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⑨
黒い箱はVIPの男相手に、男が接客する店。
客の中に取り締まる側の関係者もいるのだろう、明記されているわけではないが、薬などの危険行為以外は基本的になんでもありらしい。
俺はシャワーを浴びた後、シースルーのガウンみたいなのを着せられた。
それが薄暗い部屋の中でライトアップされて、妖しく光るのだ。
カーテンで仕切られた小部屋の中で、吐きそうなくらい緊張しながら、客が来るのを待っていた。
他の部屋からは、男の喘ぎ声が絶えず聞こえてくる。俺もあれに混じるのかと思うと、震えるような気持ちしかない。
俺は黒い布を巻き付けられて目隠しをしていた。VIP相手だと、顔を見られると困る人が多く、最初は目隠しをして客の希望次第で外すらしい。
視界を奪われた中では、他の感覚だけが頼りだ。いつどんな客が入ってくるか分からない。
危険行為は禁止だと言われたけれど、何をされるのか、恐怖でガタガタと震えだした。
ここは寒かった。
空調の問題ではない。俺に必要なのは、あの男がくれる温かさだった。
瑛士にも、山崎が見つかった話は入っているだろう。俺が家からいなくなって店に出される話も間違いなく聞いているはずだ。
忙しいし、困っていたからやる気になってくれたら、ちょうど良かったと思っているだろうか。
俺には自分とのセックスが好きかとしつこいくらいに聞いてくるくせに、自分はその言葉を一度も言ってくれたことはない。
当たり前だ。瑛士にとってただの商品だ。
今までの行為は店に出すための準備だった。
そう考えると身がちぎれそうな痛みに襲われる。
瑛士から与えられる熱は、何をされても気持ち良かった。俺にあれ以上の快感を与えてくれる人など存在しない。それくらい肌が合って、ただの快楽以上にその存在を求めていた。
もう分かりきっている。
瑛士とのセックスは好きだ。
それ以上に、俺は瑛士を好きになっていた。
そして、その思いを抱えたまま、俺は知らない男に抱かれるのだ。
人の気配がして、さっと肌の毛が逆立ったのを感じた。
無言だ。何も声はかけてこないが、そこに息づかいを感じる。
品定めしているのだろうか、肌にぴりぴりと視線を感じた。
心は決めたつもりだった。けれど実際にその場に来たら逃げたしたくてたまらない。
知らない男に触れられたくなどない。
こんなもやしみたいな男はだめだと言って帰ってくれないかと願った。
身を縮めて腕を抱えた。瞼の裏に愛しい人の顔を思い浮かべて、心を閉ざして耐えるしかない。
気配は近くまで迫ってきた。
もう逃げることなどできない。
髪に触れられた。
ビクリと体を揺らして警戒する俺を、その手は優しく髪をなでていく。
そのまま下に落ちてきて、頬に触れられて、指で顎をさすられた。
その感触にも動きにも身に覚えがあった。何度も何度も触れられて高められて解放してくれた温かさだった。
「思い出すね。初めて会ったときみたいだ」
求めていた声がした。もう触れられた瞬間から分かっていたけれど、その声で確信を持って、ずっと耐えていた思いが溢れ出してきた。
「君は毛を逆立てて警戒する猫みたいで、そのくせ怯えた寂しそうな目で俺を見てきた。その時さ、分かっていたんだよ。あぁもうこれは手放せないって……」
その声の主は、俺の頭に巻かれた目隠しをシュルリと外した。目の前にずっと心に焼きつけて離れなかった、瑛士の姿があった。
暗がりの中でも黒髪は艶があって光っていて、いつもの鋭い目は優しい色をしていた。
「こんなところで何しているんだよ。誰が飼い主か忘れたの?」
「……だって……だって、瑛士が……ピンチだって聞いたから……、俺助けたくて……」
それを聞いた瑛士は噴き出して声を上げて笑った。
「そうか…、俺を助けてくれるのか。雅貴は勇敢な猫だな。嬉しいけど、ピンチでもなんでもない。滝澤が勝手に先走っただけだよ」
「え………?あの……立場が危ういとか…」
「山崎の件はとっくに報告済みで、責任を取って辞めてもいいと伝えてある。それをあれこれ理由をつけて引き止められていて困っていたくらいだよ。俺の立場なんて初めからあってないようなものだから、心配されるものはない。あいつは大げさなんだ」
俺は力が抜けて床に倒れこんだ。どこまで本当か分からないが、今すぐどうにかとか大変な事態ではなさそうだった。
「でも……山崎は見つかったのに使えないし……。やっぱり俺が代わりに店で稼がないといけないんじゃ……そういう話だっただろう」
「……………」
「俺を抱くのだって、指導…なんだろ?もう…たくさんだよ……。瑛士に触れられる度に、嬉しくて……好きで……瑛士のこと好きでたまらないのに……。いつか捨てられると思ったら苦しいんだ。だったら今……」
「雅貴」
子供のように座りこんで、駄々っ子のように泣いていた俺は、瑛士のよく通る低い声で名前を呼ばれてビクリと体を揺らしておずおずと顔を上げた。
「帰るぞ」
そう言って俺の話には全く答える素振りもなく、腕を強引に掴んで瑛士は俺を店から連れ出した。
いつも余計なことはペラペラとよく喋るくせに、肝心なときは何も話してくれない。
瑛士は待機していた車の後部座席に俺を突っ込んでから自分も入って、すぐに家へ向かわせた。
俺の泣きながら必死訴えた話なんてどうでもよくて、無視して流されてしまったのだろうか。
さすがにムッとしながら瑛士の顔をそっと盗み見た俺は驚きで変な声が出そうになった。
瑛士は真っ赤な顔をしてそれを隠すように口に手を当てていたのだ。
「え……なんだよ。瑛士、そんな顔して……」
「雅貴があんなことを、あんなところで言うからだ」
「へ?あんなって……?」
初めて見る傲慢な支配者の動揺した姿に、俺の気持ちも一緒に動揺した。
あんなあんな言われても何のことだか分からなかった。
ポカンと口を開けて固まっている俺に、トマトみたいな顔の瑛士は、もう一度言ってくれよと言った。
「もう一度って……、もしかして……好きってこと?」
返事をする代わりに、期待を込めて俺を見てきた瑛士はとんでもなく可愛く見えた。猛獣に懐かれたような感覚だった。
「……だって、好きなんていつもアレのとき言ってるじゃないか……俺だけだけど……」
「アレのときはおれのモノのことを言っていたんだろう。俺が好きなんて言わなかったじゃないか!」
二人の間に妙な空気が流れた。どうやらボタンを掛け違えて上手く伝わっていなかったようだ。
というか、ただアソコだけ好きって俺はどんな風に思われていたのかと呆れてしまった。
「…そりゃ、瑛士のソレは好きだけど、ソレだけなはずないだろう!どんな淫乱だよ!……ちゃんと本人が好きに決まってるだろ!」
「もう一回」
「はぁ?」
もう一回言ってくれと熱っぽい目になった瑛士は、顔を近づけてきて俺の唇を奪った。
ピチャピチャと音を立てて軽く吸い付いて、唇全体をペロリと舐めてきた。
「ちゃんと言えよ…雅貴」
強い言葉のくせに、甘えたような目をしてくる瑛士に俺はクラクラとしてしまった。
初めて見せる顔をこんな時に披露するなんて反則だと思った。
「……好きだよ…、大好きだ瑛士」
「あぁ…やば…」
俺の告白を聞いた瑛士は覆い被さるように強く抱きしめてきた。心なしか腰が揺れているような気がするのは気のせいだろうか。
「まずいな」
「なに?なにがだよ?」
急にまずいなんて言われて不安になった俺だが、その答えを聞いて倒れそうになった。
「いや……、最近会えなくて溜まっていただろ。今ので出た」
「……は?でっ…出たって…」
「本当は黒箱にいたときにヤバかったんだが、よくもったほうだ。さすが俺だな」
10代のガキでもないのにと俺は信じられなかったが、やけに満足そうな顔をしている瑛士を見て、これは冗談ではないと悟った。
「分かっただろう。お前の言葉でイクくらい、俺はお前に夢中なんだ。店に出して客に触らせるわけがないだろう。本当に閉じ込めて鎖で繋いでおこうか?」
「……それはちょっと……さすがに……」
一応断ったが、頭の中で鎖に繋がれながら瑛士に犯される自分を想像して、そうとうぶっ壊れてきたなとおかしくなった。
「愛してる、雅貴。ずっと一緒にいる。約束するよ」
「瑛士……」
耳元で囁かれた甘い声に、俺の体は喜びで震えた。瑛士が絶頂になってしまった気持ちが分かった。好きな人に好きと言われるのは痺れるくらい嬉しくて気持ちが良かった。
瑛士のキスの雨を受けながら、幸せな気分で胸は満たされていった。
後ろで繰り広げてしまって、運転手の人には申し訳ないが、初めて気持ちが通じ合った二人を止めるような人はいない。
家に着くまでがもどかしいほど、早くとろとろに蕩けるように抱き合いたくてたまらなかった。
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