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それから
母は、くも膜下出血だった。右脳にも左脳にも腫瘍があり、両方は手術できないため、破裂している側だけ開頭するという。
なんとか病院内には入れてもらえたものの、手術するには輸血の同意書が必要だ。
意識を取り戻した母はきっと酷い痛みに耐えているのだろうと思った。
それでも、信念は曲げないだろうと、私は母の決定に委ねることにした。信仰のない父も、母の良いようにと頷いていた。
私は涙を堪えていた。
色々と不満はあったけれど、それ以外の部分では尊敬している。
仕事をしながら畑の世話をし、手作りのおやつや服で育ててくれた。信仰に関係ないところでは嗜好を否定しなかった。
縛りのある生活の中で、私は自分の好きなように生きてきた。手助けしてくれた。見守ってくれた。
母が大事だ。家族として大切だ。
生きていて欲しい。でも、母が自分らしくいられないならば、それは生きているとは言えないのではないか。
葛藤し、母の判断に委ねようとした。
しかし、妹は、曲げて欲しいとはっきり言った。
まだ死ぬには早すぎる。手術で助かる命を何故捨てるのかと泣いていた。
私も思ったが、言えなかった。
母は迷っていた。
父が、一度だけ頑張ってくれないかと静かに言った。
母は、輸血はなるべくしないで欲しいと医師に頼んだ。必要に駆られなければしないが、とにかく同意がないと手術できないと医師団に改めて告げられた。
結局、手術は成功し、その後も数回の手術を経て、母は命を繋いでいる。
平成最後の終戦記念日を過ぎた。
人は、自分の信じるもののために戦い続けている。
己の信じる何かが唯一神であれば、ほかの神を信じる人を否定し、攻撃する。
攻撃しなくても、排他する。相容れないものとして、蔑む。
日本には八百万の神々がおわす。
そして、様々な考え方があり、感じ方があり、受け止め方がある。
自然のすべてに神聖なものを感じ、畏れ、敬う。
未知なるものをあるがままに受け入れてきた島国は、他国の神すらも受け入れて独自の発展をしてきた。
それでいいのではないかと思う。
私は、あなたの信仰を否定しない。だからあなたも、私がそれを信仰しないことを否定しないでほしい。
了
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