わたしの庭

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 わたしは、だだっ広い庭を持っているが手入れはせず放置していた。それで、ある日思い立ち、無秩序に育つ植物を整理して、一から庭を手入れして見ようと思った。  わたしは植物を育てた経験がほとんどなかった。育てるための知識と言えば、日当たりのいい場所に植えて水をやり肥料を与える。その程度だった。  最初は花が咲く植物を育てたい。そう思った。  実のなる植物もイイナと思ったが、いきなりやるには難しそうだし、時間も掛かるだろうと思ったので、避けた。  だがそう考えると、雑草などは何もしなくても勝手に生えて、その上花が咲くものもある。それに満足ができるのなら、何も今の庭に手を加える必要はないのだ。わたしは途中まで庭の雑草取りをして、その最中にそんなことを考えた。それは、雑草取りが思いのほか重労働で、やり始めてすぐに苦痛になり、やめてしまおうかという思いが湧いたからだった。 「いや、やっぱりやろう」  わたしは独り言で自分に気合いを入れて、庭の整理を続けた。しばらくやり続けると、少し慣れて、苦痛が和らいだ。それでもまだまだ庭は広かった。フッと立ち上がり体の力を抜き、庭を見渡すと、この庭の整理はとても一気に終わらせることはできないと悟った。  そしてそれから、なんとか毎日続けて、七日目にやっと一通りの片付けが済んだ。  ザッとでもきれいになった庭を見たとき、もうそれで満足な気さえした。そこでまた自分を鼓舞しなければならなかった。  植物の種をいくつか手に入れた。種の入った袋に植物の名前や育て方が書いてある。そうなのだ、わたしはちゃんと名前が分かっている植物を育てたいと思っていたのかも知れなかった。今まで庭に生えていた植物は、彼らには悪いがどれも名前をしらない。唯一分かるのはタンポポだった。けれど、そのタンポポというのも、本当にそれがタンポポであるかという確信はなかった。きっとタンポポだ、としか思っていなかった。  わたしは手始めにアサガオを育てることにした。種の袋に書いてあるとおり、土に注意深く、適切な深さの穴を開けて種をまいた。これで、種が芽を出すまでは数日待つことになる。そう思うとなんだかホッとした。  わたしはアサガオの種をまいてから、毎日、芽が出るのを確認する楽しみを満喫した。花が咲くのを楽しみにするはずだったが、芽が出るかどうかでこんなにもドギマギするとは思わなかった。 「なかなか出ないな」  わたしはしゃがみ込んで、種をまいた土の表面をジッと観察した。  だが、そうしてアサガオの発芽を待っている間に、きれいにした庭は、もうポツポツと、名を知らぬ草木の芽が出ていた。そういう、いわゆる雑草はとにかく育ちが早いし、力強いと思った。それどころではない、草の芽以外にも見たことも無いキノコが何本も生えていた。わたしは得体の知れない恐怖を覚えた。どこからやって来たのか、彼らは旅をして、わたしの庭に居場所を見つけ、ここを根城に大きくなろうと企てているのだ。ここでわたしが手を抜いて放置すれば、またこの庭は彼ら雑草の天下になってしまうのだ。  わたしは負けるものかと腰を折り、雑草を抜き取りながら、もう生えてこないでくれと願い、もう一方でアサガオが早く芽を出すことを楽しみにした。  それにしても、アサガオは芽を出さなかった。10日は待ったがひとつも芽は出ない。ダメだったのか?と疑いの気持ちが湧いた。そういう、わたしの弱い気持ちにつけ込むように、雑草だけは毎日芽を出してくる。嫌がらせかと思うが、彼ら雑草も必死の攻撃なのだろう。  14日ほどして、アサガオの芽がひとつふたつ、やっと芽を出した。ほかにも、土がわずかに盛り上がっている場所がある。わたしはまたここで、ひとつの充実感を得た。芽が出るだけで、これほど待ち遠しく嬉しい気持ちに成れるものかと感心さえ覚える。そのことを誰かに話したい気もしたが、そういう話をする相手はわたしにはいないし、相手がいたとしても、こんな些細な喜びを話して、その相手は一緒に喜んではくれないだろう。  アサガオは毎日、見る度に芽を出す数が増えていった。それは嬉しかったが、芽を出さない種もいくつかある。種をまいた場所は、横に何粒と、規則正しくまいたので、芽が出ずに間が空いているところが妙に寂しく感じられた。 「芽を出さない種というのも、こんなにあるのか」  わたしは、そういう種について、水をやり、陽が当たることを願い、それ以外に何をしてやることもできない無力さを感じた。芽を出すかどうかは、種自身の力であって、わたしはそれを手助けしているに過ぎないのだと思った。 「植物というのは、育てるのではなくて。育つのを見守るものだ」  そんなことを思うと、何か画期的なことに思い当たった気がして、また、誰かに話したい衝動を持ったが、きっとそれを誰かに話したら「そんなことは昔から承知だよ」、と事も無げに言われて笑われるのだろう。  わたしは、アサガオが芽を出してから、注意深く見守り、大きくなるのを日々楽しんだ。  二つの葉が出て、四つの葉が出て、ひょろひょろと伸びていく。 「そろそろ、棒をさして絡ませるか」  わたしはアサガオのそばに長い棒を添えてさし、アサガオの蔓を棒に絡むようあてがった。  それからの日々はまたこれまでと違った面白みがあった。アサガオの蔓は、知的生き物のように伸びる先を探って方向を変え、巧みに棒に巻き付いてよじ登っていくのが見て取れた。 「偉いものだな。何も教えなくても、いとも簡単にグイグイと棒を伸びていく」わたしは感心した。  わたしは、自分の前に棒があったら登っていけるだろうか?と思った。小さいとき、遊具にそういう棒があって、みんなは登れるのに、自分だけ登れず恥ずかしい思いをした記憶があった。 「アサガオ、もっと登れもっと」そう思って育てた。  アサガオはそのうちに、わたしの背丈ほどの高さまで蔓を伸ばした。だが、アサガオの育て方としては、あまり伸び放題に蔓を伸ばすのはよくないらしい。蔓を伸ばしすぎると、花が咲く時期が遅れたり、咲く花も小さくなるようだった。  それでもわたしは充実感を得ていた。勢いよく大きくなっていくアサガオの葉にも心惹かれる魅力があったからだ。本当に色よく形よく大きく育つ緑の葉は、よくよく見ると滅多に無かった。だから、葉のひとつでさえ美しいと思った。大きく育ち、むらなく緑で、葉には枯れも破れも欠けも変形もない、一点の汚れもない葉、それは花に引けを取らない美しいものだった。  そんな話まで育ったアサガオがある一方で、今頃になってやっと芽を出す種もあった。もうとうに十日以上は遅れての発芽だった。それでも、死んではいなかったのだから嬉しかった。結局、まいた種はこれですべて芽を出したのだった。諦めて始末してしまわずによかったと思った。育つにも種ごとに様々な特色、事情があるのだろう。  遅れて芽を出したアサガオも、先行したほかの芽同様に上へ先へと葉を増やしながら伸び始めた。体格は違っても、やること、求める結果は同じと言うことだ。  一端地上に顔を出したアサガオの蔓は、その大きさに関係なく自分の住みよい場所と方向とを巡って互いに絡み合い探り合う。わたしはそこでつい、育つのに後れを取っている小さい蔓を優先してよい方向へと誘導し、違うアサガオ同士の葉と葉が重なり合う中から前に引き出したり贔屓をしてやった。  わたしがまいた種がすべて芽を出し、育ち始めたという、序盤での一応の成功を見たことは、望外の充実感をわたしにもたらしてくれた。  種をまいたアサガオは、恐らくすべて芽を出して、今はどの蔓も伸ばせばわたしの背よりずっと大きく成長していると思われた。  わたしは、アサガオの蔓を野放図に伸ばすことは花の大きさや咲くか咲かないかということに影響することを育成本を読んで知っていたが、蔓をできるかぎり伸ばしてやりたいという欲望に駆られ、縦にさしてある添え木をまたいで、どのアサガオかに限らず許すかぎり縦横に絨毯でも織るように蔓を絡ませた。  そのうちにアサガオの蔓はビッシリと、立てかけた壁一面を覆って緑の壁になっていた。  わたしはその状態でまた一応の満足を得たが、そのころには、一般的なアサガオの時期を過ぎようという季節になっていた。  アサガオは自分が花を咲かせる時を知り、ある朝から花を咲かせ始めた。その花は、やはり当初思っていたものよりだいぶ小ぶりのものだったが、毎日、数十という花を咲かせた。青紫、赤紫、白もあった。  わたしはアサガオの種のパッケージにあるような大輪の花を咲かせることはできなかったが、毎日数十の花を楽しめた。  けれど思わぬことが起きた。盛んに花を付けていたアサガオのうちの一番太くて大きなものが、急に枯れ始め、数日してほぼ枯れ色になってしまったのだ。もちろんわたしにはどうすることもできず、ただ見守るしかなかった。  そしてそれからさらに七日ほどたったころから、出遅れて最後に芽を出したアサガオがほかの奴らを抜き去って、猛然と勢力を伸ばし大きく成長し、天下を取ってしまったのだ。わたしはそのような現象をずっと見届けている中で、 「善くも悪くも、わたしを飽きさせないな。アサガオという一見つましい穏やかな草花が、育つ課程でこんなに感情のジェットコースターを体験させてくれるとは思っても見なかった」  二週も三週も、アサガオは花を付けた。こうなると、一体いつまで花を付けていられるかということにも興味が湧いた。  そんなとき、嵐が近づいているという噂が舞い込んだ。この辺りは小高い丘で、特に雨風が強い。  わたしはアサガオをなるべく壁に寄せて固定し、上に網を掛けてさらに押さえた。  昼間から雲行きは乱れて雨も風も噂どおりに強くなっていった。日が陰ると同時にその強さは強大化した。特に風が荒れ狂った。穏やかな雨だれの和音のように眠りを誘うものでは無かった。外にあるものは何もかもが風に踊り狂って不協和音を奏で、不安を煽った。  わたしはずっと窓際から外を注視し、アサガオの動向を見ていた。わたしの考えは甘いようだった。アサガオは掛けた網が吹きさらわれ、次いで添え木ごと地面から蹴散らされ掛かっていた。  わたしは外に出ようと思ったが、それは危険なことに思われた。とても歩けなかった。何かが飛んできてもおかしくなかった。そんな危険な音がそこら中でしていた。  わたしは地を這いつくばるようにしてアサガオの所へ行き、雨と風とが叩きつける中で祈りながらアサガオの蔓をすべて折りたたんで、壁の隅にもう一度隠し、これ以上は何事も無いようにと思った。体を張って守ってやりたかったが、それはどうにもつらすぎた。  わたしは家の中へ戻り、アサガオを心配しながら、そして、雨がバラバラと叩きつけてくる音と、風が窓にハンマーでも打ち下ろすようなドーンという音に恐怖しながらも、夜中過ぎにウトウトと眠りについた。  夜が明けて、わたしはすぐさま窓の外を見た。  庭は、どこから来たのか分からないゴミのようなものがいくつか散乱していた。  わたしは窓を開けて庭に降り立ち、アサガオの所へ駆けた。  アサガオは根こそぎバラバラになっていた。  もう手の施しようがないと思った。  結局、最後の最後まで、わたしは様子を見ているだけだった。いや、最期はその様子さえ見ていなかった。できたのは、この胸で心配することだけ。  わたしは嵐のあとの晴天の元で、無残に散ったアサガオの蔓をかき集めた。アサガオは、根元から千切れていたが、その蔓の先では花を咲かせていた。  翌年、わたしはまたアサガオの種をまくことにした。  この種は去年育てたアサガオから採取したものだ。  去年と同じ色の花が咲くのなら、ひとつは青紫で、もうひとつは赤紫のはずだ。  わたしはこの二つの種に、それぞれネームプレートに「アダム」「イヴ」と書いて育てることにした。
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