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①
真っ暗な路地裏から真っ黒な猫が飛び出してきて、驚いた俺はアホみたいな声を上げて、すれ違ったお姉さんに笑われてしまった。
男として不覚だったと、背筋を伸ばして着ていたシャツの襟を正した。
いつどこで優しいお姉さんが見ていてくれるか分からない。バッチリ顔をキメて振り返ったけど、当然ながらお姉さんの姿は消えていた。
残念と小さくこぼしてポケットに入れていたスマホを取り出した。
今日はツイていない日だ。
そんなことはよくあるが、今日は特に重なってツイていないのだ。
朝から自転車に引かれそうになって、自動販売機が故障して飲み物は出てこないし、道路に水をまいていたおばちゃんには見事に足にかけられて、短期でやったバイトは給与を振り込まれずにオーナーとは連絡がつかなくなった。
もう踏んだり蹴ったりだ。
さっさと今日の宿を決めてしまおうと、履歴を流しながら見て目星をつけた。
「あっ陽菜ちゃん、今日さ泊めてよ。え?彼氏来る?マジか……。あっいいよまた連絡する、じゃ」
また残念と呟いて通話を終了させた。
俺、藤田雅貴は宿無し文無しのヒモ男。見てくれだけは良い。
というか、バカだしアホだし、金稼ぐ才能もないし、それだけで生きてきたと言っても過言ではない。
高校だけはなんとか卒業したが、それからずっと適当に働いて、女の子の部屋を巡る生活をしている。
自分でいうのもなんだが、寄生虫みたいなものだと思う。
25歳を過ぎて、そろそろこのままじゃヤバいと思うのだが、なかなかこの生活から抜けられない。
今着ている服も先日優しいお姉さんに買ってもらったものだ。
ブランドモノのシャツとパンツで、自分では絶対買えない値段だった。細身ですらりとした雅貴によく似合っていると試着室でキスをしながら褒めてくれた。
私、雅貴の茶色くて柔らかい毛が好きだったわと言って、犬でも愛でるみたいに髪の毛に手を絡ませてきた。
そのまま、下半身も優しくして欲しかったが、これから挙式の打ち合わせだからとふわりと飛んで行くように行ってしまった。
それ手切れ金代わりだからもう連絡しないでね、ということは忘れず言い残していった。
悲しくはない。
アドレス帳の一件が消えるだけ。
また増やせば良いのだから。
「あー、いいよいいよ。それは悪いから…、うん、また連絡する」
ツイていない日は、とことんツイてくれないものだ。
いつも、たいてい掴まる大学生のアミちゃんや、OLの小百合さんもダメだった。
こうなったらご新規さんを探すしかない。
俺はスマホをポケットにしまって大通りに向けて歩き出すことにした。
中学の頃両親が離婚した。
お互い別の相手がいて、俺を引き取りたくないと押し付けあった。
結局じいちゃんの家で暮らすことになったが、じいちゃんもすぐに亡くなって、そこからは親戚の家をたらい回しだった。
どこへ行ってもお荷物と呼ばれ、嫌な目にしかあっていない。
それでも、死なない程度に食わせてくれた親戚には感謝はしている。
バイトしながらやっと高校を卒業して親戚の家を飛び出した。
しかし、待っていたのは、厳しい現実だった。
高卒を雇ってくれる会社は少なくて、住みこみで働けるところを探してなんとかもぐり込んだが、店の金を盗んだと疑われて問答無用でクビになった。
路上で座り込んでいるところを、優しいお姉さんに拾われた。
¨無理して働く必要ないんじゃない?雅貴見た目良いんだから、それ利用して甘えちゃえばいいのよ¨
今まで人に甘えたことなどなかった。
自分にできるわけないと思いこんでいたが、やってみたらびっくりするくらい心地よかった。
女の子達はみんな甘えれば優しくしてくれる。
柔らかくて甘くて、とろとろに溶かしてくれる。
でも、みんなどこか一線を引いていて、しばらくすると蝶のように飛び立ってしまう。
同じ虫でも彼女達は美しい蝶で、自分は寄生虫なのだと思う瞬間だった。
それでもいい。
ひとときでも優しくて温かい胸にうもれたら、俺は幸せを感じられたのだ。
「あれ、藤田じゃん!久しぶり」
大通りに出ていきなり会いたくないやつに会ってしまった。
ホストのバイトをしていた時の同僚で、人のことは言えないが、金に汚くてトラブルを起こしてクビになったやつだった。
今日も安物のスーツで、前をだらしなく開けて、変なアクセサリーをじゃらじゃらつけている。女にウケるようなたれ目のムカつく顔だったが、目には影ができて少しやつれた感じがした。
「まだ、スターズで働いてんの?」
「いや、辞めたよ。もともと短期だったし」
ホストは良い仕事だったが、結局男の職場なのだ。俺は男が多い環境が苦手だ。男と話すことなんてないし、気疲れするだけなのだ。子供の頃からいつも女の子に囲まれていた。
それが普通だと思ってきたし、男達が熱狂していたゲームやスポーツにも興味がなかった。
そう考えると、甘えたことがないと思いつつ、自覚なしに女の子に甘えて生きてきた人生だったのかもしれない。
「お前さー、金欲しくない?お前みたいな見た目綺麗系のやつにぴったりの仕事があるんだよ」
そう言いながら、元同僚の目は怪しく光った。こんな、男の紹介するいかがわしい仕事なんてやるはずがない。俺はいつ話をやめて立ち去ろうかと考え始めた。
「ホストの仕事はもう面倒だから、よほど困った時にしかやらないよ。今は別に困ってないし、俺はこれで……」
「一日客の相手をして話すだけだよ。所謂一般人じゃなくてVIPの客で、見聞きしたこと他言されると困るわけ。だから口止め料も入って100万」
「ひゃ…100万!嘘だろ……」
俺は頭の中で、手作りのぼろぼろの計算機を叩き始めた。100万あれば安アパートでも借りられる。ヒモ生活もそろそろ年齢的に苦しくなってきたし、30になるまでには、なんとかしたいと思っていたのだ。今がチャンスかもしれないと思ってしまった。
俺は今日がツイていない日だってことを、すっかり忘れていて、なぜかその怪しすぎる誘いに乗ってしまったのだった。
元同僚かニヤリと笑う顔にも気づくことがなかった。
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