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今年の母の日はどうなるかな。
高山祐希は母の日が近づくにつれ、毎年4月からそわそわしている。気合いが入りすぎて5月は美容院に絶対行くことにしているしネイルも欠かさない。
意識しはじめたのは5年前くらいから。それまでは縁のない行事だった。転職して新しい職場に馴染み始めた頃に言われたのだ。
「えっ高山さん、母の日のプレゼントもらったことないんですか!?」
年下の上司が言った言葉は胸に突き刺さった。年月が経っても言葉は残っている。
「僕こんなお母さんいたら絶対あげるのになー」
ニヤニヤしながら上司は言ってきた。そりゃそうだろう。「綺麗で優しい、子供がいるように見えないお母さん」と言われるくらい自分は努力してきた。
それが子供に伝わってるかどうかは別として。
息子の貴志は父の日には何がしかプレゼントを持って実家に帰ってくる。というか月イチくらいで顔を出してくれる。真面目すぎて気が利かないところもあるが今どき珍しいくらいのまっすぐな青年になってくれた。その貴志ももう社会人2年目だ。
一言、「母の日も、LINEくらい欲しいな」と言えば済む話なのだろうが、強制しているみたいで気後れした。
まあ、無理もないか。
貴志には難易度高そうだ。
そう思って諦めたり、「いや今年こそは」と思ってみたり。
気分の浮き沈みを感じながら、4月からひたすら仕事をこなしてきた。家と会社の往復。
休日は仏壇に線香をあげ、狭い庭の草むしり、時間をかけて手の込んだ料理を作ったり、思いっきりおしゃれして服を買いに行ったり。
それなりに充実しているけど、やっぱり母の日は気にかかる。
今年もダメかもなぁ……。
そう思っていた、5月7日、金曜日の夜。
貴志からLINEがきた。
「日曜日寄るね。紹介したい人がいるから」
もしかして、もしかして。
期待に胸が踊る。
8日の土曜日はとにかく家中の掃除をした。手料理の材料も買い込んできた。何をしても落ち着かなくて、眠れなかった。
5月9日。
鏡の前に立ってポーズをとる。
長身で、普段はヒールを履いているからなおさらスタイルがよく見える。前の職場では色々言われたが今はどんな格好をしても文句を言われない。若い子たちともファッションの話で花が咲いて楽しい。先日は美魔女コンテストに出たら、と言われた。
転職してよかった、とつくづく思った。こうやって、自分を磨くことができる。
インターホンの音が鳴った。
「はーい」
ドアを開けると、相変わらず地味な格好の貴志。その後ろに小柄な女性がいる。「急だけど今付き合ってる彼女連れてきた」という言葉は耳を通り抜けていった。祐希の目が釘付けになったのは、貴志の手に握られているカーネーションの花束。2つある。
待ちに待った、母の日のプレゼント。
「あの、これ、母の日だから」
貴志はぶっきらぼうな口調で突き出す。照れくさそうだ。
祐希は固まり、その目にみるみる涙が滲んできた。
貴志は困惑している。
「えっ、なんで?泣かないでよお父さん!」
貴志が高校生の頃、病気していた妻が亡くなり、家の雰囲気は暗くなった。妻を支えるために父親と息子の生活は成り立っていた。ぽっかりと空いた時間も、悲しみが埋めていく。何をするにも気力がなかった。
遺品整理をしていてワンピースを見つけた。フリーサイズと書いてあった。花柄の、少し派手な黄色のワンピース。妻が独身の頃からよく着ていたものだった。
これ、着れるかも。
男にしては細身の祐希は、何の気なしに着てみた。
鏡の中に映った姿を見て、これまでのどんな服より衝撃があった。顔色が明るく見える。動くとふわぁっと裾が広がる。胸の内に気持ちいい風が吹き抜けたようだ。その日は気づいたら着れる服を探してはポーズをつけ、外はすっかり暗くなっていた。
そこからファッションにはまり、服を綺麗に見せるために運動もして、祐希はどんどん元気になっていった。凝った手料理も作るようになった。外出先で同僚に気づかれて嫌な噂を立てられたあとは、元々不満のあった会社も辞めて、今の女装姿で仕事することを認めてくれた職場で働き始めた。それだって上司のように偏見の目で見てくる社員もいるけど、この解放感には変えられない。もう女の姿が本来の自分の姿だと体に染みついているのだ。
貴志は何も言わなかった。大学に受かり家を出て、帰省するときは、ますます磨きがかかる父の女装姿を目にしても嫌がらなかった。ある時は「俺、父親1人と母親が2人いるみたいだね」と言ってくれた。
認めてくれている。
だから、それ以上を望んだらいけない、と思っていた。
でも、女装して自分の世界が広がった祐希は、どうせ親ならもう父親より母親だと認めてもらいたかった。
その願いが、今年の母の日に叶った。
「うれしい……ありがとう貴志」
涙がポロポロ溢れる。手渡されたカーネーションの花束に顔を埋める。
「ほらやっぱり喜んでるじゃん」
貴志の彼女はにこにこしながら言う。
「すみません、母の日にお父さんにプレゼントしようって提案したの私なんです。父の日にご挨拶しようって話になったんですけど、お父さんの写真見せてもらったら全然父の日って雰囲気じゃないし、綺麗なものお好きみたいだからどうせなら花束でも買って母の日にお伺いしようよって焚き付けて……いやーそれにしてもホントにお綺麗ですね!女性の私が負けそうですぅ」
急なマシンガントークにちょっと驚いたが、良い子には違いない。祐希は「ありがとう。貴志、素敵なお嬢さんね」とにっこり笑った。
息子は照れくささを隠すように「そろそろ上がっていい?」と靴を脱ぎ出す。
「もちろん!さあ上がって」
祐希は心の中で妻に話しかける。
貴志は、今年の母の日は彼女を連れてきてくれたよ。それも、優しくてしっかりした子のようだ。貴志にぴったり。
私は、初めての母の日でとてもうれしいよ。
2人を居間に通そうとしたら、貴志は「まず母さんに挨拶してからにするよ」と和室に向かい、軽く会釈して彼女も続く。
見やった先の仏壇の妻が「やったね」と微笑んだように見えた。
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