靴底を炙るための紙切れ

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 洗面所回りを少し探すと、流しの上の棚にライターが収まっていた。何のためにライターがあるのかは覚えてはいないが、細かいことはどうでもいい。これで靴底を炙ることができる。  棚からライターを取り出す際、洗面所の鏡に写った自分の顔が目に入った。  ……髭が伸びている。  そういえば暫く髭を剃っていなかった。  このまま外出しては『身嗜みに気を配れ』という母の教えに背くことになる。それはいけない。  僕は髭を剃ることにした。  洗面所に放置された電気シェーバーを拾い上げ、電源を入れる。  ……動かない。  電池切れも疑い、充電コードを繋げてみたが、やはり動かない。どうやら壊れているようだ。  これでは髭を剃ることができない。髭剃りを購入する必要がある。  となると、まず髭剃りを買い、その後ライターで靴を炙り、さらにその靴でコンビニエンスストアまで行き、ティッシュペーパーを買わねばならない。  よく考えたら髭剃りを買うついでにティッシュペーパーを買えばいい気もするが、どうしても母の言葉を無視することは出来ない。 『あなたは頭が良いわけではないので、難しく考えずに物事は順序よく行いなさい』  僕は母にそう教わり、育った。  であれば、『コンビニエンスストアでティッシュペーパーを買う』という最終目的を達成するためには、髭を剃りライターで靴を炙るという行程を順番に一つずつ行う必要があるのだ。  母の教えは忠実に守りたい。  髭剃りを買いに行く際の身嗜みには気を配らなくていいのか、という疑問も湧いたが、あまり難しく考えると『難しく考えるな』という母の教えに背くことになるので、この際その疑問は脳の奥に捨て置くことにした。
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