重なる二人の過去

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重なる二人の過去

「あの…俺の為に甲子園での試合、見逃す羽目になってしまってすみませんでした」  試合が終わり、西城の選手達がグラウンドを去るまでしっかり見守って、先輩達に向き直り頭を下げた。  次があれば、初戦を見逃してもさほど気にせず済んだ。  だけど、まだ来年のある俺と先輩達とは全然違う。それなのに、 「誰が吉野の為だって?」  白井先輩に思いもしない返答をされ、面食らってしまった。「言っとくが、お前の為にここまで来たわけじゃねえよ。俺達は来たくて来ただけだ。そうだろ?」  先輩が他の面々に問いかける。  すると相模主将が「いいや」と、おもむろに首を振った。 「寝過ごして大阪で降り損ねたって、最初に言っただろ?」 「言った言った。で、気付いたのが岡山?」 「そうそう。んでついでに足、伸ばしてみただけだよ~ん」  白井先輩以外の三人が、この体育館で会った時と同じ台詞を口にした。 「……もう、先輩、ふざけないで下さい」  脱力しつつも安達先輩を軽く睨んだら、逆に白井先輩が労わるような眼差しで俺を見返した。 「俺達が吉野の負担になったりしたら本末転倒もいいとこだ。だからそれに関してはもう何も言うな」 「そうだよ。それに僕も本当に来ててよかったって思う。だってこんな怪我されて、それを知りもせず呑気に甲子園で試合観戦して、西城で出迎えて驚いた、なんて事になってたら、絶対自分が許せなかったと思うし」 「その瞬間を想像しただけで、自分にムカッ腹が立ちそうだぜ」  ふざけていた口調が一変、安達先輩までが辻先輩の架空の未来図に腹を立て、苛立たしげな感情を爆発させる。  そんな面々を前に途方に暮れていたら、のんびりした声が掛かった。 「ま、そうならないでよかった。多少は役にも立てたし、な」  相模主将がいつも以上に穏やかな顔で笑い掛けるから、それ以上何も言えなくなってしまった。 「ところでお前ら、今夜はどうするんだ? こっちに泊まるならホテルの手配をしないと」  きりのいいところを見計らって訊ねた監督に、相模主将が「心配無用です」と応えた。 「往復切符買ったんで、もう帰ります。それでも玉竜旗の時より早く西城に着くでしょうから」 「問題ないすよ、監督。新幹線の駅まで俺の親が迎えに来るんで」  少しだけ心配そうな表情を見せた監督に、安達先輩が自分を指差して続ける。「監督の車よりちゃちいけど、ちゃんと五人乗れますから、家まで送り届けるっす」 「俺らは幼稚園児じゃねえ」  すぐに白井先輩から抗議の声が上がるけど、万が一何か起きたら監督の責任は否めない。  それを考慮しての安達家の心配りなのは明白で、でないと千藤先生も十二時近い帰宅になりそうな生徒達をすんなり見送る訳にはいかないだろう。 「なら、安達のご両親に任せていいんだな?」 「大丈夫、任せといて下さい。なんなら直接話します?」  言いながら、胸ポケットから携帯を取り出しかける。先生がそれを手で遮った。 「いや、いい。お前らなら大丈夫だろ」  目配せして答えた監督の隣で、一緒に聞いていた校医の先生が口を挟んだ。 「君達、このまま帰るの? だったら近くの駅まで送ったげる」 「ほえっ?」  妙な声を上げた安達先輩だけど、驚いたのはみんな一緒だ。「ウソッ、マジで!?」 「先生、そこまでしていただくわけには……」  明らかに年下の千藤先生が丁重に断りかける。と、 「あら、いいじゃない。私の家、駅前通るからついでだし、タクシー呼ぶにしても駅まで歩くにしても、結構時間掛かるしね」  そう決め付け、「じゃ、用意して車回すから、十分…十五分後に正面玄関で待ってて」  言い置いて、さっさと会議室を出て行ってしまった。  どうやらせっかちなのは、治療に関してだけではなさそうだ。  その先生の事をほとんど知らない安達先輩と辻先輩が、出て行ったドアを呆然と見遣る。  苦笑を漏らした千藤監督が、わざと声を潜めた。 「お前ら、くれぐれも暴言は慎めよ。それと、シートベルトはすぐ装着するように。駅まで無事に辿り着く保証はないぞ」 「監督~、脅かさないで下さい! ってか、やっぱ駅まで走りますっ」 「バカ安達、そんな真似したらクラクション鳴らしながら追いかけてくるに決まってんだろ」 「何それ?」  本気とも取れる白井先輩の冗談。  それを聞いた辻先輩が不安気に怯え、安達先輩も自分の身体を抱き締めた。 「よけい恐いッ!」  そんな二人の反応を面白そうに眺めた白井先輩が、短く息を吐き出した。 「ま、しゃあねえ。早目に駅に着くに越したことはねえか」  意外にも一番嫌がるだろうと思っていた人がそんな事を言うんで、車の中の席順まで決まってしまった。  もちろん、その先輩が助手席に即決だったのは言うまでもない。  手早く会議室の戸締りをして事務所に寄ると、中には田舎のじいさんと同年代らしいおじさんが一人、俺達が出てくるのを待っていた。 「無理言ってすみませんでした」  出てきた管理人らしきおじさんに千藤監督が礼を言う。  それに倣い、俺達も一斉に頭を下げた。 「やあ、中々いい試合でしたなあ」 「ええ。延長までもつれ込むとは思いませんでしたが、おかげでじっくり観戦できました」 「それはよかった。ところで吉野君、傷は大丈夫かね?」 「えっ!?」  いきなり呼び掛けられ、面食らいつつも頷いた。「ええ、はい。もうすっかり」 「ハッハッ、いくら若いとはいえ生身の身体だ、そんなに早く治るわけなかろう」  豪快に笑われ、見栄を張った自分が恥ずかしくなる。 「そ…それは、まあ」 「こんな遠い会場で思いもしない怪我を負わせてしまって、申し訳なかったな」  逆に頭を下げられ、益々戸惑ってしまった。 「え、…あの、ここの管理人さんじゃ……」 「ない。今回この大会の運営委員長をして下さった方だ」 「そうなんですか? なら、甲子園の試合観戦を許可していただいたのって……」 「千藤先生に頼まれて、私の一存でな」 「あ! ありがとうございました」  慌ててもう一度礼を言う。  監督が無理を言ってくれたのは、間違いなく俺の為だ。 「なあに、それほど気にする事でもない。ただ、君には少しでも早く宿舎に帰って、ゆっくり養生して欲しかったんだがなぁ」 「『養生』だなんて、大袈裟です。それに俺だけじゃないでしょう? 先に治療室に行った選手は何人もいたはずですが」  クリップボードに重なっていた、生徒名の書かれた用紙、優に二十枚はあった。 「ああ、あれな」  委員長もあのファイルを見たようで、白くなった頭に手を遣り溜息を零した。 「まったく……年々多くなりよる。ほとんどが熱中症だったが、君の怪我は違うだろう?」  そう訊かれ、憮然としつつも頷いた。  俺としては熱中症で倒れる方が遥かにましな気がする。  だけど、大会委員長は俺とは違う事を案じていた。 「未来を担う君達が、相手を傷付け合うような試合をするのは好ましくない。そんな剣道はして欲しくないんだが、勝つ事ばかりに重きを置く(やから)は、どの年代にもいると見える」 「違います!」  思わず、強く否定していた。「相馬君は俺を傷付けようとしたんでも、勝ちだけを考えていたんでもない! 俺との試合を邪魔されて怒っただけです。悪いのは彼じゃない、本当に悪いのは――」 「吉野!」  言いかけた俺を千藤監督が遮った。  はっとして見返すと、千藤先生の厳しい眼差しが俺を見据えていた。  稽古中にも見た事のない、険しい表情。けど―― 「だって! 黙認なんかできません。確かに相馬君は苦手だけど、彼も俺と同じ、剣道だけを支えに生きてきたんだ! 子供が親を選べないなら、我慢するしかないじゃないかっ!」  さっきの試合での悔しさが今になって込み上げて……あの時行き場を失ってしまった怒りが一気に爆発した。 「よさないか吉野、委員長は十分承知してらっしゃる」 「いや、千藤君。今のは確かに私の言い方がまずかったようだ」  俺の激情を一瞬にして沈静化させる、穏やかな声音。  耳にした途端、感情的になって暴言をぶつけた自分があまりにも幼く、未熟に思え、咄嗟に俯いてしまった。 「それにしても、見かけによらず元気な子だなぁ。叱る事はよくあるが、怒鳴られたのは久しぶりだ」 「す…すみません、つい……カッとなって……」  恥ずかしくて顔を上げられず、平身低頭で頭(こうべ)を垂れると、フッフッと押し殺したような低い笑い声が聞こえた。 「千藤君、今回はどうやらいい高校に巡り会えたようだな」 「……血の気の多い奴らばかりで、気苦労が絶えませんが」  俺だけじゃなく、三年生にもちらっと目を遣り、しみじみ答える。  傍観者に徹していた四人の先輩が、互いに顔を見合わせて苦笑を漏らした。 「ほう? 君に気苦労をかけさせるとは、中々頼もしいじゃないか」 「委員長、勘弁してください」 「君も委員長は止めてくれ。大会が終わればお役ごめん……おおっと、大会委員長として最後の仕事があった」  悪戯を思いついた子供のように目尻のしわを深めたその人が、何故かもう一度俺に向き直った。 「吉野君、大河内君との一戦、全国大会の決勝戦にふさわしい、素晴らしい試合だった。関係者として一言礼が言いたくてな」 「あ、ありがとうございます」  思いがけない賛辞に頭を下げると、委員長が「いやいや」と首を振った。 「礼を言うべきはこっちだ。酷い怪我を負ったにも拘わらず、最後まで全力で戦ってくれて、本当にありがとう」  そう言われ、思わず眉間にしわを寄せ、大会委員長という人物を見返した。 「そんなの当たり前です、真剣勝負ですから」 「――『当たり前』、か。君は、いつもそんな風に竹刀を手にしてきたのかね」 「え、あの……」  委員長の独り言とも取れる小さな呟きに、一瞬返事をためらう。と、 パパァー。  体育館の外でクラクションが派手に鳴り響いた。  何とも絶妙なタイミングに、心当たりのある三年が「あっ!」と同時に叫び声を上げる。 「お前ら、お呼びが掛かってるぞ」  外を顎で示す監督同様、見えるはずないホール方向に目を遣って、安達先輩が慌てた。 「うわ、ヤッベー」 「じゃあ監督、お先に失礼します」  軽く頭を下げた相模主将が、「行くぞ」と三人に声を掛ける。 「おう、じゃあな吉野、今夜はゆっくり休めよ」  白井先輩が俺の左肩を軽く叩き、大股で歩き出す。 「お疲れ吉野。明日学校でね」  辻先輩がいつもの笑顔で小さく手を振り、 「恐いなぁ、大丈夫かなぁ」  警官志望の安達先輩が、不安げにぼやきながら後に続いた。  急ぎ足でホールに向かう四人の後姿を見送って、監督が向き直った。 「じゃあ委員長、私達も出ます」 「おお、そうだな。引き止めて悪かった。今度会うのは新人戦になるか」 「そうですね、そうなればいいですが」 「期待しとるよ。君と、君の育てる生徒達には」 「ありがとうございます」 「相馬君の事は……」  言いかけた委員長の言葉が、監督にやんわりと遮られた。 「あの親子は、他人が口を挟むべきではありません。余計にこじれてしまうでしょう」 「ふむ、…君が言うならそうかもしれんな」  二人のやり取りを黙って聞きながら、監督と相馬親子との関係を詮索してしまう自分を、はっきり言って持て余していた。
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