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…あれ?
僕の記憶の引き出しの中で、一つ手に取ったまま離れないものがあるぞ。でも、中を覗き込むことができない。あと少し、あと少しで彼女のこと…みゆきのことを思い出せそうな気がする。
映画が始まると、みゆきはじっと映画に集中していた。僕は映画よりもみゆきが気になり、スクリーンをしばらく見ては、スクリーンの明かりに浮かび上がるみゆきの横顔を見ていた。
ほとんど映画の内容など理解できぬまま、気が付くとエンドロールが流れていた。みゆきの横顔を見ると頬に涙が伝っていた。
僕はそっとハンカチを差し出した。みゆきは驚いた表情を浮かべながらも、ハンカチを受け取り涙を拭いた。
みゆきはエンドロールの合間に出ようと、また僕の手を握って暗い部屋を人の足の間を縫って歩いた。握ったみゆきの手は震えているように感じた。
スクリーンの外に出ると、ホールの長椅子に腰を下ろした。
「ハンカチ…ありがとう。本当なら洗って返したいんだけど…。」
「…じゃ、じゃあそうしてくれるかな?」
「え?」
「そ、そうすればまた会えるでしょ!?」
僕は、僕が持つ多分他人より少なく生まれ持ったであろう勇気を全て使い果たす覚悟で次のデートを誘った。僕は固まったようにみゆきの目をじっと見た。
みゆきもまた固まっていて、静かに涙を流した。僕が驚くと、みゆきは僕の目を見て微笑み、首を横にゆっくり振った。
「…ごめんなさい、会うのは今日で最後にした方がいいと思う。だから、ハンカチはこのまま返してもいい?」
「…あぁ。」
僕は、手を伸ばしてハンカチを受け取った。知らぬ間に自然と涙が溢れ、そのままハンカチを目にあてた。
みゆきは立ち上がって、頭を下げた。
「…ごめんなさい。」
「え、いや、別に謝らなくても。」
みゆきは頭を上げるとニコリと笑った。
「楽しかった。会えて本当に良かった。」
僕も立ち上がって、みゆきに微笑んだ。
「僕も…君に会えて良かったよ。」
「じゃあここで。元気でね、“にいちゃん”。」
え?今の…。僕が衝撃を受けて固まっている間に、みゆきは振り向くことなく遠ざかっていった。
…そうか。牛乳が苦手で、僕のことを何でも知っていて、あの笑顔と愛しいこの感情。この感情は愛情は愛情でも、恋人に向けたそれとは違うんだ。
ようやく、記憶の引き出しが見つかって、中身を見ることが出来たよ。
「…さくらっ!!」
僕は叫んだ。映画館中の視線を感じたが、そんなことはお構い無しに叫んだ。
「さくらなのか!?」
映画館の入口で足を止めたみゆきが、ゆっくり僕に振り返り、またあの笑顔で手を振った。
そうか…。僕は涙が止まらなかった。再びハンカチで涙を拭い、入口に視線を向けた時には、みゆきの姿は無かった。
「…はぁ。」
僕は、気持ちを落ち着かせて、このまま片道二時間はかかる実家に帰ろうと思い、母親に電話を掛けた。
22年前に亡くなった妹の仏壇に手を合わせるために…。
ー 完 ー
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