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それまで
私が生まれてすぐだったか、母は宗教に傾倒するようになった。
借家住まいでけして裕福ではなかったが、愛情をもって育てられたと私は自負している。たまに白黒テレビでアニメを観たり、外で近所の年上の子らに遊んでもらった憶えがある。
そして、大抵の子供と違うであろうことに、文字を聖書で学んだ。
普通の物語の本はなく、読めたところに印を付けながら、ギリシャ語聖書で文字と文章を憶えることに、幼いながらに疑問を持っていた。
どうしてお隣のように、絵本が沢山ないのだろう。
やがて妹たちが生まれ、引っ越しをした。近所の子供たちは幼稚園に行っていて、遊ぶ相手がいない。
私も幼稚園に通いたいと頼み込んで、年長の途中から通わせてもらった。皆が知っている曲を歌えず、遊びも知らない。それでも楽しかった。
小学校に入学すると、団体行動の大切さを教えられ、皆と一緒のことができないと肩身の狭い思いをするようになる。
校歌も国家も歌えない。国旗に正体も敬礼もできない。運動会の練習でも本番でも、とても辛い思いをした。
とんど焼き、クリスマス会。全学年が楽しむ行事に、教室に残って自習をした。
真面目だからと学級委員に選ばれることがあったけれど、受けられなかった。級友たちの不満は募るが、私にはどうにもできなかった。
親が全ての決定権をもっている。
当時、残してはいけないと言われた給食で、鯨肉だけは残さねばならないしんどさもあった。
全てに理由がある。それはきちんと説明されていたし、理解はしていた。
ただ、納得しようとしていただけで、そうしなければいけないからしている、自ら望んでいたわけではないと、今では確信している。
皆が同じでなければならないのはおかしいという考えもわかる。でも、皆が楽しそうにしていることをやってみたかった。
それを理由に虐められることはさほどなかったが、特別視されているのはわかっていた。腫れ物のように扱われているとも感じていた。
平日の夜に、近所に集まり勉強会があった。日曜は午前か午後のどちらかに、学区外の会館に集まり勉強をした。
一風変わった塾だととれば良いのだろう。それ以外の日に、精力的に友達と遊び回った。
ある日、同じ教えを学んでいる同級生の父親が、事故で亡くなった。
その子の母親は、ファンタジーすらも否定するほど熱心な信者だったのだが、その後しばらくして脱会した。
あれほど祈ったのに神は救ってくれなかったと呪詛のように繰り返しているのだと、その子供とはもう口を利いてはいけないと言われ、あちらからも無視された。
村八分というものを習っていただけに、複雑な気分だった。
中学生になり、剣道部に入りたいと告げると、反対された。神道の関係だから駄目らしい。
お地蔵さまにすら手を合わせてはいけない、葬式などでも焼香しないと徹底しているのだから、日本では広まりにくいだろうと諦観していた。
そうしてある日、興味を示した友人を集会に誘ったことがある。
その子は普段着でやってきたので、ズボンは駄目でなるべく小綺麗なスカートで来てほしいと言った。それは何故かと問われ、彼女を納得させられる答えを見出だせなかった。
神は人に平等でない。狭き門をくぐるためには、研鑽しなければならない。
あるかないかわからない楽園のために、何故いまを楽しめないのだろう。
授業でさまざまなことを学ぶにつれ、私の反抗心は増していった。
そうして私は、集会に行くのを辞めた。
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