重なる二人の過去

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「洋の祖父は昔ながらの武人で、自分にも他人にも厳しい、何事においても等しく平等な人だった。だから、長男、次男関係なく剣道をさせ、人間的により優れた方を道場の跡継ぎにして、急逝した」 「亡くなったんですか」 「ああ。健在だったらまだ睨みも効いたんだろうが、まるで遺言のように次男を跡継ぎに決めたものだから、残された者達の動揺は小さくなかった」 「遺産相続、とか?」  駿の家の内情が脳裏に浮かぶ。  あの後の、駿やおばさんを見る田舎の人達の冷たい視線を思い返し、それを相馬君の身の上と重ねかけて……違う、と心の中で呟いた。  駿達親子は、後妻とその連れ子として相原の家に入ってきた、いわば他人だ。  だけど相馬君は違う。れっきとした後継者の一人。  なら、周囲の見る目もおのずと違ってくる。  駿の受けた排他的な痛みを、相馬君は味あわずにすんでいるはず。 「遺産相続、か。確かに遺産と言えなくもない。道場の利権を巡る争いには違いないからな」 「………」 「だが、そんな実質的なものより、洋の父親が拘ったのは、剣道の師範としての優劣だった」 「優劣?」  聞き返した俺に、監督がゆっくりと頷いた。 「それこそ生まれて間もない頃から竹刀を握り続けてきたんだ。剣道への執着は人一倍凄まじいものがあった。人生そのものと言ってもいい。跡を継ぐのは当然自分で、それ以外の人間など考えてなかったんだろう、というか許されない事だった」 「――それなのに、実際は弟が継いだ?」 「結果としてはそういうことだ」  何とも言い難い表情で俺の言葉を肯定した監督が、その目を伏せた。 「それからの彼の執着は、自然自分の息子にいった。成しえなかった夢を息子に託す事で、どうにか正気を保ってるんだ」 「そんな! じゃあ相馬君は? 彼の意志はどうなるんですか。相馬君にだって夢はあるはずでしょ? 親の夢を叶えるのが自分の夢だって言うならいい。けど、そんな感じじゃなかった。彼は……実の親に怯えてました」  でなければ、試合中に親の怒鳴り声や罵声が聞こえたからといって、あそこまで露骨に剣技に反映されたりしない。 「ああ。だから俺はあの親子と距離を取ったんだ」  その、監督らしくない返事に思わず首を傾げた。 「『距離を取った』…って、どうしてですか? だって彼のお母さんは、相馬君が監督を実の兄のように慕ってたと言ってましたよ?」  すると、今度は監督が驚きも露わに俺を見て、忌々しげに舌打ちをした。 「そんな事まで話したのか、あの人は」 『あの人』とは、相馬君の母親の事だ。  でも、それほど監督の気分を害するものではないと思うんだけど。  なら、そんな親密な関係を俺に知られたくなかったって事、か。  そこに思い至り、密かに落ち込んだ。  やっぱり、俺なんかが口を出していい問題じゃないのかもしれない。  だけど―― 「相馬君にとっては、監督が心の支えだったんじゃないですか? それを知ってて距離を取ったなんて、信じられません」  偽りのない本音。  監督の人となりは全部、とまでは言えないけど、ある程度把握してるつもりだ。  十年以上前の出来事だったとしても、縋りつく子供の手を払うような真似、するとは思えない。  心の内が知りたくてじっとその目を見据えたら、監督がテーブルに置いたままだったビールに手を伸ばしかけて、止めた。 「そこのところが一番の問題だったんだ。洋が俺に懐くほど、あの父親は洋にきつく当たるようになった」 「え、なんで息子? こういう場合の矛先は、普通監督に向くんじゃないですか?」  素朴、かつ当然の疑問だったと思う。  だけど返ってきた答えは、相馬君の父親の人格を知るには十分すぎるものだった。 「それは、俺が洋より強かったからだ」 「………」  唖然とした俺を一瞥した監督が、構う事なく続けた。 「ああいう類の人間の嗜虐思考は、十中八九弱い者へ向かう。まして手塩にかけて育ててきた息子が、自分より若輩の他人を慕ってみろ。面白くはないだろう」 「でも、親子ですよ? 自分の子供なのに――」 「その自分の子供を所有物みたいに扱う親がいるんだ」 「――『所有物』、ですか」  四才で両親を亡くした俺にとって、どんな親でもいるだけましだとも思える。  だけど、そんな心情も親への思慕も、監督が目にしてきた大人への苛立ちの前では、まるきり無力だった。 「子供はペットじゃない。どんなに幼くても意思を持ち、自分の人生を持っている。そう、独立できるようにしてやるのが親である大人の役目だ。それをわきまえもせず、自分の好みに作り上げ、反抗しなければ素直ないい子だと思っている馬鹿親には、吐き気がする」 「………」  言葉通り、吐き捨てるように言い放つ監督を、言葉もなく見つめた。  明確な意思を持って部員を叱り飛ばす事はしょっちゅうあるけど、こんなに感情を露わにしたのを見たのは初めてだった。 「あの、監督、もしかして酔ってます?」  その激しい憤りに面食らい、ついそんな事を訊いていた。 「――いや、済まない」  苦笑を漏らした監督が、ゆっくりと首を振った。 「久しぶりにあの親子を間近で見て、全然変わってない父親に失望したんだろうな。――悪い、嫌な事を聞かせた」  神妙な顔で頭を下げられ、とんでもないと手を振った。 「訊いたのは俺ですから。でも、監督にも人並みに感情があったんだ、知らなかった」 「吉野は感情出しすぎだ。全く、見かけはにこりともしそうにないクールな面構えのくせに、怒るし笑うし泣くし。よくまあそれだけ表情変えて疲れないもんだな」 「そ……んなこと言われたって……」  頬に朱が走ったのを見られたくなくて、顔を背けた。  自覚症状ありすぎだと、十分承知している。  すると、耳に押し殺したような笑い声が届いた。 「ま、それがお前のいいところだ。そうむくれるな」 「むくれてなんかっ!」  反論しかけた俺を見つめる監督の、何とも言いようのない柔らかな眼差しに、反発する気も萎えてしまった。  稽古中の厳しい監督とはまた別の、外見も中身も大人なこの人に、太刀打ちできるわけがない。  黙り込んだ俺を尻目に、「それはともかく」と監督があっさり話を戻した。 「実は俺も初めの内、父親の、洋への執着に全く気付かなかったんだ。だが、中にはそういう事を吹聴してまわる連中もいる。それを耳にして初めて、洋の置かれた立場を知った。このまま俺が洋に構えば、あの父親の事だ。段々エスカレートして、虐待まがいの行動に出るだろう。そうなる前に、俺は……逃げ出したんだ」 「いいえ!」  知らず、声を上げていた。「監督は逃げたんじゃない、距離を置く事で相馬君を守ったんだ」  自身の過去を人事みたいに話す監督に、堪らず想いの丈をぶつけていた。  表面上は平静を装ってるけど、…装おうとしているから余計、自責の念に苛まれているのがひしひしと伝わって、俺の方が苦しくなる。  その後悔は、玉竜旗大会で十人抜きを二年連続で達成した後の、仲間への懺悔の比じゃない。  華々しい事実の裏には、確かにリズムを崩し、全力で戦えなかった仲間もいるかもしれない。  だけどそれによって、部員も少なからず恩恵を受けたはずだ。  それに西城の先輩達は同じ条件の下、俺以上に奮起して西城高校をベスト8に導いた。  そこには他の選手の十人、十五人抜きもしなやかに受け入れられる度量と強さがあった。  要するに、竹刀を握る一人一人の気構えが問題なんだと思う。  相馬君の身を案じ、自ら距離を取った監督の行為を、誰が咎められる?  他でもない監督自身が、必死に伸ばされていたその小さな手を取る事もできず、見て見ぬ振りをするしかなかった。  その過去を、未だに受け入れられず苦しんでいるというのに。 「吉野、…それは買いかぶりだ。二十才前後の若造でしかない俺に、どれほどの力がある?」 「でも! 道場を継いだ弟さんに、門下生の手ほどきを乞われたんでしょ? 監督の腕が認められた証拠です。だから余計相馬君の父親は面白くなかった、違いますか?」 「……お前は、剣道が絡んだら誰よりも辛辣になるな」 「事実を言ってるだけです。それに一度でいいと言った弟さんとの約束も、それでは済まなかったんでしょう?」 「……大学にもなると、人間関係も複雑になるし、色々としがらみが増えてくるんでな」  それを聞いて、諦めにも似た溜息が零れた。 「やっぱり。…それで、どれくらい行ったんですか?」 「月に二回、二年と少し、か。その間にお家騒動に巻き込まれたわけだ」 「だから、余計に相馬君の事が気になったんですね」 「結構な騒ぎになったからな。最初は心細げな洋を放っておけなかった。色々と構っている内、ようやく落ち着きを取り戻して……必要以上に俺に懐いたってわけだ」 「その関係に、相馬君の父親が激怒した?」 「そういう事だ。だから大学を卒業した後、俺からあの家族に連絡を取った事はない。数年後には無事教員としての働き口が決まり、随分離れた高校に新任教師として行く事になったからな」 「あ、もしかしてその就職先が、例の三無主義の高校?」  そう訊くと、難しい表情だった監督の顔が心なしか穏やかになった。 「よく覚えてるな。――だが、相馬の家を見てきた俺には冷却期間があってよかった。ちょっと嫌気が差しはじめていたからな」  憧れの監督の口から嫌気という言葉が出て、少なからず衝撃を受けた。と同時に、この人をそこまで追い詰めた相馬家の内情の深刻さを改めて思い知らされた気がした。 「……そうですか。でも、今はそんな事ないんですよね」 「ん? 嫌気か?」 「ええ」 「竹刀を持つ時間が急に減ってしまったからな。逆にやりたくてしょうがなくなった」  そう言った監督の口元には、柔らかな笑みが浮かんでいた。  その冷却期間を経て最初に対峙したのが、新たな赴任先となった西城高校の部員達で、久しぶりに真剣に竹刀を構えたのも、俺を相手に立ち合った時だった。  なんて事、鈍感な俺が気付くはずもなく、ただ監督の和らいだ表情を目にしてほっと息を吐いた。 「よかった。ちょっとすっきりしました」 「? 何がだ?」 「監督と相馬君との関係。ほんと言うと、相馬君の母さんの話を聞いてから、二人の関係がずっと気になって仕方なかったんです」  打ち明けた途端、監督の顔に苦味が走った。  けど、もうそんなの気にならない。 「監督の中で相馬君は昔の……思い出の中で生きてる人間じゃない。今もまだ心配でたまらない、弟なんだ」 「――なぜ、そう思う?」 「顔を合わせても、まるっきり知らない風を装ってたから」  そう答えて、クスッと笑った。 「だって、玉竜旗大会の帰り道で相馬君を知ってるような事打ち明けられるまで、俺、二人が顔見知りどころか、そんな繋がりがあったなんて本当に全然思いもしなかった」  責めるでもなく言って、小首を傾げた。 「監督が本気で隠そうとしてる事実なら、俺なんか気付けるわけないですよね」 「……済まない」 「いえ。『敵を欺くにはまず味方から』ってことわざもありますから。それに…なんか俺、嬉しいかも」 「嬉しい? 何がだ?」 「んー、上手く言えないけど、監督が相馬君の事、今もずっと気にかけてるってわかって」 「……吉野は玉竜旗以来、あいつの事嫌ってたんじゃなかったか?」 「あ、やっぱばれてました?」 「当たり前だろう。委員長にも苦手だと自己申告してたじゃないか」  あっさり言われ、照れ隠しに頭を掻いた。 「それが、…この大会で彼のバックグラウンドを知って、見る目が変わったっていうか、彼よりその父親に反感を覚えてしまって、相馬君が心配になったんです」  この感情は、同情に近いんだろう。  だから相馬君には言えない。  そういうのが一番嫌いなタイプのような気がするから。 「相手は、お前に消えない傷を負わせたんだぞ。それでもそんな風に言えるのか?」  そう切り返されて、改めて自分自身に問いかけてみた。  そして導き出した答え。  それは―― 「ええ。俺にとったらやっぱり勲章です。監督も先輩も親のいない俺を気遣ってくれるのは本当に嬉しいですけど、それより心に付いた傷の方が何倍も痛くて……辛い」  その事を、俺は身をもって体験した。それに自分も、知らず相手を傷付けていた。  だけど、相馬君は違う。  彼は一方的に傷付けられているだけ。  その上、彼を傷付けているのは、自分を無条件で擁護してくれるはずの父親なんだ。 「相馬君はきっとまだ、その傷を癒すこともできずにいる。それを思ったらこの傷の痛みなんかどうって事ない。それに俺は一人じゃないですから。試合が終わってからも今も、多分西城に帰ってからも」  頼もしく心優しい先輩や、監督、気さくな友人、それに北斗がいる。  ……早く帰りたい、北斗の元へ。  全国大会個人戦準優勝。  この成績、あいつは喜んでくれるだろうか?  いいや、誰よりも北斗に、一番喜んで欲しい。
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