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寝落ちして目覚めればよい闇の街
『思い悩んで昔交際してた人に電話しようと思ったけど
精神論と暴力の権化だったから思いとどまった。
アルコール浴びるほど吞んで
ケツメイシの友よを歌ったらすっきりした。サビの部分が好き。
歌詞の引用すら許さない規約だから詳細は書かないけど友情の継続性を謡ってる。
友ってフォロワーや★で応援してくれる皆さんの事です。
★がめっちゃついてて、わぁ、わたしの新作を喜んでくれてる人がいるんだと感動した』
鹿嶋香帆が凍えるような寒さから身を起した。腕や膝に圧迫痕がある。雲竜型のタイル。見たこともない舗装だ。赤紫色の窪みに痒みをこらえつつ周囲を観察する。連載と活動報告を更新して寝落ちしてしまった。今は暮れなずむ街にいる。アーケードに「宵闇構想、改造人間大サーカス 」という電飾が揺れていた。
ここはどこだろう。スマホがないと心細い。今は何時だろうか。予約投稿してあるので数日は持つだろうが書き溜めは底をついている。とりあえず同居人の風香に電話してなんとかしなきゃ。交番の場所を聞こうと道行く人を呼び止めた。七つの眼が振り向いた。香帆は再び意識を失った。
「なんで俺は、こんなにも早く……」
それは安田隆行が最初にやり直した、ひとつのプロジェクトだった。
大元の制作に携わっていたメンバーをかき集め合同チームで協力し合わなければ成り立たない。腕利きのプログラマーも優秀なデザイナーも逃げた。開発予算は中抜きされ雀の涙。これでジョイベース5に抗うコンテンツを創れという方がおかしい。ディレクターはそう置手紙した。
安田はすっかり心が折れていた。プロジェクトは再起動と頓挫の繰り返しだ。幾つものゲームスタジオを渡り歩いて来た。ヒット作にも恵まれた。
安田はひとりごちる。
「それまで、俺だけでは絶対勝てないと思っていた。人は石垣、人は城だ。
しかしチーム全員が俺とチームを裏切ったわけじゃない。俺はもっと強くて、チームの一員なんだ。だからこんなにも早く、この事態が終わったのだ。なんとか残った人材をかき集めて開発体制を再構築した。専門学校を巡回して卵に声をかけた。いきなり新人から要職に抜擢されて戸惑う子も多い。俺は貫録で彼らを安心させた。若くて希望に燃えているだけあって呑み込みも早い。
それにしても早すぎる。本当に、ここからが俺の人生が詰んだ時かもしれない。一週間前から無断欠勤が増え始めた。音信不通の者もいる。チームの稼働率は三割まで低下した。今日の出席者はテスターが2名、グラフィッカーが1名。指示待ち人間ばかりだ。シナリオは欠勤者が握っている。最終稿を土壇場で書き換えたばかりだなのに。没案の流用は不可能。競合作ともろ被りだ。
俺を救ってくれた少女はもう見えなかった」
安田は誰もいない部屋でゴーグルを手にした。ただのVRじゃない。”心を奪う”ユーザーインターフェースだ。
「待ってくださいよ!安田さんがもし喪失しちゃったら誰が纏めるんです?」
テスターの古賀が飛んできた。「お前に任せる。フラグも終盤も全て回収してるだろう。お前ならきっと巧くいく」
「映画みたいなこと言わないで返して。壊れたUIで何が出来るってんです」
取っ組み合いの末に古賀が息を弾ませる。「あの娘は救世主だ。助け出す」
安田がゴーグルを抱く。「鹿嶋香帆はトロイの木馬ですよ。まさか本当に実在すると信じてるんですか?」
古賀は脚本ファイルに改竄の痕跡を発見した。一か月前の事だ。フライング狙いの未完成ゲーム窃盗なんてよくあることだ。そして優位に遊ぶためにチートを仕込むことも。安田は侵入経路の封鎖を命じた。同時に脚本をそのまま採用した。「面白い。この鹿島という子は才能がある」
侵入者の残した署名をそのままアバターのコードネームにした。開発に行き詰ると香帆がヒントをくれた。その”彼女”が行方不明だ。
「鹿嶋香帆が実在してゲームに取り込まれた?笑っちゃいますよ。人格情報を運べるほど今のネット回線は太くない。だからダウンロード版で発売するって言ったのは安田さんですよ。社内LANだって帯域幅が…」
言い終えぬ内に古賀が床に沈んだ。安田はキレると手が出るタイプだ。
ひったくり、被ると視界がまだら模様の極彩色に包まれた。
あの少女はもう、あの男に食われた。
今は現実を見ようとも、やっていられない。
LEDに点字が流れていく。
「おい、聞いているのか。この俺がっ、この俺が、生き延びた理由が!」
その言葉を待ち遠しく感じた。しかし七つの眼を持つ女は気にも留めない。
「あの子は何してんだ!」
安田は目の前を通った少女を呼んだ。
「なんで、この俺が死にかけてるんだ……!」
彼は膝を抱えようとして、流れる血を止めた。脇腹が赤黒く染まっている。
「なんで俺なんだよ!」
縦に並んだ瞳が七つ。血達磨の男が揺れ動いた。そしてピタリと静止する。
くわっと犬歯だらけのあぎとが開いた。
「あんまり聞き分けが悪いからじゃない。自業自得よ」
「お前に言われたくねえよ。クソ野郎がっ、このっ……」
安田の拳が空を切る。ぎこちないがHPの残量があるうちは動けるようだ。
「どうしても聞いてくれないの? このクソ野郎がっ、このっ……!」
彼にとって鹿嶋香帆は実在であるはずだった。七つ眼怪人は人格を捕食する。
だがそれはゲームの設定だ。本当にプレーヤーを取り込むわけではない。
「畜生、なんで仕様が変わってんだよ。シナリオに土足で踏み込んだのは誰だ!」 彼は吠えた。
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