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娘の一周忌、夢を見た。
・・・
眩いばかりの落日が、枯れ葉を透かしながら山々に漆黒の訪れを告げている。
この峠にどのような経路で辿り着いたかなどはどうでも良いことだ。ただ遠い昔、子供の頃から脳裏に焼き付けられていたのであろう、初めて見る景色ではない。
私は急いでいた。このままでは陽があるうちには帰れないと解っているのだがとにかく急いだ。山道には枯れ葉が積もり踏みつける度にガシャグシャと音をたてる。場所によっては膝近くまで埋まる程落ち葉が積もっている箇所があるために、急いではいるものの歩みは慎重でやけに重い。気を付けなければ底に貯まった水気のある枯れ葉に足をとられ滑りそうだ。
暫く下って行くと右手に大きな白樺がありそれを過ぎると脇道があった。その入り口には地蔵が立っている。風と雨水にやられたのか、顔付きがやけにいびつな地蔵である。木々の間から差し込む夕陽に照らされた地蔵の影は脇道に沿って長く伸びている。それに導かれるように無意識に、私は道を逸れていった。
手入れされたその道には落ち葉が無く、ゆったりと右にくねる小道を行った先には一軒の平屋の家が建っている。平屋の裏は崖なのだろう、西陽に照らされた雲がオレンジ色に耀き、遠くの山々迄見渡せる。山に映る陽は徐々に暗闇に支配され、その上空に星々がうっすら姿を現し始めると、平屋にぽっと、灯りが点された。
きれいだな。玄関ドアの上部には、切り抜きの四角い枠にステンドグラスの細工が施され、室内の灯りが漏れている。ガラス細工の赤い花。見たことはあるがなんという名前だったか思い出せない……というよりも、その花の名を知らぬ。
私はゆっくりとドアを開けた。
中に入ると、そこには床も壁も天井も全て漆喰で塗り尽くされた真っ白な、外観からは想像もできない程の『空間』が広がっていた。透明感と奥行きのある光沢、これはイタリア漆喰 その中でもベネチアーノか……高級ホテルのロビーのようでもあり、美術館のようでもあった。高い天井からは無数の間接照明が様々な角度から空間全体を照らし、演出された自然な光は私の影さえ落とさない。
「白」の世界。
暫く見渡していると、背面からス~と風が入る気配を感じた。振り返ると黒い喪服を着たすらっとした女がステンドグラスのドアの前に立っている。
白の中に浮かび上がる黒衣の女。
女は遠い目をしていた。
私を通り越した女の視線の先に目をやると、いつ現れたのか、奥の壁中央に大きな絵画が飾られていた。
初めて見る絵ではない……
絵画の下には作品の題名が記されている、
「決して来ない時」と書かれていた。
そうだ、絵画展で見たことがある。確かフランスの画家だ、バルテュスと言ったか……
バルテュスの絵には、少女が描かれた作品が多い。なぜ少女を描き続けるのかについて、
「それがまだ手つかずで純粋なものだから」
と答えたのが印象深く、記憶に残る。
「決して来ない時」
椅子に浅く腰掛けて片足を投げ出し、上半身を反り返らせるような不自然なポーズで眠っている少女。その奥にいるもうひとりの少女は大きな窓から遠くをただ見つめている。
窓からうっすらと差し込む陽はその絶妙な色彩により、観る角度で朝陽にも夕陽にも想起させる……それは観る者の、その時の感情に左右されるのであろう……
私には、夕陽にみえた。
椅子に腰掛け微睡む少女
窓の外を見つめているのは、その少女自身ではなかろうか……
「今」この瞬間、過ぎ去って行く時間は決して後戻りすることは出来ない。
逢魔が時、夢の中の少女には窓の外に何が見えたのか、決して来ない時を愁いでいるのか……
絵画を観ているうちに、
なんだか視界がぼやけてきた。
・・・
……夢か、
私は、泣いているのか……
窓の外に目をやると、季節外れの真っ赤な彼岸花が、西風にゆらゆらと揺れていた。
どういう訳だか、
あの絵をずっと観ていたくなった。
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