1人が本棚に入れています
本棚に追加
本屋に行く予定をすっ飛ばし、僕はみゆきに手を握られたまま映画館へと向かった。
きっと僕の手は緊張で汗だくだろう。そんなことを考えながら隣を歩くみゆきの表情を見る。
…あれ?
隣には、さっきまでの笑顔がまるで嘘のように、悲しげな目をして前を真っ直ぐ見つめているみゆきがいた。みゆきは、僕の視線に気が付いてこちらを振り向いた。
「…どうしたの?」
「え、いや。」
「ふふふ、変なの。…相変わらず野球やってるの?」
僕はまたドキッとした。
「だって、手がマメだらけだから。」
「…あぁ。草野球が趣味だからさ。昨日も練習試合があって。」
僕は小学生の時から野球をずっとやっている。社会人になっても、会社の野球サークルや仲の良いメンバーで作った草野球チームなど、未だに野球に熱中している。
なんだか、みゆきは僕の全てを知っているようで、正体も分かっていない人物にここまで知られていると、本来は恐怖心が湧くものかもしれないけど、不思議とそれはなく、むしろ好意という感情が静かに温度を上げていた。
「また骨折らないようにね。」
「えっ!?」
僕は確かに中学生の時、試合で転んだ際に足首を骨折したことがある。それをさらりと言う目の前の10も年下の彼女は何者なんだ?
「…あ、あの。」
僕はみゆきの手を握ったまま足を止めた。みゆきは不思議そうに僕の顔を見た。
「あ、あの…本当に申し訳ないんだけど、僕はまだ君が誰だか分かってないんだ。でも、君は僕のことを凄い知ってて…、でも、なんていうか、不思議とそれが嬉しく感じて…、でも、未だに君のことを思い出せない自分が情けなくて…、でも…」
全く考えずに話し始めたむちゃくちゃな文脈のセリフについて、僕はもう収集がつかなくなってしまっていた。恥ずかしいくらいにあがってしまっている僕は震えていた。
すると、みゆきは繋いでいない右手をそっと繋いでいる僕の右手の上に置き、ニコリと微笑んだ。
「いいんだよ、無理に思い出そうとしないで。恐がらないだけで、私は嬉しい。…嬉しいの…。」
微笑んでいたみゆきの目にはうっすらと涙が潤っていた。
「あ、あの…。」
「ほら、映画始まっちゃうよ!」
みゆきは涙を隠すように前を向き、僕の手を強く握りながら視界に入っている映画館へと急いだ。
映画館に着くと丁度10分後に始まる回があり、みゆきは慣れた手付きで発券機でチケット二枚購入し、そのままポップコーンを買いにカウンターに向かった。
「…いつもコーラ飲んでたよね?」
「え、うん。」
僕はもう恐怖など無かった。僕のことを何でも知っているみゆきを愛しく感じていた。
最初のコメントを投稿しよう!