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俺に聞こえたらまずい、って、何?
二人共に似たような反応……加納君は明らかに怒っていたけど、俺のどこが、何が悪かったのか、さっぱりわからない。
戸惑う俺の耳に、再び加納君の声が届いた。
『あ~、…もしもし、吉野? まだ繋がってるか?』
何だか恐る恐るといった体での呼び掛けのせいか、前回途切れた会話の気まずさは半減していた。
だけど――
「うん、けど…梛君、急にどうしたの?」
『あ、あいつ、ね。なんか腹の調子悪かったみたいでさ。便所行くって出て行った』
しまりのない奴だよな、なんて笑うけど、どうしてそれが俺に聞こえたらまずいのか、わからない。
これは絶対、何か隠してる。
鈍い俺でもさすがに何かあると、勘ぐってしまう。
そこで、これまでの経験から大いに可能性のある件に気付いた。
それが原因ならまだ救われる。
加納君の激怒みたいに、自分の言動に相手が憤りを感じたんじゃないなら。
そんな祈りにも似た思いで問い掛けていた。
「あの、さ。もしかして梛君、…あの、…えっと、……」
確かめる方法……というか、訊き方がわからない。
『吉野?』
言い淀む俺に、加納君が不思議そうに先を促すけど、その手の内容に関する語彙が少なすぎて、上手く訊けそうにない。
こんな時、北斗ならどう言うだろう?
頭をフル稼働させ、過去の記憶を思い起こす。
そして、断片を手に入れた。
「そうだ! 息子、梛君の」
『? 義純の……息子?』
一年前の田舎で交わした、あいつの言葉。
「そう。あのさ、ひょっとして元気になった、とか?」
『…………』
「あれ、違った?」
無言で返され、身体中の血液が一気に顔に集まった。
「ご、ごめんっ! あんまり急に態度変わったから、もしかしてって思って。ほんとごめん、失礼だよね、こんな勘違い」
真っ赤になりつつ早口で誤解を謝ると、
『いや。すげ、吉野。なんでわかったんだ?』
感心したように呟かれた。
「あ、やっぱり」
『悪いっ!』
その半端じゃない声量に、再び携帯を遠ざけた。
『俺が謝るのも変だけど、あいつは後でこってり絞っとくから許してやって』
恐らく平身低頭で謝っているんだろう。
そう思わせる必死さが、言葉の端々からうかがえる。
だけど、そんな相手の態度に戸惑った。
「何で? 誰も謝る必要なんかないよ。自然現象だし、仕方ないだろ?」
どうしてこんな、携帯越しの会話でまでそうなるのか、今一…どころか全く理解できないけど。
『へ!? あれ、そんなモン?』
明らかに意表を突かれたような声音で聞き返され、それにははっきり頷いた。
「うん。俺は全然気にしてないけど、梛君の方が多分気まずいだろうから、加納君から伝えといて」
田舎の友達との丸々二年に及んだ仲違い。その一番の理由はそれだった。
こんな事で仲良くなれそうな梛君に距離を置かれたくない。そう思い、俺も必死だった。
『はぁ、…サンキュ。それ聞いたらあいつも安心する……かもしんねぇ』
「なに、その取って付けた言い方」
『え、だって俺、当事者じゃないし。けどなんか……吉野ってすげえ』
溜息混じりに言われ、普段は決して覗かせない本音が心の中を侵食していく。
一体、俺の何が凄いって言うんだ。
「そう? 俺は……自然体の梛君がすごく羨ましい」
本当に、羨ましくてたまらない。
自由にならないのは梛君も俺も一緒なのに……。
なんでその結果には、こんなに大きな差があるんだろう。
『あいつのはただの節操なし、ってんだ』
それでもいい。
俺も、自分が一人前の……いいや、ただ普通の男だという自信が欲しい。
「でも、れっきとした大人の男だよ」
『男らしいのは吉野だろ。いや、ある意味超大物?』
そんな風に言われ、条件反射みたいなもので、思わず真っ向から否定した。
「それは違う。慣れだよ、慣れ」
『「慣れ」!? って、そんな経験、前にもあったのか?』
「ん、うん、まあね。田舎で一回、こっちに帰ってからは……梛君で四回目かな。あれ、五回目?」
首を捻って答えると、盛大な溜息を吐かれた。
『……なんか、壮絶な告白聞いてる気がするんですけど?』
珍しく丁寧語で返されて、困惑が隠せない。
「そう? どっちにしてもこれだけ場数踏んだらさすがに気付くよ。まあ相手はほとんど北斗なんだけどね」
その暴露話に、ブッ、と吹き出したのは加納君だ。
『そっか、やっぱな。いや、いやいや、苦労するなぁ成瀬も』
クックッと喉の奥で笑いを噛み殺す。
「何で苦労? あ、それより加納君、「ワンちゃん」でいいよ、北斗の呼び方。そう言ってただろ?」
『ああ、あれね。いいんだ、昨日の試合見て止めた』
「あ! やっぱり、見ててくれたんだ。ありがとう」
『吉野は全国大会で残念だったな。けど、準優勝おめでと。俺が一番に言いたかったのに義純の奴、戻ったらただじゃおかねえ』
ブツブツと言い始めた文句に、それも当然かと一人頷いて、自然に顔が綻んだ。
「電話をくれたのは加納君だろ? それだけで十分嬉しいよ」
『ん? うん、そっか、ならまあいっか』
曖昧に頷いた彼に、再び問い掛けた。
「けど、どうして『成瀬』に?」
「ワンちゃんと呼んでいいか?」と、訊いてきたのはつい先日の事だ。
あの日からまだ何日も経ってないのに、何年も呼び続けていただろう愛称を急に止めるなんて、どう考えても腑に落ちない。
そんな俺の疑問に、加納君は躊躇なく答えてくれた。
『――っと、この前、来てくれた時、成瀬だけ戻ってきたろ?』
「ん、うん」
その時の事を持ち出され、気分が沈む。
広島へ向かう新幹線の中、溜息を吐き続けていた原因の一つを思い出したせいだ。
『あの時、「加納とは対等に向き合いたい」って言われて、すごく嬉しかった。けど、試合見てて気付いたんだ。「ワンちゃん」と呼んでる限り対等にはなれないって』
「そんな事……」
『いや、その呼び名を付けたのも、たまにしか会えない彼の存在を確かなものにしておきたかったからなんだ』
「あ、なんかわかる…気がする」
『そ? だから、成瀬が俺をライバルだと言ってくれるなら、俺もあいつを追いかけてた頃の愛称じゃなく、「成瀬北斗」として対峙したい、そう思ったんだ』
「そう。…うん、ならよかった」
その為に、北斗に「行け」と……「言って来い」と、言った。
それは、俺が望んだ事。
あの日、何も告げず帰りかけていた北斗に、そう促したのは俺自身だ。
『けどさ、あの時――』
どことなく声音の変わった相手に、現実に引き戻され、「うん?」と何気なく聞き返した俺は、続けられたその告白に自分の耳を疑った。
『成瀬に、「もう俺を追うな」って言われて』
「なっ、…ウソ!? そんな事言ったのか? 北斗が?」
信じられない、と呆れる反面、加納君が嘘を吐くなど微塵も思わず、何て事を言うんだ、と怒りが込み上げる。
憤りを隠さない俺に加納君が慌てた。
『や、成瀬は別に俺を拒絶するつもりじゃなくて、後を追われるより対等に向き合いたいって言いたかったんだ。それは後ですぐわかったんだけど……』
「『だけど』、何?」
口調がきつくなるのは、この際仕方ない。
『吉野、なんか恐い』
「うるさい。そんな酷い言い方する奴が悪い」
『いや、成瀬はホントに悪くないんだ。ただ、それ聞いた時、何でか辛く……なって……』
聞き取れなかったのか、言葉尻が途切れ、今度は加納君の異変を察した。
「ど…どうしたの? 加納君、……もしかして、泣いてる?」
『……アハ、まさか。電波状態悪いんじゃね?』
「え、そ、そう? そうかな? 途中で聞こえなくなっちゃって、焦った」
『こっちはよく聞こえてるぜ。あ、そだ。ついでに吉野に一言だけ言っときたかったんだ』
「うん? 何?」
『あの時さ、実は俺、ちょっと泣いちまったんだ』
「え!? ならやっぱり北斗のせいじゃないか」
『違う』
そこは、はっきりきっぱり否定された。
『けど、成瀬が俺以上にうろたえちまって』
そりゃそうだろう。だって、あの加納君が泣くなんて、しかも人前で。
そこで、はっと目の前が開けた気がした。
北斗の取ったあの行動。あれはもしかして――
『んで、何でか俺をハグしてきたんだ』
「やっぱり、そうだったのか」
『……成瀬から、聞いてないのか?』
「全然。あいつは自分からそんな事言わないよ。それにそれが理由なら、俺が聞いてもはぐらかされてたかな?」
『え、二人付き合い長いんだろ? そんな事も話さないのか?』
「長いような短いような。けどあいつの口の堅さは格別だから。加納君の弱み? っていうか、あんまり知られたくない事、自分から口にしたりは絶対しない」
それは断言できる。
それが北斗の優しさ、相手を思いやれる強さだから。
『……そっか。なら、余計悪かったな』
暫し絶句したような間を空けて、加納君が呟いた。
「え? 何が?」
『何がって吉野、気になってたんじゃないのか?』
痛いところを突かれ、少しだけ迷った。
「……『うん』って言ったら?」
『安心する。っと、違った。それを訂正する為にこんな話してんだよ』
「訂正?」
『そ。誤解のないようにもう一度言っとくけど、成瀬がハグしたのは、俺がいきなり泣いちまったせいで、それ以外の感情なんか微塵もないって事。吉野に誤解されたままじゃ、成瀬があまりにも不憫だからな』
「何、それ。あいつのは自業自得だよ。自分の口の悪さを改めるいい機会だ」
冷然と突っぱねた俺の怒りは、かなり根深い。
『……う~ん、なんか複雑そうだな』
そう唸った加納君が、『けど』と続けた。
『話できてよかった。義純は次会った時、ビンタでも食らわせといてくれ。付け上がらせるとあんまよくねえし』
そう言って笑う。
「了解。ただし顔は苦手だから、ボディに一発入れてもいい?」
『おう、上等だ。手加減すんなよ。俺の分も入ってんだから』
「加納君の分?」
『それはこっちの事。そろそろ切るな。あ、それと成瀬に……』
「うん?」
言いかけて止めた加納君に、「何?」と促すと、少しの間思案した彼が、対象を変えた。
『じゃなくて、野球部員に伝言、頼まれてくれるか?』
「なんだ、そんな事。いいよ、しっかり伝えとく」
まだまだ北斗への想いは複雑、且つ深いんだろう。
そんな加納君の心理状態をささやかながら感じた俺は、彼からの伝言を一言も聞き漏らさないよう黙って聞いていた。
『んじゃ、また会えるの楽しみにしてる』
「うん、俺もだよ。ほんとにありがとう。それと、梛君にもちゃんと『ありがとう』って、伝えて」
『ああ、わかったよ。ったく、お人よしなんだから』
―――『成瀬が惚れるのも無理ないか』
加納君の呟きは、誰の耳にも届かない。
ただ、迷いつつも掛けてくれた電話は、彼の中に北斗との新たな繋がりを予感させ、そして俺の心にも、確かな温もりを与えていった。
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