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 夢を見た。  子供の頃、どうしても遊園地に行きたくて、両親にお願いして連れて行ってもらった。  初めて行った遊園地に俺は大興奮だったけど、母親も父親もその頃にはもう冷えきっていたので、楽しくなさそうな顔をしていた。  観覧車に乗りたいと言った俺に二人は渋い顔をした。  もう大きいんだから一人で乗りなさいと言われて結局一人で乗ることになった。  テレビでしか見たことがなかった観覧車は、遠くの景色まで見えてとても嬉しかったのを覚えている。  でも、一周回って降りたとき、母親も父親も姿が消えていた。  実際は父親は先に帰って、母親は煙草を吸いに行っていただけなのだが、俺はついに捨てられたのだと思い込んでしまった。  いつも喧嘩ばかりの両親。楽しかった頃に戻りたくて一緒に出掛けたかった。  園内を走って両親を探した。  自分のわがままのせいで捨てられたのだと思った。  汗だくで寂しくて苦しくて、辛くて何もかもが嫌になってしまった。  こんな思いをするなら、もう誰も信じたくないと子供心に思った。期待してはいけない。心を許してはいけない。いつ消えてしまってもいいものだけに囲まれて生きていこう。  それなら全部消えてしまっても、傷つくことはない。  もう、絶対傷つきたくはなかった。  寒さを感じてぶるりと震えた。布団から出た腕を中にしまった。やけにふかふかで暖かい布団だった。今日は誰の家に泊まったんだっけと考えながら薄く目を開くと、真横に無防備な男の寝顔があった。  それを見た瞬間、自分の見に起きたことを思い出して、大きな声を出しそうになって慌てて口を押さえた。  隣で寝ているのは、昨日の夜、さんざん自分を翻弄して弄んだ悪魔のような男だ。何者なのかはさっぱり解らないし知りたくもない。  知っているのは角龍瑛士というように名前だけ、それすら本名なのかも不明だ。  化け物のように見えた男だったが、寝顔はやけに幼くて可愛らしく見えた。  いったい歳はいくつなのだろうかと思った。  調子よく喋っていたかと思えば突然支配者のような顔をして冷たく命令して来たりして、訳が分からない。  セックスを排泄行為と同じだと言っていたくせに、昨日は長い時間をかけて楽しそうにしていたように見えた。  自分はどうなるのだろうかと考えた。  昨日の説明で瑛士が納得してくれたとは思えない。騙されました、はいそうですがと帰してくれるはずがないのだ。  あの妖しい店で、昨日瑛士としたような行為をすることになるのだろう。  それは想像するだけで嫌な気分になるのだが、最悪の事態も考えておかなければいけないと、心に刻んだ。  しかし、昨日から何も食べていないし、何も飲んでいない。昨日あれだけ声を出してさすがに喉の乾きは限界だった。  ゆっくりと起き上がり、足を床に置いたところで全然力が入らなくて、俺はゴテンと音を立てて床に転がった。 「今日は逃げるのは無理だと思うよ。薬の副作用で頭痛がするだろうし、ヤリまくったからケツが痛くて足腰立たないでしょう」 「はっ、起きて……。逃げるわけじゃなくて、喉が乾いたんだよ。昨日から何も飲んでないし…もう限界……」  瑛士はああそれは悪かったと言って、ベッドサイドの小さな扉を開けた。それは冷蔵庫だったようで中からペットボトルの水を取り出して蓋を開けて渡してくれた。  あまりに喉が乾いていたからか、ごくごくと飲んで残りが少なくなるくらい飲み干してしまった。  これで干からびて死ぬことはなくなったと俺は一つ安堵したのだった。 「とりあえず、雅貴の言い分は分かったけど、山崎が見つからないことには話にならない。見つかるまで処分は保留だけど逃げられたら困るから、ここで生活してもらう。当然見張りはいるし、外出は禁止だ」  誰か連絡しておきたい人はと聞かれて俺は首を振った。  改めて考えると薄っべらい人間関係の中で生きてきたことがイヤというほど身にしみた。  自分が突然失踪したとしても、誰一人気に止めてくれる人もいない。  バカみたいに孤独でどうしようもない自分に腹が立ってただ悲しかった。  しかし、それは自分で選んで生きてきたものだった。 「俺は忙しいから、ここに帰るときもあるし、帰らないときも多い。俺のことを詮索する暇があったら、自分の今後を考えろ。状況次第ではお前に山崎の分を稼いでもらうことになるからな」 「そ……そんな」  いつもなら、こんな理不尽なことを言われたら牙を出して噛みついてやるところが、昨夜ポッキリ折られてしまい、すっかり意気消沈した俺はシュンとして情けない声を出した。  ベッドの上で小さく丸くなった俺を見て、後で誰か寄越すから今日は寝ていろと言って、瑛士は部屋から出ていってしまった。  最後に何か言いたげに、じっとこっちを眺めていたのが気になったが、情けない俺を見て呆れていたのだろうと思った。  部屋の中の物は好きに使っていいと言われたので、とりあえずクローゼットからシャツを一枚借りた。  昨日自分が着ていた服やスマホや財布などは当然ながら見当たらなかった。  うろうろしたい気持ちはあったが、結局尻も痛いし動けないのでベッドに転がった。  知らない天井と知らない家具、シンプル内装の部屋で無駄なものは一切ない。他人の男の家だ。  宿無しで寄生して生きてきた俺としては、他人の空間に入り込むのは抵抗がない。  むしろ、ベッドの上でゴロゴロできるのは、ちょうとした幸せを感じてしまって、慌てて頭を振った。  瑛士はやはり俺を店に出すつもりらしい。具合を確かめるとか言っていたが、ありがたくないことに合格だったのだろう。  早く逃げないとという気持ちが、ふつふつとわき上がってくる。  瑛士ほどではないが、俺もセックスに恋愛感情なんて持ち合わせてなかった。  ただ柔らかい胸が大好きで、そこにうもれて生きられたらそれで良かった。  だから仕事で知らない男達の相手をしろと言われたら嫌悪しかないが、マグロでブチこまれるだけならなんともないかもしれないと思い始めた。  昨日だってキスはあったが、ただブチこまれただけだった。しかしあのおかげで、狂いそうな熱から解放された。  はずなのに、なぜか俺の体にはまだ熱の残りがくすぶっていた。  まるでこのベッドの持ち主を待っているみたいな自分が信じられなくて、うつ伏せになって枕に顔をうずめた。  昼過ぎになって、誰かが家に入ってくる気配がした。  トントンと寝室のドアを叩く音がして、入ってきたのは、綺麗なお姉さんだった。  慌てて起き上がった俺は適当に着ていたシャツのボタンを急いで合わせた。 「大丈夫よ、私は気にしないわ。ボスから言われているから、食事を用意するわね。トイレは行けそう?」 「は…はい」 「私は玉ノ井綾子。ボスの下で働いているから、分からないことはなんでも聞いて」  パンツスーツだがすらりと長い足をした、魅力的なお姉さんだ。長い髪にセクシーな顔立ち、胸は俺が大好きな巨乳ちゃんだった。  あの男は何を考えてこんな女性を寄越したのだろう。確かに俺はひょろいモヤシ君だが、一応男だ。女性なら力で脅して逃げることも可能なのにと思った。  俺の無遠慮な視線を感じたのか、綾子はクスリと笑った。 「私、こう見えても、柔道、合気道、剣道、空手の有段者だから、あまく見て手を出さないほうがいいわよ」  完全に見透かされていて、俺はあははと笑いながら、そうですかと言うしかなかった。  体を休ませたらなんとか動けるようになったが、まだだるさは残っていた。  壁に掴まりながらやっと歩いて、シャワーを浴びた。  昨日は汗だくで汚れてひどい状態だったはずだ。よくそんな男を抱けたなと敵ながら思ってしまった。  シャワーから出てきた俺を見て、綾子は料理を皿に乗せながら、あらボスの言っていた通り、毛並みの綺麗な猫ちゃんねと言って微笑んだ。 「スコかペルシャ、メインクーンにソマリって感じもするわね」 「………なんですか……その横文字のナンチャラって……」 「ああ、猫の種類よ。私の家にもレディとタモスがいるから、ちなみにスコね」 「はあ……」  動物は苦手だった。部屋にペットを飼っている女の子の家はなるべく行かないようにしていた。先住民の視線を感じてなんとなく居心地が悪いのだ。 「いいわね、雅貴くん。綺麗な顔してちょっとおバカな感じが。ボスの周りにはいないタイプだわ」 「ははっ……それって褒められているのかな。でも良いや、俺、綾子さんみたいな綺麗な人大好きだし。一緒にいられるだけで嬉しい」 「まぁ……、属性追加、おバカなタラシタイプね。私は恋人がいるから狙っても無駄よ」  それは残念と自分の状況もすっかり忘れて俺は笑った。恋人がいてもいいよと言ったらこの人は軽蔑するかななんて頭の中で考えていた。 「雅貴くんは大事な商品って言われているから、でも珍しいのよボスが自分の家に誰かを入れるなんて……」 「……あの人、何している人なんですか?何歳くらい?」  ふと興味が湧いて瑛士の話題を振ってみた。ある程度、情報を得ておくのはいざというとき必要だと思ったのだ。 「表向きは会社の経営をやっているわ。私はその会社の従業員よ。裏の方は私もあまり関知しないけど、ちょっと口には出せない大きな組織があって、ボスはそこの関係者ってやつね。君がいたあの黒箱はそこの持ち物でボスが管理を任されてるの」  なんとなく想像していた通りだが、その組織の名前を知ったら二度と太陽は拝めないかもしれないと思った。 「歳は23よ。大学を出たばかりだから」 「え!?と…年下……!?」  まさかのあの貫禄のある目付きから同じくらいか年上だと思っていた。2歳はあまり変わらないかもしれないが、それでも人生の厚みというか、経験の差がこれでもかと出ている気がした。 「あの……角龍さんは、ここにはあまり帰ってこないみたいですね」 「ええ、事務所の近くのホテルに泊まることが多いわ。夜中に呼び出されることもあるしね……。あまり、悲観しないで、逃げている彼もすぐ見つかるわ、きっと」  山崎は俺を置き去りにした後、台本通りのように逃走している。瑛士は探してくれているらしいが、簡単に見つかるかどうかは分からなかった。  励ましてくれている綾子さんにお礼を言って、作ってくれた料理を完食した。恋人によく作るオムライスだと言っていた。確かに手慣れていて味も美味かった。  その日言っていた通り瑛士は帰ってこなかった。  綾子さんが帰った後は、だだっ広くて何もないリビングでテレビを見ながら毛布にくるまって寝た。  静かすぎるのも一人でベッドで寝るのは好きじゃない。  せめて夢で女の子の柔らかい胸に会いたかったのに、なにも見ることはできなかった。
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