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悲鳴が聞こえた。
轟音が響いた。
目の前の景色が、いつも見慣れていたものとは異なる。本当にこれは現実なのかと疑った。頭が正常に働かなかった。ただただ足を震わせ、唇を震わせ、呆然と立ち尽くしてしまう。
見慣れた景色が、
どんどん崩れ落ちていく。
「逃げろ! 他国の魔女が襲ってくる!」
「早く逃げなさい!」
「この国の魔女はどうした!?」
あちこちに飛び交う声。必死に逃げ惑う人々の影。中には崩れてしまった建物に飲み込まれてしまった人もいた。
死んでいく。
この国の人達が、死んでいく。
「エルマ! ここはいいからお前は早く自分の家へ!」
呆然と立ち尽くしていたエルマに、一人の男が声をかける。エルマ同様にショットガンを携えた男だった。必死の形相で訴える。
何度も頷き、エルマは崩れゆく街の中を駆けた。頭上には数体の魔女が飛び交っている。杖を手に、街のあちこちに魔法を放ったのだ。
あぁ馴染みの店が燃えている。
よく行った公園に激しい落雷が。
知り合いの家が割れた地面に飲み込まれてしまった。
まさに地獄絵図だ。平和で幸せだった筈のこの国は、こんな簡単に地獄の世界へと叩き落されてしまうのか。
何故魔女が来た。
何処から来た。
全く状況が読み込めないまま、エルマは街の中を駆ける。無数の死体が倒れていく中で、それでも足を止めなかった。
家へ。家へ。
どうか無事であってくれと何度も祈りながら。
「シェーン! ラドナ!」
名前を呼びながら、エルマは目的の場所へと辿り着く。外壁が剥がれ、屋根が吹き飛んだ凄惨な状況ではあったが、なんとか家の形は保たれていた。いや、外見が良くても、中がどうなっているのか。
「二人とも無事か!?」
壊れたドアを蹴破り、エルマは中へ踏み入る。そしてその有様に愕然とした。家具は倒れ、食器は散らばり、崩れた屋根の残骸が床にばら撒かれていた。
ここは本当に俺の家か?
そう疑いたくなった。
「……エルマ」
ふと声が聞こえ、エルマは振り返る。崩れた屋根の下から、弱々しい女性の声。何度も何度も聞いた、その声。
「シェーン!」
エルマは屋根の残骸を押し上げる。あぁ彼女だ。その美しい金の髪を忘れる筈がない。
シェーンは落ちた屋根に挟まれている状況だった。体力が枯渇しているのか、表情は虚ろで、弱々しい。早く救出しなければと、エルマは必死に残骸を持ち上げる。
しかし、重い。全く動く気配がない。
「無事で良かった……。ラドナは?」
エルマの問いに、シェーンは目を伏せる。そして静かに首を振った。
それが何を意味しているか、即座に気がつく。
「……嘘だ」
「ごめんなさい……。私の、腕の中に」
エルマはぐっと力を込め、僅かに屋根の残骸を持ち上げる。そして見えた。ほんの小さな隙間から映る、金の髪の小さな影を。
全く動く気配のない、小さな影。
「……ラドナ」
まだ5歳だった。元気に走り回るやんちゃな息子だった。つい先日も、公園で遊んで膝を擦りむいたばかりだというのに。
これから、未来へ向けて生きる筈だったのに。
「ごめんなさい、エルマ。私は母親失格だわ……」
「お前のせいじゃない、シェーン。……だが、どうしてこの国に魔女が」
平和で、覇権争いに一切の興味もなかったこの国に、突如として他国の魔女が侵攻した。その魔女達は何処の国が保有しているか分からない。
つまり、見ず知らずの国に襲われているという状況だ。
「王はなんとか逃がした。衛兵の仕事も住民の救助が最優先となっている。……だから、お前だけでも助けたい」
「エルマ、でも足が挟まって……」
「救援を呼んでくる。ここで待っていてくれ。ラドナもまとめて助ける」
もうラドナが動かなくても、必ず助け出さなければいけない。安全な場所へ避難して、それからゆっくり眠らせないと。
他の衛兵を呼ばなければと、エルマは急いで飛び出した。救助で忙しいかもしれないが、シェーンだって優先すべき救助者だ。
近くに誰かいないかと、エルマは駆け出した。
その直後だ。
「……っ!?」
背後で激しい轟音。
思わず足を止め、振り返る。まさか今の音の方向は……。
そしてエルマは愕然とする。先程まで半壊のままで立ち並んでいた建物が、一瞬にして崩れ落ちてしまったのだ。
その中には、エルマの家も。
まだシェーンが中にいるというのに……!
「シェーン!!」
叫んだ。喉が潰れるほど叫んだ。家の残骸へと駆け寄り、彼女の名前を呼ぶ。瓦礫に埋もれ、彼女の姿が何も見えない。
嘘だ。嘘だ。生きている。きっと無事だ。どうかそうであってくれ。
願いながら、祈りながら、エルマは瓦礫を必死に押しのける。大きな石の塊が持ち上がらない。小さな石を退かすだけでは時間がかかる。
誰か、誰か。
愛しい妻と息子を助けてくれ……。
「……!」
と、エルマは人の気配を感じて顔を上げた。肉眼でも確認できる場所に、1人の女性が浮かび、こちらを見ていた。目深にフードを被り、杖を持った女性だった。
ひと目で魔女だと分かった。
そしてこの魔女が、建物を壊したのだ気づいた。
「……お前が、お前がっ!」
怒りと憎しみを込めて叫んだ。魔女達は全てを奪った。エルマの家も、家族も、この国も。
許す筈がない。許せるわけがない。今すぐに撃ち殺してやると、エルマは抱えていたショットガンを構えた。
「……」
しかし魔女は何も言わないまま、くるりと振り返り、また何処かへと飛んでいく。待て、待て! とエルマが叫んでも、戻ってくることはなく。
だが微かに見えた。フードの隙間から、魔女の顔が。
左目は真っ黒なのに対し、右目は碧眼だったのだ。
◇◆
「エルマ、大丈夫?」
少女の声に、エルマははっと目を開ける。そして慌てて飛び起きると、精算な街の景色は何処にもなく、見覚えのある部屋が飛び込んだ。
夢だった。
いや、夢のようで夢ではなかった。あれは過去の情景。エルマが全てを失ってしまった過去を映し出した夢。
国も、家族も、全部全部。
「魘されていたけど、悪い夢でも見た?」
いつの間にかアーティーは戻っていた。窓の外を見ると明るいが、微かに赤みがかっている。
夕暮れが近いようだ。
「……国を失う夢を見た」
「……」
「妻も息子も失った、あの地獄をまた見る羽目になるとはな」
あの後、衛兵の協力を経て瓦礫を撤去したものの、シェーンは息をしていなかった。彼女の損壊は激しかったものの、腕の中のラドナは綺麗なままだった。母親としてしっかり子供を守ろうとしたのだろう。
そして無事に逃せた筈の王も殺害された。王侯貴族は軒並み魔女の魔法で殺され、生き残ったのは僅かな民間人と衛兵だけとなった。
国は滅んだ。
魔法と科学を結びつけて研究する、《魔法科学の国》は、滅んでしまったのだ。
「あれからもう5年か」
そしてエルマは僅かな武器と資金を手に、旅をした。魔女狩り屋として、魔女を滅ぼすことを決めた。何より、シェーンを殺した右目が碧眼の魔女だけは絶対に殺さなければと誓った。
「エルマ。辛いなら今日はもう休む? 町長さんのところへは明日行けばいいと思う」
「いや、大丈夫だ。いつまでも引き摺っていたら仕事にならん」
失ったものもあれば、得たものもある。
「それに、お前がいるから今は寂しくない」
「本当に? よかった」
アーティーは満足気に笑った。天真爛漫な姿は、本当の16歳の少女と言っても過言ではない。
エルマは先日、37の誕生日を迎えた。そんな彼にとってアーティーは、もう1人の子供と言っても過言ではない。
彼女がいるから、まだ立ち上がれる。例え彼女が魔女だとしても。
「アーティー、出発できるか? 町長のところへ行くぞ」
「うん、任せて!」
エルマはベッドから降り、大きく息を吐く。過去の情景を見てしまったが、いつまでも悔やんではいられない。
この悔やみは、魔女への復讐へと向けるのだ。そう決意した。
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