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高校二年の春を過ぎたころ、俺は東京から広島に引っ越しした。
父親の転勤に合わせたものだったのだが、何故単身赴任しないのかと俺は文句を言っていた。
とにかく、自分の環境を一から作り直すのが面倒くさい。社交的な性格であれは、転校しても友人は作れただろうけど、俺はどちらかと言うと人と話すのが得意ではない。案の定、友人と呼べるようなクラスメイトは出来ないまま、クラスで目立たない存在になりほぼ一人だった。
(東京にいたら、友達と遊べたのに)
知らない土地では一人だと全然楽しくない。ましてや東京にくらべると娯楽も少ないこの街だ。
転校してきて、三ヶ月目に進路希望のプリントを担任からもらったのだが、何になりたいという思いもないので、無記名で提出した。
数日後、俺は担任の井口先生に職員室に来るように言われた。
井口先生の机まで行くと、待ち構えていて愛嬌のある顔をこっちに見せた。まだおじさんと呼ぶには若いくらいの歳のようだ。
「お前なぁ、無記名はないだろ。宮内」
昨日出したプリントを差し出す。何か言われるかな、とは思っていたけど……
「せめて名前は書けよ」
笑いながらそう言った井口先生。
「はあ」
「やりたいこと全然ないのか?」
「何も思いつきません」
「宮内よ、今楽しいことある?」
「何もないです。そういうの面倒くさいから」
はー、と井口先生はため息をつく。ああ面倒くさいだろうな俺みたいな生徒。
「よし、じゃあ暇なんだな」
「え?」
手元にあった紙に何か書き、その紙を俺に渡してきた。書いてあったのは携帯番号とメールアドレス。
「今週土曜日、十時に集合な」
土曜日。デパートの入り口で俺は井口先生を待っていた。いつもならまだ家でゴロゴロしている時間だ。早く起きて出かける準備をしていると、母親に驚かれた。それくらい、休みは外出してなかった。
井口先生が指定してきた待ち合わせ場所で待っていると、遠くから手を振りながら私服姿の先生が近寄ってきた。学校の先生の私服姿は新鮮だ。もっとセンスが悪いのかと思ってたけど、意外にもセンスがいい。いつもはいまいちなスーツなのに。
「悪いな!遅れた」
「そんなに待ってませんし……あの、それで」
井口先生は待ち合わせ場所や時間は言ったものの、何をするのかは全く教えてくれなかった。
「まあ、とりあえず歩こう。平和公園までな」
このデパートから平和公園までは五分くらい。世界遺産の原爆ドームがあるところだ。平和学習でもやるつもりだろうか。
歩道を歩きながら隣を走る路面電車に目をやる。そう言えば一度も乗ったことないな。車と並行して走るけど、邪魔じゃないのかな。
「宮内、あれ乗ったか?」
俺が路面電車を見ていることに気付いたのか井口先生がそう言ってきた。
「ないです」
「そっか。まあ遅いしバスの方が楽なんだけどな。でも音がいいんだ」
「……音、ですか?」
「そっ!ガタゴト軌道を走る音がレトロでいいんだ!ゆっくり走るからよく聞こえるんだよ」
「へぇ」
原爆ドームを目の前にして、樹々の間を歩く。街中にありながらここだけは空気が違うように感じる。今や綺麗に整備されたこの場所も、昔は大きな街だったらしい。それにしてもたくさん木が植えてあるなあ。
「初夏になったら夾竹桃っていう木の花が咲くんだ。白とか赤とかの。葉っぱが竹みたいで、桃みたいな花が咲いて。だから竹と桃の漢字が使われてるんだよ」
そう言えば、たくさん花が咲いてるのを見た気がする。あの頃は暑くなる少し前だったかな。
「原爆が投下されたあと、七十五年草木も育たない、なんて言われてたのにこの夾竹桃が咲いたんだって。だから広島にとっては特別な木なんだ」
橋が見えてきて右側にはレトロな建物が見える。橋を渡ったその先には原爆資料館があると井口先生がいう。てっきりそちらに行くのかと思ったら橋を通り過ぎて、隣を流れる川に降りる階段に向かう。
そこにあった看板は「リバークルーズ」。
「先生、船乗るの?」
先に歩いてた井口先生は振り返って笑う。
「そう!」
クルーズ船といっても川を進むのでそんなに大きな船ではなかった。釣り船をリメイクしたんだろうなという感じだ。俺らの他にお客は三人。井口先生はいつの間にか買っていた切符を手にしていて、スタッフに渡し一緒に船に乗る。ゆらゆら揺れる船に緊張していたら、井口先生に笑われた。
「揺れるけど転覆はしないから、安心しろ」
「わ、分かってますよっ」
五人が乗ったところで船はエンジン音を響かせて、川面を進み始めた。揺れながら思ったより早く進んでいく。一緒に乗った女の子がきゃあ、と笑っていた。
「この度はクルーズをご利用頂きありがとうございます」
船内に流れるアナウンス。ガイドはおらずその音声が案内を始めた。
「この船長が無愛想でね」
「え、知り合い?」
「いや、よく乗りに来るから、顔見知りになったんだ」
このコミュお化けめ……
川から見た街は不思議だった。さっき歩いた道は視線の上にある。橋の下をくぐると広い空にビルが立ち並ぶ。いつも渋滞している道も、船なら横目にみながらスイスイ行ける。そして何より、川がこんなにクネクネしているなんて、思わなかった。
俺がキョロキョロしていると、井口先生がある箇所を指差してきた。
「川に降りるような階段があるだろう?」
川岸にところどころ、階段がみえた。
「昔からここは船が往来が盛んだったんだ。その船が荷物を下ろすために作られたのがあの階段。雁木っていうんだ」
「ふーん」
「広島の川は満ち引きの差が激しいからね。川なのにまるで海辺みたいに。市内の川は七本もあって、広島は川と橋がたくさんあるんだよ」
市内を流れる川は太田川放水路(山手川・福島川)、天満川、本川、元安川、京橋川、猿猴川。それだけ川が多いなら橋も多い。
そう言えばどこに行っても橋がある。家から学校までチャリで行ってるけど、三本渡ってるな。
船はどんどん進んでいき、川の真ん中に小さな浮島があることに気づいた。へぇこんな島があるのか。
「この川沿いには桜が植えてあってね。春は見渡す限りの桜なんだ。お前は桜が終わっだ後に来たからまだ知らないだろうけどな。来年を楽しみにしとくといいよ」
そう語る井口先生はずっと笑顔だ。
「先生は広島生まれなの?」
「俺は違うよ。ただ住んでるとこを色々調べたら楽しいし、ワクワクするから」
「ふーん」
「ワクワクしてきたか?」
ポン、と俺の頭に手を置く井口先生。多分俺がいつもつまんなさそうにしてたから連れ出してくれたんだろう。ああ、ホント、こういうの勘弁して欲しい……でも、思ったより悪くないし、面白い。
遠くに行かなくたって、楽しめるんだ。
「……うん」
船はUターンして二十五分くらいで発着所に着いた。無愛想な船長は気をつけて、とポツリと言いながら降りていくお客さん一人一人に声をかけていた。
「腹減ったな!何食べたい?」
大きな背伸びをして井口先生はそう言った。実はこっちに来てまだ食べてないものがある。コンビニでは買って食べたけど、なかなか機会がなくて。
「鉄板の上のお好み焼き、かな」
「おぉ!いいね。有名どころもいいけど、みんなそれぞれマイお好み焼き屋ってのがあってな。おばちゃんがやってるような小さなお好み焼き屋でも、繁盛するのはそれなんだ」
俺の行きつけが近いからそこに行こうと、笑う。行きつけのお好み焼き屋って何だよ。思わず俺も笑ってしまった。
「やっぱり、ヘラで食うの?お好み焼き」
「まあな。広島人ならヘラでいくね」
ニセ広島人のくせに、と言うと井口先生は違いないと、大笑いした。
それから一か月後。再度進路希望確認のプリントが回ってきた。俺はサラサラと書いて、提出した。
それを見た井口先生がまた俺を職員室に呼び出した。
「すすみたいこと、決まったんだな」
プリントを手にして嬉しそうに笑う井口先生。ほんとによく笑うなあ。
「本決まりではないですけど。何となく行ってみようかなって。街のデザインとか、見ててワクワクする」
「そうか」
俺が出したのはデザイン専門学校への進学希望だった。親は数年したら関東に戻るからそっちの大学にしたら、と言ってたけど俺はもう少し広島を楽しんでみたい。
「先生が言ってた路面電車も、乗ったよ。ほんとに速度遅いね」
「だろ。あ、そうだ!一回、広島駅から終点の宮島口まで乗ってくのも楽しいぞ」
「……めっちゃ時間、かかりそう」
「でもきっと宮内なら楽しめるさ」
そう言った井口先生。俺はいつかそれをやってみようと心に決めた。
その後。俺は高校を卒業し、デザイン専門学校へ通っている。いまは一人暮らしで毎日、路面電車に乗って三十分揺られながら通学している。
井口先生は俺が卒業してすぐ他県に行くことになったらしい。あの人のことだから、言った先でまた楽しんでいるんだろう。
かたん、かたん。
今日も路面電車に乗って俺は学校へ向かう。
車より遅くて時間かかるし、バスが並行して走っていて、そっちの方が早い。それでも、路面電車を選ぶのはゆっくりとすすむこの時間が好きだから。
でもこの生活もあと少し。もう少ししたら就職が決まった熊本に引っ越す。
引っ越しまでにしたいことは、広島駅から宮島口までの路面電車の旅。あの日、井口先生が進めてくれたけど結局、今までできてなかった。
だから、実行してみようと思う。あの日みたいに新しく何かが、始まるかもしれない。
「次は天満町ー、天満町」
ガタゴトと音を立てながら今日も路面電車は広島の街を走っていく。
了
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