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「聡くんには今から志望校は変えてもらわなきゃならないけど、勉強俺で良ければ教えるし。地元よりあっちの方が学校たくさんあるし選べるよ。何よりさ、家を出てふたりでルームシェアって楽しそうじゃん、な?」
「…………」
まだ飲み込めない聡の沈黙に、鍋谷が不安そうに顔を曇らせた。
「そう、思ってるの俺だけ?」
「いや、もちろん! もちろん……そんなの、楽しいだろうなって思うけど……」勢いこんで返事をしたものの聡の言葉は尻つぼみになる。
「でも、僕には無理だ」
そんな夢みたいなこと現実になればいいに決まっている。
だけど、聡の家の経済状況を考えれば答えは出ている。母親も父親も今だって目いっぱい働いているし、独立した兄ちゃんも家に金を入れている。自分ばかりが使うわけにはいかない。奨学金が出ても、もし東京に出たら学費の他に生活費だって家賃だってかかる。恵莉は自分と違って頭がいいから良い大学に進んでほしいし、壮太にはまだまだお金がかかるし。
やっぱり……そんなの無理だ。げっそりとした人相になって深い溜息をつく聡をみて、何がおかしいのかまた鍋谷は笑った。
「あー家のこと考えちゃってる? 聡くんは真面目だもんな。俺たちってそういうの振り切って好き勝手しちゃう年頃じゃない?」
「僕は、べつに……好き勝手するほどやりたいこともないし」
しいて言うなら全部鍋谷がらみだし。看護専門学校だって鍋谷が医者になると思ったから選んだのだ。浮かんだ理由は不純でとても人に言えない。本当に自分は鍋谷を好きでいること以外何をしてきたんだろうと遠い目になった聡に、彼はテレビショッピングの司会者のようにほがらかに言った。
「いいって、それが聡くんのいいところだよ。だけど、実はもう、君んちの親にはご了承いただいてます」
「えっ!?」
「うちの母親が聡のお母さんにスーパーで会った時の立ち話がてら聞いてみたんだって。息子とルームシェアするのどうかしら? って。そしたらその場で即決だったらしいよ。実はさ、転勤する親戚から五年間限定で住んでくれって言われてるんだ、家賃タダで。だからだろうな、『部屋が空くならぜひ聡に出て行ってほしい』って言ってたって」
「…………」
母ちゃんよ、気持ちはわかる。家狭いもんな、ぎゅうぎゅうだもん。複雑な気持ちになりながら、信じられない思いで聡は鍋谷を見た。
「それ、ほんとう?」
おずおずと聞くと彼は嬉しそうに笑った。
「いやー広いから掃除とかひとりじゃ絶対無理で。あ、もちろん全部やらせようとかじゃなくて、監視役? みたいなそういう感じ。俺何もしたことないから親も心配で渋っててさ、しっかりした子誰かいないかって勝手に進めちゃってて。聡くんは、親がいいんなら大丈夫? 俺と一緒に住んでくれる?」
じっと聡を見る鍋谷の目尻は柔らかく弧を描いている。はっきりと感情を表す大きめの口は両端をきゅっと上げていた。
当たり前だ。それが本当に叶うのなら死んでもいい。だけど素直に舞い上がれるほど自分は自分がわかっていないわけじゃない。
「鍋谷君は僕なんかでいいの?」
彼になら他にもっと親しい友人たちがいるはずだ。聡の問いに鍋谷はためらってから口を開いた。
「正直言うと、現役で合格したやつらは誘いづらくて。まあ何というか俺のちっぽけなプライドの問題? 気ぃ使っちゃうし使われるのも嫌だし、一緒に暮らすわけだから楽な相手がいいじゃん」
「まあ、うん。……わかる」
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