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駄作バッチ
アプデ待ちの暇つぶしに配信する。そう割り切れる賢者は希少だ。
オンラインサービスに修正や更新はつきものだ。
再開後に追加シナリオや新機能などメリットが多いとはいえ
中断させられるユーザーにとってはそうとうなストレスである。大型メンテナンスを機にやる気を削がれたり醒める参加者も多い。アプデを辞めるきっかけや理由にする人もいる。だが今度のアプデには期待が高まっている。
【駄作バッチ】の導入だ。SNSなどではなりすまし防止のためアカウント表示の横に特別なアイコンが表示される。本人であることを運営が身元確認した証だ。これで騙りや詐欺商法を防止できる。本人バッチに反対する者はいない。
その理屈で小説投稿サイトにも導入する提案がなされた。プロ作家がお忍びであると嘘をつき連載した作品が化けの皮が剝がれ大炎上した。その流れで本人バッチはスムーズに導入された。
「息抜きも出来ないのか!」
一部の商業作家からは不満の声もあがったが、出版を前提としない、同人誌即売会にも無料電子書籍サイトにも当該作品を出品しないということで許可された。
母親と一緒に公園の砂場で遊ぶようなものだと愚痴が出た。
だが本人バッチ付きで発表するからには遊びであろうと生半可なものは許されない。結果的に「さすが何々先生だ。あそびも半端ない」と好評を得た。
そこまでは良かった。何事も度が過ぎれば害になる。
「●●先生ばっかりに良作を書かせるのは虐待じゃね?」
「先生方はがんばってるのに駄作者は怠慢が許されるんだよな。これって差別だろ
」
案の定、差別問題や人権意識を正しく理解していない勢力から苦情が出た。
優秀な作家だけが生みの苦しみに苛まれる状況は虐めだというのである。
「そうだそうだ!あいつらは商業作家をバカにしている」
駄作者呼ばわりされた側も黙ってはいない。
出版や受賞だけが小説じゃない、と表現の自由を主張したり、趣味の園芸レベルで書籍化は端から眼中にない、と反論した。
しかし「怠け者の言い訳だ」と一蹴されてしまった。
なかには「作家デビューできない腹いせに先生がたを『業務妨害』しているんだろう?」「実生活が巧く行かないからと言って逃避願望の駄作を量産するって迷惑だよな」「公害だよ」という極論すら出る始末。
作家という生き物はおおよそ神経が細い。公害という露骨な感想を貰った人々は
作品を削除したりきれいさっぱり退会した。
これで繊細で心優しい作家は淘汰されたのだが非難はますます過熱する。
長文タイトル系の作家はしぶとかった。
「パーティーをハブられたので成り上がりチートであいつらを皆殺しにします。女・子供関係ねぇ!ヒロインが泣いて土下座したらその卑怯さに免じてもっとなぶり殺してやります」といった陰湿な脅迫文を連ねる人々である。
「子供の教育に影響を及ぼす」という論拠を駄作者追放運動に与えてしまった。
彼らは悪質な作品がいかに純粋無垢な心をけがすか説いて回った。
そこへ贔屓の引き倒しというが熱心なファンを拗らせた輩が加勢した。
掲示板や投稿サイトのSNS機能が白熱した。
下衆なタイトルをつける作家はなかなか論客が多い。表現が刺激的だからといってリアルでもそうかといえば温厚で従順な性格のキャラクターが少なくない。本当の過激派はペンでなく身体を動かしている。しかしおとなしく不満をくすぶらせているだけあって斜に構えた視線は社会を鋭く貫いている。
彼らは舌鋒で反撃に出た。
たちまち悪質な作品の定義を巡る議論は膠着状態に陥った。
苦し紛れの発言が流れを変えた。
「だったら話を簡単にしようじゃないか。たとえば『つまらない作品
』だよ」
この喩え話がなし崩し的に定義として採用された。議論はつまらない作品をこきおろす異端審問にすり替わり長文タイトル系作者の感想欄へ類焼した。
魔女狩りは終わらない。
勢いづいたユーザーは二正面作戦に出た。駄作投稿禁止の規約改定要望と面制圧兵器の投入だ。前者はお問い合わせ窓口への殺到、後者は作品発掘者の参戦である。
埋もれた名作を紹介するスコッパーというボランティアがいる。
彼らは検索条件を振り絞ってランキング圏外を探索している。著名なスコッパーとしてホルホルさんがいた。
彼は騒動のさなか「疲れた…」と活動休止宣言をしてしまった。その主たる理由はコロナ禍におけるテレワークの増大である。しかし駄作者狩りたちはこれを悪用した。
「駄作が多すぎてホルホルさんが疲れてしまった」
この曲解は光の速さで拡散し「駄作家がかけがえのないスコップを折った」という認識された。
悪意が共有さたらどうしようもない。駄作者は害悪という考えが定着した。
駄作投稿禁止の要望は表現の自由を盾に運営は規約改正を渋っていたが衝撃的な事件がダメ押しした。
ホルホルが死んだのである。
もっともこの訃報は一人の動画配信者が閲覧数欲しさに飛ばしたジョークであった。
しかし、世間はホルホルの死を真に受けた。
「てめぇ、よくもそんなつまららない作品を平気で書けるよな」
「はぁ、お気に召さず残念です」
「残念じゃねーよ。人が一人死んでんだぞ? 何とも思わないのか?」
「ホルホルさんの事ですか? 面識はありませんけど、早く回復を」
「は? シラを切ってんじゃねーよ。この人殺し」
「ですから、僕は…」
「人殺し!人殺し!殺人駄作者!!」
このようなやりとりがあちこちの感想欄で繰り広げられた。
ブロックすればいいのだが、その前に一方的にブロックされ今度は自分の活動報告で言いたい放題である。
運営に通報すると今度はフェイクてんこ盛りでまとめられる。
さらに信者にデマを吹聴してまわるから始末に負えない。
潔白を主張すればするほどオオカミ少年扱いである。
ここまでされては筆を折るしかない。
そしてスコッパーが被害者の会を立ちあげ「駄作から読者を防衛する正義とスコッパーが自己防衛する権利」が認められてしまった。
「言葉は暴力になる。つまらない小説は暴力だよ」
「嫌なら読まなければいいです」
「でもサイトTOPに紹介文詐欺の駄作が掲載されますねえ」
地上波の討論番組でも取り上げられ、与党の補完勢力が投稿サイトの規制法案を検討し始めた。
出版業界は保身に動いた。傘下にある小説投稿サイトが一斉に規約を改正した。
「著しく退屈で冗長、芸術性に乏しく娯楽性に欠け感情に訴えかける努力が感じ取れず当社のサーバー容量を圧迫すると判断される作品」を投稿禁止とした。
自主規制してみましたポーズである。
こうして【駄作バッチ】が誕生した。作品をいちいちあげつらっていては運営の体力がもたない。
そこでアルゴリズムに審査をまかせる仕様にした。計算式は一定期間のPV、評価の変動、読了率、一話あたりの滞在時間などなど複数の変数を用いた。
運営のふれこみによれば一群の作品に駄作マークを付与することで面白い作品の目安となり、作者のはげみにもなるというのだ。
駄作バッチは小説投稿サイト全体の品質向上に資する。
バッチを嫌う人間は自己研鑽するか退会する。
誰もがそう思った。
PV数が激減して広告収入も絶え投稿部門は閉鎖された。
駄作だらけサイトに誰が好き好んでアクセスするかよ、とは巨大掲示板の意見である。
そしてサイトは試し読みに特化したリニューアルオープンを目指したが頓挫した。
読者は動画配信サイトへ逃げWEBノベル自身の需要が蒸発したのだ。
「駄作バッチじたいがウザいです。わざわざそんな看板を提げなきゃいけない作品だらけのサイトって、誰が読みに行きます?」
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