六祖 

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六祖 

「ブラウザーが停まらないんならシャットダウンすればいいのに」 総司はノートパソコンの電源ボタンを探した。しかしそもそも常軌を逸した世界の機械にどこまで衆生の概念が通じるのだろう。香帆はさっき司ると言ったではないか。つまり物理法則の埒外にある力で動いているということだ。 「電源ならそこにあるわよ」 香帆は怪訝そうに柱の根元を指し示した。豚の鼻腔が二段。その一つに電源コードがささっている。「なんだよ。これを引っこ抜きゃいいんだな」 総司が力任せにひっぱるとノートパソコンに足が生えた。それも身の丈ほどもある。天板に土踏まずがあらわれ、あれよあれよという間に太腿の付け根まで一本足がそそり立つ。 「あぶない」 第一撃が蹴りだされる前に香帆を抱いて床に転がった。ひゃん、という悲鳴は無視する。ノートパソコンはもう一本の足で仁王立ちすると蟹股でゆっくりと向かってきた。 「なんなのよ。もう。つうか、いつまであたしに埋もれているの!」 香帆に突き飛ばされた。 しかし握りしめた手はしっかりと、離さない。 「あれはノーパソじゃない。僕たちを餌にしようとしているんです」 「信じられない」 彼女の瞳には二足歩行する「ノートパソコン」がうごめいている。 「勝手にソフトがインストールされた時点で気づくべきだった」 「どこかの誰かが操っているというの?」 「ええ。あれには主がいます。司っている奴の素性は知りかねますが、一つだ確かなことがある」 「それってどういう?」 ガシャンと激しく壊れる音がした。総司がコードを思いっきり引っ張った。 ノートパソコンは引きずられる格好で倒れた。 「逃げよう。あれの行動半径は知れている」 総司は一目散に駆け出した。 「待って。あれは何なの」 香帆が息せき切って表通りを走る。 「六祖っていってましたよね。六道輪廻のことじゃないか」 「ちょっといきなり何を言い出すの」 「根拠なんかありませんよ。類推です。小説家ならそれぐらい朝飯前でしょ」 「うっさいわね。仏教の輪廻は塩コショウのごとく引用されてきたわ」 あまりに安直なアイデアを香帆の作家脳が拒絶している。 「その六道の人間以外に属する何かでしょう」 総司は走りながら手短に考えをまとめた。世界をめぐり人間に回帰しようというのだからほぼビンゴだろう。死生観や循環は人間が発明した概念だからだ。 香帆が言った通りこの世界には司る、すなわち神の概念が君臨していて有資格者は一定の権限を与えられる。そのうちの一人、餓鬼道の管理者が二人に目を付けた。 「何で餓鬼ってわかるの?」 「人間を取って食おうというのだから十中八九そうでしょう。奴らは常に腹を空かせていてなんでも食います。ノートパソコンはトラップだったのです」 「えっ?」と香帆は立ち止まり青ざめる。あのまま考察していたら餓鬼の餌食になっていた。総司が気づかなければ今ごろは……。 「そんな事より宵闇ブラウザの動くパソコンを手に入れないと」 「ちょっ、まだこだわってるの?」 香帆がげんなりしてその場にへたり込む。 「だって、ここは宵闇ですよ。ついでにあれの詳細に僕は気づきました」 「えっ、えっ? 何なの」 およぐ視線を総司が先回りした。そしてじっと顔をみつめる。 「脚が生えていたでしょう」 「うん。思い出しただけで吐き気がするけど」 「思い出して貰わないと困りますよ」 「いやよ。やめてよもう」 香帆は背中をそむけた。 その傍らにしゃがみこんでささやく。 そして彼女は信じられない言葉を耳にした。 「からくり人間ですよ」
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