合格祈願のお守り、聡くんが盗ったんだ」
「っ!!」
聡の体がびくんと跳ねる。
最初のコメントを投稿しよう!